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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年8月号

ワールド・ナウ

UNESCAP/APCD共催
「ネットワークと協働による障害者のエンパワメントとバリアフリー社会についての関係者会議」に参加して

奥平真砂子

この会議期間中に亡くなった、トポン・クンカンチット氏(タイ・APCD理事)のご冥福を心よりお祈りいたします。

はじめに

第2次「アジア太平洋障害者の十年」が2002年に国連アジア太平洋経済社会委員会(UNESCAP)により採択されて5年、2007年度はその折り返しの中間年である。そのため、第1次「アジア太平洋障害者の十年(1993―2002)」の最終年に宣言されたBMF(びわこミレニアム・フレームワーク)の中で設定されている目標の達成度を調査したり、今後5年間の行動計画を話し合ったりする作業が盛んに行われている。

一方、第1次「アジア太平洋障害者の十年」の成果の一つとして、タイ政府と日本の国際協力機構(JICA)との協力で設立された、アジア太平洋障害開発センター(APCD)も2002年8月の運営開始から5年が経過し、今年はこれまでの評価やこれからの方向性の検討などが進められている。

そのような中、UNESCAPとAPCDの共催で、「ネットワークと協働による障害者のエンパワメントとバリアフリー社会についての関係者会議(Highlevel Stakeholders’ Workshop on Empowerment of People with Disabilities and Barrierfree Society through Networking and Collaboration)」という長いタイトルの会議が6月に開催された。私は「障害と開発の課題について効果的に取り組むための技術支援と仕組み(Technical Support and Mechanism to Move Forward Issues of Disability and Development)」と題された8日のパネルディスカッションにパネリストの一人として、当協会(日本障害者リハビリテーション協会)が実施している国際研修事業について話す機会を得たので、ここに報告する。

会議報告

会議は、6月6日(水)から8日(金)にかけて、タイのバンコクにある国連ビルの会議場で開催された。参加者は、APCDのフォーカルポイントの国から政府関係者及び協力団体、国際援助団体、そしてAPCDがこれまでに研修や支援した関係国の障害者団体からの代表など、日本を含む20か国(バングラデシュ、カンボジア、中国、フィジー、インド、インドネシア、カザフスタン、ラオス、マレーシア、ミャンマー、ネパール、パキスタン、パプアニューギニア、フィリピン、スリランカ、ウズベキスタン、ヴァヌアツ、ベトナム、タイ、日本)から約60人であった。

その目的は、1.招待国政府の障害関係施策の開発促進と、適切な事例を共有することによるAPCD関係団体の活動促進、2.APCDのフォーカルポイントの国及び協力団体、国際援助団体、UNESCAPのネットワークと協力関係を強力にすること、そして、3.それら関係者からの提言を受け、これからのAPCDの活動をよりよくすること、以上の3点に絞られていた。

期間中の主な内容としては、APCDが過去5年間に研修・支援した国や障害者団体からの事例報告だったが、1日目の午前中は、オープニング・セレモニーとして記念講演が行われた。タイ政府の社会開発人間安全省副長官やESCAPの副事務局長、JICAタイ事務所長などが壇上にのぼった。午後には、ESCAPの人口社会統合課の秋山愛子氏からBMFの項目との関連で、障害当事者組織の育成、貧困削減、アクセシビリティなどについての進捗状況が報告された。そして、後半5年の行動課題を推進するためのびわこプラスファイブについても話があった。

2日目の午前中には各国からの事例報告がなされ、午後からは三つのグループに分かれてフィールドトリップが実施された。グループAはアクセス体験のためにバンコク市内を走っている地下鉄の試乗を行った。グループBは視覚障害者の情報保障を確立している施設を視察するために、バンコク市内のタイ盲人協会と国立電子技術センターを訪問した。グループCは、重度障害者の地域での自立生活を支援しているバンコク市の隣県ノンタブリ自立生活センターの訪問であった。

最終日の午前中は、前日のフィールドトリップについてグループごとにまとめて発表した後、いよいよ私が参加するパネルディスカッションの時間となった。パネリストは5人で、私の他に世界ろう連盟から久松三二氏、知的障害者を支援するインクルージョン・インターナショナルの長瀬修氏、企業としてバリアフリー化に取り組んでいるフィリピンのSMショッピングモールの代表、そして突然亡くなったトポン氏の代わりに、DPIアジア太平洋事務所のスタッフが未完成の原稿を代読した。

発表者は、それぞれの組織の取り組みや今後の計画などについて説明した。私は当協会及び、今年で第9期を迎えるダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業についての紹介と成果、APCDやESCAP、国際援助機関などとの協力関係の必要性を提案した。

コメンテーターとして参加していたAPCDの二宮皓家氏が最後にまとめを行ったが、APCDは今後、これまで十分でなかった聴覚障害者と知的障害者への支援と、新たに民間企業との協力関係構築に、積極的に取り組んでいくと述べた。

午後は国ごとに3日間のまとめの話し合いのあと、それを発表し、最後は全体のラップアップで会議は終了となった。

帰国研修生の活躍

うれしいことに、この会議には、当協会が実施している研修プログラムの「JICA障害者リーダー育成コース」と「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」から、それぞれ2人の帰国研修生が自国の代表として参加していた。JICA研修の帰国研修生は、1999年に来日したフィジーのセタラキさんと2002年のパキスタンのアティフさんである。もう一方のダスキン研修からは、第3期のシャフィクさん(パキスタン、2002年)と第4期のヴァシコルさん(バングラデシュ、2003年)である。

APCDは障害者団体を育てる目的を持ち、異なる国で3日間ほどの研修を毎年、当事者主導で実施しているが、一昨年はパキスタンで、昨年はフィジーで開催されたので、彼らはその報告を含め、自分たちの団体の活動について発表した。また、ヴァシコルさんからは、APCDが実施した視覚障害者対象のICT(Information and Communication Technology)セミナーを受講した成果と、その後の活動についての報告があった。

帰国研修生がそれぞれの国でリーダーとして活躍し、国の代表として国際会議の舞台で発表する姿を見ることは、直接、研修プログラムに関わる者として、また実施団体として非常にうれしいものである。

おわりに

この会議の期間中に、APCDの理事であり、DPI(Disabled Peoples’ International)アジア太平洋ブロック開発担当官でもあったトポン・クンカンチット氏が亡くなった。彼は、今会議前の週にバングラデシュで体調を崩し、帰国後も高熱が続き入院していたが、会議2日目の7日のお昼過ぎに突然の死亡のニュースが伝えられた。その知らせが流れた途端、会議場は深い悲しみに包まれ、参加者の多くはショックを隠せなかった。8日のパネルディスカッションの際、彼の未完成の原稿が代読された時は、私自身、涙が止まらなかった。

トポン氏はタイのみならず、アジア、世界を代表する偉大なリーダーであり、日本のリーダーたちとも深い親交があった。私が彼と最後に話したのは、この3月末にダスキン研修の第9期生の面接に彼の事務所を訪れた時であった。その時、彼はAPCDのこれからの在り方や次の世代のリーダー育成の必要性について、熱心に語っていたことを覚えている。

今回の会議でAPCDの過去5年間の実績が事例として報告され、それらを基に今後は次の方向性を導き出していくのだろうが、トポン氏はそのような話し合いには欠かせない人であった。それだけに、彼の死は障害関係者にとって大きな損失である。

しかし、嘆いてばかりはいられない。会議参加者は「彼の遺志を継いで、これからも全力で活動する。」と強く決意していたが、本当に障害者は協力して活動していかなければならない。昨年12月に採択された国連の障害者の権利条約を、真に意味のある条約にするためにも、世界の障害者が一つになる必要があるだろう。

(おくひらまさこ 日本障害者リハビリテーション協会研修課)