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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年6月号

5年間で障害当事者団体は、どこまで発展したか

中西正司

1 はじめに

第1次「アジア太平洋障害者の十年」は、八代英太議員の提唱によりスタートしたものであり、世界の国連・障害者の10年をそれだけでは終わらさないで、障害者問題に関する関心をさらに各国政府に持たせることに寄与した。これは大きな影響を世界に与え、2000年からはアフリカが障害者の10年を宣言し、米州障害者の10年も始まった。

2002年の最終年にはハイレベル政府間会合が琵琶湖で開催され、今後10年の具体的な行動計画を示す「びわこミレニアム・フレームワーク」(BMF)が採択された。

2 DPI提案による第2次「アジア太平洋障害者の十年」の成立

2002年ESCAPで、DPIアジア太平洋ブロックが提案した、アジア太平洋障害者の十年の延長が討議された。障害者団体の提案に基づいて新十年が成立したことは、当事者主体の時代の幕開けを意味した。アジア太平洋地域においてBMFの具体的な数値目標の期限内実施を各国政府に迫っていくことが、新十年の目標となっている。七つのBMFの分野のうち障害当事者団体の発展について以下、詳細に見ていくことにする。

3 02年DPI札幌世界会議開催

DPI日本会議は2002年、札幌において世界120か国3000人の障害者を集め、4年に1回開かれる障害種別を越えた世界会議を開催した。過去5回開かれた世界会議の中でも最大の参加人数を誇る大会となった。

自立生活の分科会には300人を超える参加者が集まり、世界中の自立生活運動の活動家が参加し、交流や情報交換を行い大きな成果を収めた。世界の障害者に自分たちの力を自覚させた大会となった。

4 韓国の自立生活運動と移動交通権運動

韓国では世界会議開催の前年、ソウル市の地下鉄で車いす障害者が駅の階段昇降機から転落するという事故が起こった。度重なる事故に、200人の障害者が抗議を繰り返し、障害者団体は大規模な抗議運動を行った。

リーダーの1人はハンガーストライキに入り、ソウル市と地下鉄当局に対して全駅のエレベーター化を要求した。DPIなど世界中の障害者団体、個人、政府関係者からソウル市長と地下鉄責任者に対して抗議のメールやFAXが送られ、37日目になってようやく両当局は全駅の完全エレベーター化を即時実施することを宣言した。

この運動は、特にアジア全域の障害者に自分たちの持つ力への大きな自信と誇りを与える結果となり、その後アクセスデモや行動が行われることとなる。

ソウル市はこの事件をきっかけにこれまでの障害者対策を見直し、日本にも介助サービス制度についての調査団を派遣し、自立生活センターでの検討に入った。障害当事者運動がこの5年間最も活発だった国はどこかと問われれば、韓国は最も成果を上げた国と言える。現在40か所の自立生活センターが活動している。

5 日本における支援費闘争と韓国の介助サービス制度

支援費制度は2003年にスタートしたが、前年の2002年2月に障害者のホームヘルプサービスを1日4時間に制限するという情報が流れ、障害8団体は結束し障害者運動史上35年ぶりと言われる大規模な反対運動へと発展した。上限設定は撤廃され、新たな地域生活支援サービス制度についての検討委員会が開催されることとなった。

韓国の障害者たちは、日本のこの運動を自国の介助サービス制度制定上における先例とみて政府との話し合いを始めるなど、障害者団体間の情報交換網はアジアと世界に広がっている。

6 パキスタンにおける自立生活運動と地震救援活動

2001年にダスキン障害者リーダー研修で来日したパキスタンのシャフィック氏は、8か月に渡って日本の自立生活センターで研修を行い、帰国後「ライフ自立生活センター」をスタートさせた。公園でのアクセスチェック活動では、行政に対し、アクセスへの認識を改めさせることに成功した。独自の介助サービスもスタートさせ、介助者の養成もしている。

2005年のパキスタン北部の地震では、地震の2日目には現地へ毛布や衣類などを輸送し、障害者救援活動にあたった。その活動は高く評価され、世界銀行は4か所の被災地でのピア・カウンセリングや自立生活プログラムなどのサービスを提供する拠点としての自立生活センター設立支援を行うとともに、現在はラホール郊外にも新たなセンター設立の支援を行っている。

7 タイAPCDでのリーダー育成と自立生活運動の展開

タイのAPCD(アジア太平洋障害者センター)は日本政府の援助によって2002年に活動を開始した。その1年前から自立生活センターの運営管理とピアカウンセラー職員養成講座がパタヤのレデンプトリスト障害者職業訓練学校を借りて行われた。

1年目の講義では、日本から派遣された重度障害者が講師となって、自立生活プログラムの研修などを2週間に渡って行った。参加者からは熱狂的な反響があり、研修終了後作られた今後3年間にわたる事業計画案では、3年後に3か所の自立生活センターが設立されることになり、実際そのとおりの結果になった。

3年目の研修からは、タイ人の障害者がサブリーダーとなり、フィリピン、パキスタンから各10人の参加者を得て、自立生活センターの運営管理者とピアカウンセラーの養成が行われた。

ナコンパトム県では新たに2か所の自立生活センターが本年までにできており、地域行政の資金支援を受け行われている。ノンタブリ県では2階建ての事務所に1名の専従職員が入り、県内3地域でのアクセス改善運動とピア・カウンセリングなどが行われている。またタイ自立生活センター協議会の事務局が置かれ、近県の開発が目指されている。チョンブリ県の自立生活センターでは、市の協力を得て体験室のついた事務所ビルが作られ、自宅で家族の放置によって床ずれになり死にかけていた障害者が病院に収容され、その後この体験室で生活している事例もあり、積極的に地域支援が行われている。

タイにおける当事者運動は、自立生活センターだけではなく、リハビリテーション法の成立へ向けての活動やモノレールや地下鉄のアクセス化に向けての1500人の大行動、新国際空港のアクセス化訴訟など多彩な行動が、DPIを中心に行われてきた。

8 マレーシアの自立生活運動

マレーシアではシウチン女史の主催する障害者団体、ビューティフルゲート(BG)が、グループホームを中心に全国5か所で当事者支援を行ってきた。またペナンやジョホールにも障害者団体がある。その3市の障害者リーダーを招き、JICAの支援でリーダー養成研修会が開催された。研修は2004年から3年間に渡って行われた。現在、自立生活センターという形での活動はまだ出来ていないものの、1、2年のうちに動き出すものと思われる。政治的な自由の制約はあるが、アクセスデモは着実な成果を挙げており、地下鉄のアクセス化がなされている。

9 フィリピンの自立生活運動

マニラの脊損協会、セブ島のHACI、ミンダナオのHACIの3団体が数名のリーダーをAPCDの自立生活セミナーに2年に渡って派遣し、自立生活センターの設立を目指している。そのうち2団体はすでにセミナーを独自財源で開催しており、介助サービスも一部で始まっている。

10 ネパールと台湾における自立生活運動

ネパールと台湾では、ダスキン障害者リーダー研修で1昨年来日した、クリシュナ氏とリン女史がカトマンズと台北で、それぞれ自立生活センターを始めている。両者とも日本から講師を迎え自立生活セミナーを開催している。ネパールではすでに20数人の会員がおり、事務所には2人の専従スタッフがいる。台北でも数名の職員が毎日活動をしており、介助サービスも研究中で、近い将来大きな発展が期待できる。

11 おわりに

第2次十年はその半期を終え、前記のような、当事者団体の急成長をもたらした。アジアの障害者は元気である。後半期の5年にどれだけの発展を遂げるのか、目が離せない状況である。

2007年9月にソウルで開催される第7回DPI世界会議では、APNIL(アジア太平洋自立生活センターネットワーク)会議の開催の他、第3回グローバルILサミットも開催され、世界自立生活センターネットワークの結成も予定されている。

(なかにししょうじ DPIアジア太平洋ブロック議長)