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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年9月号

障害者の社会参加と人的支援

山本耕平

はじめに

日本国憲法は、「個人としての尊重」を追求し、そのもとでは、どんなに重い障害があっても、公共の福祉に反しないかぎり、当事者が決定した人生は尊重される。わが国の福祉は、この憲法の精神を実現する運動とともに充実してきた。しかし、一方で、1970年代中頃から1980年代中頃には、拡大する福祉にストップをかけるため、中流意識幻想と高齢化社会危機理論を巧みに活用しながら福祉見直しが進められた。今日の障害者自立支援法の根幹となる社会福祉基礎構造改革、さらに1995年の社会保障制度審議会勧告は、国家責任から自己責任へと社会保障理念の変更を明らかにし、障害者のみならず、より広範な国民の生活を脅かしている。

障害者の社会参加と人的支援を考えるうえで、今こそ、命と暮らし、発達を護(まも)るために、支援者(専門職支援者のみでなく)と国民に、何が求められているかを考えたい。

1 当事者の可能性と楽観的に向き合える支援者

今、悲しいことであるが、障害者福祉の現場に好んでやってくる若い支援者が減っているのではなかろうか。障害者自立支援法は、日中生活の場においても、暮らしの場においても、若い世代が魅力を持つ福祉職場を創りあげる見通しを与えない。今、若い世代の支援者に「楽観性を持ち、将来を見通した実践を行おう!」というメッセージを送ること自体が冷酷であるかもしれない。

しかし、障害者福祉の現場で働き、当事者が持つ社会参加への無限の可能性と楽観的に向き合う時、重要な歴史的課題を現実のものとしていることを実感する時がある。

数年前に保健所のソーシャルワーカーとして出会ったA君(30歳)と、最近2級ヘルパー養成の場で再会した。精神障害のある彼は、両親に置き去りにされ、隣人からの通報で精神科に入院した。入院中に何回ともなく無断で外出し、保健所を訪れてきた。その度に、度重なる無断外出に苦言を述べつつも、このままだと彼を精神科病院に入院させたままになってしまうという焦りと不安に襲われた。

入院して2年が経過した頃、A君から「退院して一人で住みたい」との思いが伝えられた。担当ソーシャルワーカーは、麦の郷(和歌山市)の職員に彼のことを相談した。この職員は、「みんなで乗り越えていきましょうよ」と応じた。この言葉は、集団の力と職場を超えた連携や協働により、楽観的かつ科学的な社会的支援が展開されているが故に生じる自信に満ちたものである。

麦の郷の支援の根底には、当事者を問題の束として把握せず、限りない可能性を持つ存在として捉えるストレングス視点が流れる。さらに、当事者と支援者との間ではパターナリズム的な関係が克服され、同じ時代を共に歩むパートナー(仲間)としての関係が存在する。もちろん、当事者の支援に楽観的に取り組むことができるためには重要な資源整備が必要である。それは、働く場・暮らしの場・24時間稼動のヘルプラインやフレンドシップラインである。麦の郷は、それらを確実に充実させるために行政や地域と共に歩んできた。

多くの支援者が、燃えつきを体験せずに実践するために必要なのは、根性ではない。燃えつきないために必要なのは、障害のある当事者と共に将来を語り、将来を夢見ることができる実践であり、その実践を裏づける制度・政策、さらにその制度・政策を生み出す国民的運動である。

2 障害と向き合う誇りを育てる支援者

きょうされん主催の「第5回暮らしの場交流会(滋賀)」で、貴重な実践報告が行われた。今、知的障害者グループホームで生活する人の中には、幼児期から思春期にかけ、不適切な育児のなかで育った当事者がいる。身体的外傷体験や心理的外傷体験は、それ自体が一人の人間として生きていく価値を見失い、自己尊厳を喪失する働きをすることがある。また、障害を理由にした外傷体験は、自己の障害を受け止め、障害と向き合うことを困難にする。なかには、生きていてもいいのかどうかを確かめるかのように何回も自傷や自殺を企図する人もいる。今回の実践報告者の一人も、そうした当事者と向き合う支援者だった。

乳児期から思春期にかけ、虐待が証明されなくとも、何らかの外傷体験を持つ当事者がいる。彼や彼女が、一人の人間として生きて行くために必要なことは、まさに人としての尊厳を取り戻すことではなかろうか。報告者たちは、さまざまな困難を抱えながら発達しつつある当事者が尊厳を取り戻し、一人の障害のある人としての誇りある人生を獲得するために集団議論を重視してきた。

権利主体としての尊厳を奪う状況を克服するために、支援者は、当事者が何を願い、何を必要としているのか、さらに、その願いを阻害している要因は何かを正確に判断する力を高めなければならない。次には、そこで、判断した事実や今後の支援のあり方について、当事者を交え議論する力と方法が必要となる。障害と向き合う誇りを育てるためには、障害のある人が歩んできた人生と丁寧に向き合い、事実を事実として当事者に伝え計画的な支えのなかで、当事者が自己の障害と向き合う能動性を高めることを目指す取り組みが必要である。

残念ながら、障害者自立支援法下で展開されている病院敷地内グループホームや、退院という概念には合致しない精神障害者退院支援施設では、今回報告された「手のかかる」人と評価される人は、医療や看護の専門職の傍らにいるほうがよいとのまことしやかな議論が行われ、当事者を管理し続ける可能性がある。また、その管理下では、当事者を客体とした行動修正が行われる。そうした管理や行動修正は、当事者が自己の可能性に気づき、人や社会と能動的に関わることが奪われる。それは、障害当事者からの社会参加可能性の剥奪につながる。

3 要求と向き合う支援者

社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士のそれぞれの協会は、倫理綱領を定めている。その倫理綱領は、人間としての尊厳や価値を認識し、共生社会の実現を目指すこと、さらには安心して老いることができる地域や社会を追求することを目指している。

さて、専門職性は、どこで発揮されるのであろうか。私は、当事者が安心して地域生活を行うために、その要求と向き合う中で発揮されると考える。しかし、現状は、必ずしもそうなっていない。

本年7月、まさに福祉が人を殺した事件(北九州生活保護事件)が報道された。多くの国民にとって「自立」は、最大の願いであり、要求である。支援者は、その自立が可能となるために、あらゆる社会資源を活用するとともに、社会資源が存在しなければ創りださなければならない。もし、当事者に生活する見通しが立っていないにも関わらず、その当事者を社会的支援の外に置こうとするならば、それは倫理を踏み外した反福祉的行為であるとともに犯罪的行為である。

福祉が人を殺しかねない事例は、他にも存在する。40代後半のBさんは、商店を経営していた4年前に交通事故を起こした。その事故がきっかけとなりうつ病を発症した。被害者の死にショックを受け、賠償もあり商店を閉めた彼は、当初、肉体労働に就いた。しかし、慣れない仕事でうつ病は重度化した。入院した病院のソーシャルワーカーに生活保護を勧められ受給が始まった。2年前に退院してから職に就く努力をするが、どうしても叶わなかった。毎月の生活保護ワーカーの訪問が恐怖だった。ワーカーは、繰り返し就労が可能であるのではと問いただし、「自立」を強要するのである。ある日、難病患者の妻の首を絞め、自分も死のうという衝動に駆られたが、極限で病院ワーカーに電話し再入院となった。

当事者の要求と向き合い、その要求を実現することにどん欲である支援者の存在が、障害者の全面的な社会参加のために欠かせない。しかし、障害や病気が自己責任であるとする政策が、ややもすると現場の支援者が憲法25条で規定された基本的生存権を無視し、倫理綱領から外れた支援を行ってしまう背景となっている。

4 共に歩む仲間たち

障害のある当事者にとって、仲間の存在は大きい。仲間とは、障害と向き合いながら同じ時代を共に歩んでいる人である。当事者が相互に支えあうピア・カウンセリングの必要性は言うまでもない。ただ、カウンセリングのみならず、当事者が人生の何らかの決定を行う際に仲間が、その当事者の権利擁護者(ピア・アドヴォケーター)として機能する仕組みを作り上げることが必要ではなかろうか。

ピアを、安上がりの社会福祉資源として活用できるという発想があってはならない。ピアは、相互の権利を護りあう存在として機能しなければならない。ピア・アドヴォケートは、まさに障害種別を超えた取り組みとして行われるべきである。また、障害程度区分の認定調査においても、当事者と日常的に関わりのあるピア・アドヴォケーターが調査時に同席し、当事者の生活のしづらさを代弁する取り組みが求められる。専門職支援者は当然の義務として、この代弁を認定に反映させるように努めるべきであろう。

他にも、障害種別を超えた権利擁護の取り組みは展開されつつある。精神障害者のC君(30歳)は、自閉性障害と聴力障害、さらに左半身マヒのある27歳のD君が聴力障害者の作業所から自宅に帰った後、母が帰宅するまでケアを担う。統合失調症のために3回の入退院歴を持ち、現在は共同作業所で働くF君は、統合失調症の仲間G君の地域生活ケアとケアマネジメントを行う。先日、症状の再燃をもたらしたG君を交えて、彼の入院について保健所ソーシャルワーカーと議論する機会があった。F君は、G君の再燃は、就労への焦りがストレスとなり服薬を中断していたためであると話し、共同作業所とグループホームでの支え、それに訪問看護を加えることで乗り切ることができると主張した。G君の願いもF君の主張と同じく地域での危機回避であった。保健所ソーシャルワーカーは、F君とG君、それにG君の通院するクリニックのソーシャルワーカーや訪問看護スタッフも交えたケア会議を招集し、地域支援の方針が決定された。

相互に権利を護りあう仲間の存在は、障害のある人が、支えあい、社会参加を可能とするうえで不可欠な課題である。

おわりに

障害のある人の社会参加を可能とするためには、ボランティアをはじめ広範な国民(隣人)の協力と理解、さらに協働が必要である。障害のある人の課題が当事者と家族の自己責任であるかのような攻撃は、地域住民の連帯を弱める働きを行う。住民が、その地域で生活する障害者と共に地域の生活課題と立ち向かうことが可能となる時、障害者のみならず広範な国民の福祉要求が叶えられる。

広範な国民が、障害者の完全な社会参加という歴史的な事業に参加する時、より多くの人が自己の尊厳を獲得し、生き暮らす価値を見出すだろう。

(やまもとこうへい 立命館大学産業社会学部)

【参照文献】

1)峰島厚 「障害者自立支援法と実践の創造」全障研出版、2007

2)藤井克徳・田中秀樹 「わが国に生まれた不幸を重ねないために―精神障害者施策の問題点と改革への道しるべ」萌文社、2004

3)山本耕平 「精神障害をもつ人が地域でくらしていくために―介護保険統合論と、求められる社会的支援(シリーズ・障害者の自立と地域生活支援」かもがわ出版、2004