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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年7月号

1000字提言

福祉と医療の連携とは

市川宏伸

支援対象者や家族への支援内容も多岐にわたっており、近年“多職種の連携”が必要になっている。日本の行政施策は長らく縦割りであり、横の連携が不十分であった。

知的障害を例にとれば、福祉、医療、教育、労働などさまざまな分野における連携が行われている。知的障害は低年齢から生じているのが通常である。1.5歳、3歳時健診は医療の中で行われ、必要に応じて母子通園施設や治療教室が用意される。保護者が共働きであれば保育園が(厚生労働省管轄)、そうでなければ3歳になると幼稚園も用意される(文部科学省管轄)。就学すれば、教育が中心となって対応が進み、18歳を超えると、知的水準が高い場合は大学・専門学校などに通い、知的水準が低い場合は知的障害者施設などが対応する。知的水準と関係なく、精神保健福祉センター、発達障害者支援センターなども対応してくれる。

学齢期の子どもを考えると、朝になると自宅から学校に登校し、授業終了後は学校で過ごしたり、生活(学童)クラブに行き、夕方以降は自宅に戻る。学校は文部科学省管轄だが、生活クラブは厚生労働省管轄である。これらのさまざまな施設で、全く異なる対応がとられていれば、支援対象者は混乱するであろう。

医療と福祉の関連に限定すると、この連携も不十分である。筆者の経験でも、福祉における医療のイメージは「難解なことを言って、患者をモルモットにして威張っている」存在であり、医療における福祉のイメージも「非科学的なことを繰り返して、医療を理解しようとしない」存在である。

私が施設に勤務していて驚いたのは“医療への不信感”であった。中には、「医療に世話になるのは、福祉の人間として敗北である」と考えている人もいた。しかし、医療機関での施設利用者の治療が1人うまく行くと、その後、何人も利用者が受診してきた。このことは、「良質な医療が提供されれば、施設利用者の中に医療ニーズはたくさんある」と考えられる。

医療機関の絶対数が少ないために、福祉における医療の供給は極めて乏しかった。支援対象者にとって実りある連携になるためには、連携するもの同士が、相手について詳しく知るべきである。「医療は何ができて、何が苦手なのか」、「福祉は何が得意で、何が苦手なのか」を知ることである。

「医療は何もしてくれない」、「福祉は何も分かっていない」と非難しあっても仕方はない。「支援対象者のために何が大切か?」という原点に戻って真の連携を目指すべきである。

(いちかわひろのぶ 東京都立梅ヶ丘病院院長)