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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年2月号

ワールド・ナウ

カンボジアにおける障害者支援―自立への取り組み

加藤美千代

はじめに

カンボジアの首都プノンペンを縦断するように流れるトンレサップ川。その両岸を結ぶ「日本カンボジア友好橋」を渡り車で10分ほどの所に「キエンクリエン国立リハビリテーションセンター」がある。カンボジア王国の社会福祉省が管理する当センターでは、5団体の非営利活動団体(NGO)が障害者支援事業を展開している。

東京に本部を置くNGO「難民を助ける会」は、1993年、当センター内に障害者のための職業訓練校を開設、翌1994年には車椅子工房を立ち上げ、カンボジア国内に住む主に四肢障害者の支援を実施してきたi)。2006年までの職業訓練校の卒業生は569人、車椅子の配布台数は約4,600台にのぼる。

2005年8月にカンボジアへ赴任した筆者は、難民を助ける会の14年にわたる障害者支援活動の最後の現地駐在員となった。2006年10月に当会で実施している2事業を現地法人化し、カンボジアNGO「障害者のための職業訓練」ならびに「発展のための車椅子」が誕生したからである。これからは、カンボジア人が名実ともに主役となってカンボジア人を支援していくことになる。

カンボジアにおける障害者支援の現状

カンボジアでは、他の途上国と同様に、社会福祉分野の優先順位は非常に低い。障害者支援を統括する社会福祉省は国家予算が最も分配されにくい省庁のひとつである。2007年1月現在、障害者の権利を保障する障害者基本法は制定されておらず、一部の戦争被災者を除いて、障害者は政府から何の保障も受けていない。

総人口の3.9%(約56万6千人)を占めるというカンボジアの障害者の中には、社会的にも経済的にも限られた状況の中で、生きるか死ぬかという厳しい生活を送っている者が現在も多いii)。また、紛争終了後も市民を傷つけ続ける「地雷」の存在で悪名高いカンボジアでは、年間800人以上がいまだに地雷や不発弾の被害にあっているiii)

このような状況のなかで、障害者の医療、職業、社会リハビリテーション活動は主にNGOが担っている。障害者を対象に職業訓練を実施するNGOは当会を含めて4団体である(2006年現在)。車椅子工房については、3団体が細々と車椅子の製造・配布を実施している状況だ。

ロゴ
新たに誕生したカンボジアNGO「発展のための車椅子」(左)と「障害者のための職業訓練」(右)のロゴ。デザインはカンボジア人職員が自ら発案した

自立への道

パリ和平条約締結から15年を経た今、カンボジアで活動する国際NGOの数や、外国人が中心となった事業運営方式は減少傾向にある。カンボジア人がこの十数年間に事業運営力をつけてきたことがこの変化の一因であろう。

難民を助ける会は、2000年頃から事業の方向性について話し合いを始めた。そして2003年度に実施した事業評価をきっかけにして、本格的に自立に向けた活動を開始した。

事業が「自立」することにはさまざまな危険がある。「外国」に基盤があることが社会的地位となるカンボジアにおいて「国際NGO」という看板がなくなることはさまざまな保護の消滅を意味している。たとえば、不当な献金要求や政治的圧力がかかる危険が増す。また、資金力が低下することも多い。しかし一番大きな問題は、現地職員の緩衝材でもあった外国人がいなくなることで起こる人間関係のバランスの崩れであろう。すでにカンボジアNGOとして活動している他団体の様子を見ても、一番の問題は、資金力よりも組織内の人間関係の悪化ではないかと思わされる。

こうした危険があるにもかかわらず当会が自立を決めた理由として、当会カンボジア事務所で10数年間勤務している職員、特にリーダーに十分な事業実施能力がついていることがあげられる。また「呼び水となる活動」を展開する当会としては、事業開始時に比べて障害者支援分野に取り組む団体が増えていることから、積極的に関与していく必要性が問われたこともある。とはいうものの、カンボジアの障害者が置かれている状況は決して良くはないことから、撤退は選択しなかった。

自立に伴う危険要因の回避については慎重に議論が交わされた。しかし、慎重になりすぎて身動きがとれなくなっていたこと、実際にカンボジアNGOとして活躍している団体が存在していることなどから、「支援を止めるのではないから、理想の姿を目指してできるところから前に進んでみよう」という気持ちで自立へと踏み切ったわけである。

自立の計画

そこで立てられた自立への計画は次の通りである。2事業を現地法人化し二つのカンボジアNGOを誕生させる。その後、最短3年間は難民を助ける会が人的、財政的支援を継続していく。ただし、支援の度合いは段階的に減らしていく。日本人駐在員は常駐せず、事業運営はカンボジア人に任せるが、必要な場合はメールなどを通して助言などを行う。また、東京本部から3か月に1回程度の職員を派遣し様子を見る。この方法でまずは進めてみることにした。

具体的な取り組み――「できない」から「やってみよう」へ

難民を助ける会の方針の決定を受けて、現場で実際に行ったことは、現地法人化の方針を知らせる、方針を受け入れてもらう、やる気になってもらうの3点に尽きる。

現地法人化を知らせるタイミングは難しい。やる気を失った全職員が辞職する例も他NGOでは起こっている。当会では今後の支援方法について大筋が見えてから、東京本部からの手紙も利用して、ミーティングを開き、カンボジア人職員に今後について伝えた。職員からは多くの質問が出され、長時間にわたる会合となった。

質問の内容をみると、カンボジア人職員にとって、この動きは必ずしもうれしいニュースとして受け止められなかったようだ。「自分たちだけでは運営できない」「これからもずっと難民を助ける会に今までどおり引っ張っていってほしい」という不安の声があがった。その一方で、方針変更の実感がわかず、難民を助ける会が引き続き全面的支援をしてくれるはずだと思う職員もいたようだった。

現地法人化を進めるにあたって、「自分たちで考えて提案し、そして行動する」ことや、カンボジアで運営資金を獲得することなど、現地職員にとって新しい挑戦が増加した。その分、仕事も責任も増えるわけだから、それに耐えられず辞職する職員も数名いた。ちなみに、辞職した職員の中には障害をもつ者はいなかったが、これは障害者の厳しい雇用事情もしくは事業に対する関心の高さを反映しているのだろうか。

一番苦労したのは、カンボジア人職員の気持ちを変化させることだった。「やったことがないからできない」という姿勢を「初めてだけど何とかやってみよう」とするまでに半年以上かかった。自分たちが発展させていく団体だということを実感してもうらうために、目に見える変化を起こしていった。組織図のトップに位置していた日本人駐在員の名前を取り外し、組織の意思決定システムを変更した。駐在員専用の部屋をなくすなど、現地法人化後の事務所を想定して模様替えを行った。事業の達成感をもってもらうために、意思決定範囲を広げた。

日々の業務では、自分が仕事をしないようにした。小さな仕事を一つするにも、やり方をカンボジア人職員と一緒に考え、わからないところを説明し、実行し、見直し、再チャレンジということを繰り返した。自分がやればすぐに終わることが3日間かかることもあった。仕事を任せすぎて失敗することもあり、バランスを保つのに苦労した。

ある日、「資金が足りなくなった場合は、僕の給料を減らしてもいいから車椅子を作りたい」という言葉を1人の職員から聞いた。「カンボジアの事業はカンボジア人たちが自分たちで発展させていく」という自覚を持ったカンボジア人職員の変化は徐々にその言葉や行動に表れてきた。

現在の課題

現在直面している課題は、現地での持続的な資金調達である。カンボジア政府社会福祉省への働きかけは他団体と協力して継続的に行っているが、まだ時間がかかると言われている。カンボジア国内での協力者や協力団体を募り収入源を確保するのは難しく、どの団体も頭を悩ませているところである。現在は、カンボジア人職員と一緒に、収入源の確保についてアイデアを出しあっている段階である。懸念していた人間関係の悪化は今のところそれほど大きな問題となっていない。

しかし、難しい局面を迎えるのはむしろこれからである。自立への道をマラソンに例えると、現在のカンボジア事業の状況は、走り出す勇気とやる気を持ったランナー(職員)がスタートラインに立ち、走り出したところではないかと思っている。

終わりに

カンボジアに誕生した2団体の状況を東京から見ていると、彼らの奮闘ぶりを頼もしく思う日と、カンボジア人の長所でもある「のんびりさ」をもどかしく思う日が日替わりでやってくる。

難民を助ける会の事業は現地法人化し外国人不在となったが、これが事業の「自立」であるとは考えていない。孤立することが自立ではなく、事業に関わるカンボジア人が自ら考え、意思決定していく力をつけることを自立だと考えている。そういった意味では、事業の自立は障害者の自立生活運動と共通点が多い。

自立に向けてはこれからが正念場だと思うが、カンボジアを支援してくださる日本の皆様の気持ちを大切にしつつ、少しでもカンボジアの障害者の置かれている状況が良くなるよう、自立発展を目指して支援を続けていきたい。

(かとうみちよ 特定非営利活動法人難民を助ける会 カンボジア事業担当)

i)難民を助ける会の活動については、ホームページ(www.aarjapan.gr.jp)をご覧ください。

ii)World Bank, Data and Statistics

iii)International Campaign to Ban Landmines,“Landmine Monitor2006”, 2005