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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年9月号

生活支援における人による支援の現状と課題

加藤真規子

1 障害者自立支援法の断面

2006年4月、障害者自立支援法が施行された。この法律は利用料の1割の応益負担を導入し、介護保険同様の障害程度区分・審査会を設け、障害程度区分認定調査の結果に基づいて、サービスの支給を審査会で決定するというものだ。2009年には介護保険への統合を厚生労働省は考えている。

2006年12月に障害者自立支援法は、以下の点が見直された。1.利用者負担の更なる軽減として、世帯収入で決まる負担上限額を現行の4分の1とする。2.事業者に対する激変緩和として、通所事業等で日割り方式の変更等で大きな影響が出ていることに対して、従前額の90%保障や送迎加算等を行う。3.新法への移行等のための緊急的な経過措置として、作業所助成制度(110万円)、デイサービスや精神障害者地域生活支援センターの経過期間を延長(2008年度まで)、地域移行の推進や重度訪問介護等の在宅障害者地域生活支援基盤整備等の事業を行う。

このような障害者自立支援法で逆流しようとしている生活支援ではあるが、このような時にこそ、私たちが大切にしてきたことを見失ってはならないと考える。

2 こらーるたいとうの理念

NPOこらーるたいとうは、1998年8月に精神障害者ピアサポートセンターこらーるたいとうとして活動を開始した。こらーる、つまりコーラス。たいとうは対等・台頭・台東区。私たちの願いは、お互いの心を耕して、助け合う人々のネットワークを町の中に作りたいというものであった。『幻聴』や『妄想』そのものが問題なのではなく、それが本人の自信を奪ったり、差別されたり、周囲の人々との関係を悪化させることが問題なのだと私たちは考える。

苦しい時に苦しいと叫ぶことができる人間関係を網の目のように作っていくことが、人間としてのリカバリーへの過程となる。リカバリーとは精神病が治るとか、良くなるという意味ではなく、人間として復権すること、失っていた自信や自尊心を取り戻すこと、自分の人生や生活に意味・希望を見出すことである。そして体験の幅を広げ、自信を取り戻し、権利意識を形成していく。権利意識は障害がある人々が主体者として立ち上がるところから育まれていく。

日常生活の中にこそ権利擁護は存在してほしい。権利擁護が極めて重要であるのは、社会の差別・偏見の強さ、障害者福祉施策の貧困が、障害がある人々の自己実現や自立生活のバリアとなってきたからだ。仲間同士で互いの語りを聴き合うこと、情報提供も重要な権利擁護である。このようにセルフヘルプグループの意義は、競争社会から排除されてきた人々の側から下意上達で弱者をも包み込んで、信頼関係で人々が繋がれていく社会に変革していこうとする営みである。自分の言葉を取り返し、自分史を語り合い、聴き合う関係を軸にして相互支援、相互自己実現の関係を築いていく。体験的知識や情報を伝え合うことにより、お互いの命や暮らしを豊かなものにしていこうという営みである。

3 こらーるたいとうの生活支援活動

こらーるたいとうの生活支援活動としては、相談活動、入院している仲間やひきこもりの仲間への友愛訪問、そして退院支援活動、お茶の間活動、暮らしを作る食事サービス、遊び・文化活動を行っている。

いくつかの事例を示そう。こらーるたいとうでは、語りや活動の記録を本に残してきた。当事者が語り、当事者が発信し、当事者が編集するという姿勢で出版してきた。『BILIEVEわたしの力を信じる』『YESセルフ・ヘルプを楽しむ』『あったかい きもち いっぱい―ピア・サポート―』『ピアヘルパー―体験を抱いて、仲間を支援する―』『ピアサポートで世界をつなぎたい』の5冊である。自分の言葉を失っていたかに見えた人々が、語る機会のなかった人々が、作文など何十年も書いたことのなかった人々が、自分の体験を理解してもらいたいし、自分の経験を伝えたくて語ったり、書いたりしてきた。『成長』とか『変化』をリハビリテーションや訓練の名のもとに、強迫的に求められてきた。けれども実際は特別変化のない、同じような毎日があるだけだ。しかし、ただ静かに繰り返されるように見える日常は、安心できる人間関係や居場所があってこそ続くものであることを語りついできた。

2004年2月、念願だった精神障害者ピアヘルパー養成講座を開講した。これは、ヘルパー2級と精神障害者ホームヘルパーの資格を精神障害がある人々が習得するというものだ。現在は、精神障害者ホームヘルパーという資格がなくなったのでヘルパー2級のみとなっている。精神障害という苦しくてネガティブだった体験が、当事者ならではの貴重なポジティブな体験に転換することは、就労の機会としての意味のみならず、精神障害がある人々のリカバリーに大きな意味をもたらした。ある人は「お年寄りの介護実習で命の大切さを肌で感じ、以前より優しく接するようになれた。仲間の役に立つ仕事がしたい」「精神障害をもっていることを誇りにして生きられる社会にしたい。そのためにも当事者のヘルパーを増やしたい」と抱負を語っている。さらにヘルパーとして他者への支援に地域社会へ出ていくことは、己やこらーるたいとうへ向いていた気持ちやまなざしが地域社会で生きている他者へと開かれたということでもある。

2004年6月から、東京都練馬区にある民間精神科病院Y病院への友愛訪問活動を開始した。病床数は454床。1980年前後、開放化運動の流れにより各病棟が入院から退院までを担い、多くの退院者があった。現在、長期入院している人々は開放化運動に乗れなかった人々や、一度退院したが、その後再入院した人々が中心だ。『支援者』という役割ではなく、障害や疾病を抱えながら『仲間』という地域生活を送っている人々が、ありのままの姿で訪問し、交流することで、結果的に『サポーター』の役割を担うという活動である。現在ではNPO障害者権利擁護センターくれよんらいふの『地域福祉権利擁護事業』を利用して退院し、地域生活を送る人もいる。また退院をめざして、『こらーる喫茶』の店員としてY病院から通っている人もいる。

4 生活支援活動の課題

まずこらーるたいとうとしては、1.地域活動支援センターとして認可してほしいと東京都墨田区と交渉を重ねている。財政基盤の脆弱さは恒常的なマンパワー不足を招き、当然の帰結として活動が疲弊しがちである。2.理事会に第三者的な立場の人々にも入ってもらい『仲間理事会』から脱却すること。3.NPOこらーるたいとうを『組織』にすること。現段階は個人の努力に負いすぎていることが課題だ。

次に、障害者自立支援法の中の生活支援活動として課題を述べておきたい。1.応益負担をやめ、応能負担とすること。2.支給決定方式の見直しとして(1)現行の障害程度区分は『身体機能』を中心としたものであり、精神障害・知的障害の障害特性を考慮したものに改めること。(2)支給決定量の地域格差をなくすこと。支給決定量引き下がりの市町村へ改善を促すこと。3.移動介護が個別給付から外され、地域生活支援事業の中の一事業として自治体任せとなり、結果、支給時間の上限が定められたり、利用料の徴収など自治体間で歴然とした格差が広がっている。移動支援は障害者の社会参加と地域生活を支えるための重要な支援であり、地域生活支援事業ではなく、個別給付に組み込まれるように見直すこと。4.『精神障害者退院支援施設』は、精神科病棟の看板のかけ替え以外の何者でもない。撤回すること。5.精神障害者の地域移行を進めるためには『退院促進事業』やピアサポート活動を支える制度的な充実を図ること。6.難病など支援対象を拡大することなどである。

地域生活の中で起きるさまざまなことに、立場性を越えて連携し立ち向かう体験こそが、入所施設や精神科病院に障害がある人々を追いやるような障害者自立支援法の抜本的見直しを求める原動力であることは間違いない。

(かとうまきこ NPO法人こらーるたいとう代表)

【参考文献】

1)2007年「第23回DPI日本会議総会資料集」DPI日本会議

2)2007年「ピアでいこう第3号」全国ピアサポートネットワーク

3)加藤真規子(2006.2)「精神障害がある人々の自立生活の形成」桃山学院大学社会学論集第39巻第2号、p.187―215

4)赤畑淳(2006.12)「こらーるたいとうの手探り、手作りのピアサポート活動」『障害者政策研究集会資料』