音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年6月号

第1次「十年」から第2次「十年」へ、中間年後の課題を検証する

高嶺豊

はじめに

今年は、第2次「アジア太平洋障害者の十年」の中間年にあたり、9月には、国連ESCAPで、ハイレベル政府間会合が開催される。この会議に向けて、各国では、十年の枠組みである「びわこミレニアム・フレームワーク」(BMF)の目標達成の評価が行われていると思われる。そして、この会合では、残り5年の行動戦略ともいうべき「びわこプラス5」が採択されることになっている。

筆者は、長年国連ESCAPで第1次「アジア太平洋障害者の十年」(以下、第1次「十年」)に直接従事していたので、第1次の流れを省みながら、第2次「十年」のこれまでの動き、そして、今後への課題を検証してみたい。

第1次「十年」の成果と課題

第1次「十年」は、国連・障害者の十年に引き続く唯一の地域の十年として開始された。その特徴としては、「十年」を実施するための枠組みとして、行動課題が合意され、それによって各国政府が、障害施策を実施したことである。この行動課題は、国内調整、アクセスとコミュニケーション、障害の原因の予防、リハビリテーション、福祉機器、障害者自助団体等を含む12の領域から構成され、各領域において、望まれる施策が列挙された。当時国連では、「障害者の機会均等化に関する標準規則」が採択され、各加盟国への浸透が図られていた。ESCAPの行動課題は、標準規則を参考にし、途上国の事情を考慮して策定され、当時は標準規則の途上国版として位置づけられていた。

そのころまでは、障害問題は、単に社会福祉省の領域として捉えられており、他の省庁はほとんど配慮することはなかった。たとえば、物理的環境や交通機関のアクセスに関して、建設や運輸・交通関係の省庁は、福祉問題としてしか捉えておらず、関心を示すことはなかった。ところが、行動課題でアクセスが重要な領域と明記されたことにより、これらの管轄省庁が直接関わるようになった。

さらに、第1次「十年」の実施に貢献したのが、国連機関、障害関連の非政府組織(NGO)、そして一部の国の代表で構成された課題別ワーキンググループ(TWG)である。TWGは、年2回程度集まり、さまざまな政策提言や、「十年」の実施のモニタリング及び評価を行った。ちなみに、行動課題はこのTWGで草案され、政府間会合に提案されたのである。また、「十年」の啓発においては、地域NGOネットワーク(RNN)が、毎年10年に関するキャンペーンを各国持ち回りで開催し多大な成果を得た。

第1次「十年」の具体的な成果としては、各国政府が、障害者政策や法律を整備・強化したこと、物理的環境や公共交通機関のアクセスへの取り組みが向上したこと、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)の普及、また、障害者の自助団体の形成とネットワークの広がり等が挙げられる。

第1次「十年」は、他地域にもその取り組みが評価され、他地域でも十年が次々と宣言された。ちなみに、アフリカでは2000年から、アラブ地域では2004年から、さらにラテンアメリカ・カリビアン諸島地域でも、2006年に十年を宣言した。

評価の高かった第1次「十年」も、しかし多くの課題を残した。障害児・者の教育は、行動課題の重要な領域であったにもかかわらず、就学率は1割に満たない。またアジア太平洋地域には、4億人の障害者が居住し、その8割は途上国の農村部に住むと推測されているが、農村部の障害者の大半はこの十年の恩恵を受けておらず、貧困な生活を余儀なくされている。これらの大勢の農村部の障害者をどのように包含するかが大きな課題として残された。

障害問題を捉え直す

第1次「十年」の評価に基づき、アジア太平洋地域の政府は、2003年から2012年を第2次「十年」とすることを宣言した。そして、第2次「十年」を実施する枠組みとしてBMFが2002年に滋賀県大津市で開かれたハイレベル政府間会合で採択された。

BMFは、当地域においてインクルーシブ(包含的)で、バリアフリーな、権利に基づく社会の構築を目指すことが目的とされた。また、第1次「十年」の残った課題解決のために教育と障害者の貧困削減を含む、七つの優先領域を定めた。

BMFの大きな特徴は、2000年に国際社会で合意された国連ミレニアム開発目標(MDG)に障害をリンクさせたことである。当時は、ESCAP内でも障害を貧困、開発問題として捉える動きは少なかった。しかし、障害を障害問題としてのみ捉えることの限界が第1次「十年」で実証された。そこで、障害問題を開発問題として捉え直し、開発の取り組みにメインストリーム化することが必要だったのである。

MDGは、2015年までに貧困者の半減、そしてすべての児童が初等教育を受けることを重要なターゲットと定めている。これらのターゲットの中に障害児・者が、対象グループとして明確に含まれていなければ、彼らの地域への参加が難しいことは明らかである。しかし、実際には、各国の全人教育(EFA)の取り組みは遅れており、障害児は国のEFA計画に含まれていないことが多い。また、開発関係者の中では、障害問題は福祉問題としか捉えられてなく、貧困削減事業の対象になっていないのが実情である。このような状況にBMFは、一石を投じることを目指していた。

インクルーシブ開発の高まり

1990年代グローバリゼーションの拡大により、世界で貧富の格差が広がった。そのため、貧困問題が喫緊な国際問題として浮上した。1995年にコペンハーゲンで開催された世界社会開発サミットの主要テーマは、貧困削減であった。サミット文書では、障害者は世界の残された最大のマイノリティーであると認知されたが、開発関係者の中で障害問題に対する理解は深まらなかった。

障害者支援を開発事業にメインストリーム化(本流化)しようとする動きは、我々が予期せぬところから始まった。これまで、世界の開発金融銀行は、開発事業の中でエリート的な存在であった。筆者が、ESCAPに勤務していた当時、世界銀行やアジア開発銀行が障害者支援に関わることは夢のようなものであった。途上国においては、ほとんどの学校、クリニック、社会インフラは、国際開発金融機関によって資金が提供されており、これら金融機関が障害者支援に乗り出せば、多くの障害問題が解決できる。しかし、経済開発を目指すそれら機関には、障害問題は極めてマイナーなことであると思われた。ところが、障害者支援の開発事業へのメインストリーム化は世界銀行が積極的に進めたのである。

世界銀行の障害者支援

世界銀行は1995年から目標を貧困削減に転換した。そして、1997年の理事会において、「社会的、経済的に最も排除されてきた障害者が世銀の開発事業において最も高い優先順位に添える」ことを決定した。この決定に従い、2002年6月には、「障害と開発」担当アドバイザーとして障害当事者で、世界的に著名な障害問題活動家のジュディー・ヒューマン氏が外部から徴用された。また、障害者支援チームが正式に立ち上げられた。

2002年12月には、「障害と開発」に関する世銀主催の国際会議が世銀本部で開催された。この会議で世銀は、障害者支援をその開発事業に包含することを正式に宣言した。開会の挨拶で、ウルフンソン前総裁は、「障害者が開発事業の本流として含まれなければ、世界180か国のリーダーが合意したMDG、すなわち2015年までに貧困者を半減すること、またすべての児童が初等教育を受けること、を実現することは不可能である」と述べた。

世銀は、行内では、基礎的データ収集の中に障害を本流化すること、プロジェクトチェック機能の立ち上げ、障害と貧困に関する調査研究に取り組んでいる。また、対外的には、「障害と開発に関するグローバル・パートナーシップ」というインクルーシブ開発の国際ネットワークを構築している。特に調査研究において、世銀は、国連統計部が立ち上げた障害計測に関するワシントングループの活動を資金的に支援している。このグループは、国際的に共通する障害の定義と障害計測方法の共通化に関して研究活動を行っており、すでに国勢調査の障害に関する質問項目の実施前テストを行う段階まで来ている。また、障害に関する項目は基礎的データ収集など世銀の多くの研究プロジェクトに包含されつつある。

障害と貧困削減戦略ペーパー

貧困削減戦略ペーパー(以下、PRSP)は、参加型プロセスを通じて途上国自身が作成し、具体的に実現させるための包括的・長期的な戦略・政策で、重責務貧困国や世銀融資対象国に対して作成が要請されている。ゆえに、PRSPは、障害問題を途上国の貧困削減事業に反映させるための、重要なプロセスである。しかし、ILOが2002年に発表した調査報告書によると、障害は政府のPRSPにほとんど反映されていない。

同じテーマで2004年には世銀独自の調査が実施された。調査では、障害者の社会・経済的な統合は国際的な合意ができているが、ア.障害者のニーズや特殊事情に関する情報の欠如、イ.不効率で小規模なプロジェクトによる障害支援、ウ.継続性が無く、反生産的な障害施策によって制約を受けていることを指摘している。そのうえで、障害を国の貧困削減事業に包含するために次のことを提言している。1.PRSPガイドラインの作成、2.障害の実践的な定義の作成、3.障害者支援行動計画の作成、4.障害者支援の実施とモニタリングの強化、5.障害者支援実施のPRSPに関連する政策文書への本流化。

PRSPは、すでに世銀だけの要請ではなく、国際開発コミュニティの共同の開発戦略となっている。その意味で、障害者団体及び関係者は、障害のPRSPへの包含がこれからの大きな目標となっていくものと思われる。

今後の課題

2000年のMDGの採択によって、世界の開発支援は、貧困削減へと重心を移していった。さらに、国際開発機関において、障害者支援の流れが顕著になった。このような情勢の中で、BMFによって提言された障害と開発の関係は、今後益々強化されていくものと思われる。そのためには、障害分野の従事者が開発の仕組みを理解し、開発分野の従事者が障害問題を理解することが求められている。第2次「十年」の後半は、その意味で、一般の開発分野に障害をどのように位置づけていくかの模索になると思われる。

日本の障害者運動は、今、障害者の権利条約の批准に向けた国内の条件づくりと、障害者自立支援法の修正という二つの大きな課題に直面している。しかし、障害者運動を飛躍的に発展させる良き機会であるとも考えられる。日本の障害当事者運動の歴史の中でこれほど、障害種別を越えた結束ができつつあることは、これまでなかったのではないか。障害当事者運動が結束して今の課題を乗り越えることができれば、今後、この結束力を国際協力へと拡大することが可能になると思われる。すなわち、現在、さまざまな障害関連団体が実施している国際協力事業を、たとえば、日本障害フォーラム(JDF)の活動として統合し、障害者国際協力団体を結成することである。これには、すでにスウェーデンのSHIAという良きお手本がある。日本の障害者が、継続的かつ持続的に世界の障害者への開発協力支援を行うには、恒久的な仕組みの構築が望まれる。

(たかみねゆたか 琉球大学教授)

 Metts, R, Disability issues, trends and recommendations for the World Bank, 2000, pp.38039.