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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年7月号

本人の暮らし、家族の暮らし

地域社会による精神疾患患者支援はきょうだいの感じるニーズの実現が大事!

上落合謙次

私は統合失調症と診断されているきょうだいを持つ。数年前に再発し医療保護入院となった。再発時、すでに両親は亡く、長男である私が保護者となった。紆余曲折を経て、現在、私の家から2時間ほど離れた地方小都市にて独居生活を送っている。

私には家庭があり、これを壊すわけにはいかない。退院直後に一度、当事者と私の家族は同居を試みたが半年で破綻に至った。同居で支えるということは、当事者の家族にとって、「支えてやりたい」という気持ちと裏腹に、大変疲弊し、また家庭が崩壊しかねないということである。

きょうだいが支える場合、親ともっとも異なる点は、生活単位が別ということだ。特に私のような立場にある者は、自分の家族との生活を維持しつつ、きょうだいの支援をするが、両者はしばしば対立し葛藤を生む。生活単位の違いは、さまざまな制約を生み、責任を果たすうえでいくつものハードルが立ちはだかる。

まず、同居は基本的に難しいため、当事者に対してやむなく独居を強いる場合が多い。統合失調症の症状悪化要因であるストレスに打ち拉がれた時、そばにいてそれを軽減してやれる体制をつくれない。独居の場合、本人の生活状態がよくわからない。電話やメールなどの言語情報は一部を表しているにすぎないし、顔色や身体状況など観察情報が得られないため、真実が読めない。医療やリハビリ機関(作業所、デイケア等)は、通院通所時だけでなく、当事者の生活に密着して情報を集めるとともに、必要ならば本人にアドバイスをしてほしい。さらに、何か課題が生じ、医療やリハビリ施設、行政等との連携が必要となった場合、家族が各機関と相談して回らなければならない。しかし、これを実行するためには、物理的距離の克服や自分の勤務先との調整の問題等が生じ、非常に消耗するのである。連携の中心は家族ではなく、当事者側に立つ専門家であることが望ましい。

しかし、残念ながら現状では、医療は短時間の問診に基づく薬物処方、リハビリ機関は当事者が通う日中の時間帯のみの対応にとどまっている。これでは、精神疾患患者の生活の全貌が分からず、適切な医療、適切なリハビリができるわけがない。当事者の日常生活レベルに大胆に踏み込んで、本人の真のニーズを探り、それに応えるべく、もっと積極的な活動をしてほしいものだ。そして、行政には、当事者側に立ち、各機関の連携を指揮する専門家を育成するシステムづくりを望みたい。

(かみおちあいけんじ 東京兄弟姉妹の会)