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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年11月号

ワールドナウ

白杖がつくる福祉社会
―ミャンマーで白杖づくりの支援がスタート―

斯波千秋

はじめに

2007年8月29日から9月12日まで、国際ボランティア貯金の助成を受けた、社会福祉法人国際視覚障害者援護協会(直居鉄理事長)の依頼を受けミャンマーへ飛び、視覚障害者が社会参加するための大切な道具・白杖(はくじょう)の製作法伝授と普及支援の事業をスタートさせてきた。

この事業を実施した、浜松市の盲人福祉研究会(会長・斯波千秋)は、1954年より携帯用の白杖製作と普及を続け、現在はNPO法人六星(ろくせい)の運営する障害者授産所ウイズに製作を発注し、視覚に障害をもつ14人が、工夫を重ねながら毎日製作し、全国の白杖消費の6割を生産している。

また同授産所ウイズには、JICAをはじめ、盲留学生やダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修生が毎年訪れ、自分の使う白杖をナイフやヤスリ等の工具を使い、自らが作るという研修を行ったり、夏には国内の視覚障害者を募り、2泊3日の白杖づくり体験合宿を開催している。現在までに200人を超す人たちが合宿に参加し、好評を得ている。

白杖づくりを通して、物づくりの楽しさや白杖についての理解を深め、他の地域の人たちとの交流を楽しむというイベントである。

視覚障害者のシンボル・白杖

白杖は国際的に視覚障害者の使う杖として認知され、欧米やアジアの国々では、毎年10月15日を「国際白杖の日」と定め、各地でデモンストレーションが行われている。しかしアジアの国々では、自国で白杖を生産している国はほとんどなく、ミャンマーでは、アメリカやイギリスより数本限られた人に白杖が寄付されているだけである。多くの視覚障害者は、竹の杖いわゆる竹の棒を杖として利用しているのが現状である。

今回の事業の目的の第一は、白杖を広めること。白杖の意義や構造の講義、そして白杖を使っての歩行訓練と晴眼者と共に歩くガイド法を伝えることである。また自国の材料と技術で白杖を作ることのできるシステムづくりも目的の一つである。

白杖が社会に視覚障害者の存在を知らせ、社会全体がインフラ整備から人的援助までの支援体勢づくりに取り組むきっかけとなることを期待している。

ミャンマーと授産所ウイズ

障害者授産所ウイズでは、13年前よりJICA、盲留学生、ダスキンの研修生たちの研修先として利用されてきた。またミャンマーからは、JICAから2人、ダスキン研修生が2人、そして盲留学生2人の計6人の研修生が授産所ウイズでいろいろなことを学んできた。

今回の事業も、第2期ダスキン研修生であったミャンマー盲人協会のアンコー事務局長の企画の段階からの協力があったが故に実施できた事業であり、またアンコー事務局長とともに、第7期ダスキン研修生のネイリンソーさんも通訳として大きな働きをしてくれた。

日本で学んだ研修生の多くが、母国の障害者福祉の現場で精力的に活躍している姿を見て、とてもうれしい思いであるとともに、彼らの努力に敬意と感謝の意を表したい。

開講式

9月3日、ヤンゴンにあるミャンマー・クリスチャン教育校―盲学校の2階ホールで開講式が行われた。式にはミャンマー社会福祉省の専門官マウント・ミント氏、盲学校のイーミン校長、そして同校に事務所を置くミャンマー盲人協会長ウーティン・レイン氏をはじめ、教職員、学生、盲人会職員等40人が参加し、アンコー事務局長の通訳で開講式が始まった。

最初に、国際視覚障害者援護協会の山口和彦事務局長が、日本の視覚障害者の現状を紹介、また、この事業の意義を説明した。次に、私がウイズという授産所を説明するとともに、障害者が街に出ると街が社会が変わること、視覚障害者が社会へ出るためには白杖が必要であり、白杖の使い方、歩行訓練の重要性について話をした。

午後には、白杖づくりの研修を受ける12人を対象にセミナーを開催した。白杖の1.視覚障害者のシンボル、2.身を守る、3.情報を得るという三つの意義と、白杖の種類と作り方等を実際の白杖を手にして講義し、翌日からの製作の準備に取りかかった。

白杖をつくる

12人の研修生のうち2人は晴眼者で、ほかの研修生は教員、学生、盲人会の職員と3人のアシスタントであった。

研修生を4人ずつの3グループに分けて白杖づくりがスタートした。最初に、白杖の種類と構造、修理方法の説明、これから使うナイフやヤスリ等の工具の説明をした。

ミャンマーはこの時期は雨期で、毎日が雨、時々大雨、時々曇りの天気だった。そのうえ気温は35度という暑さ。作業する部屋は狭く、その部屋の中では、白杖の加熱処理に使う熱湯と蒸気をつくるため、大きな七輪に大量の炭、その上に一斗カンに湯を入れグツグツと煮たっている。ただでさえ暑く湿気の多い室内での湯沸かしは、まさに地獄であった。

私一人が滝のような汗、汗、汗。しかし研修生は皆涼しい顔で、真剣に作業に取り組んでいた。困ったことがもう一つ。白杖にゴムグリップを取り付ける際に、灯油が必要だった。灯油は英語でlamp oilまたはkeroseneと言う。しかしだれ一人としてこの言葉が通じず、アシスタントの持ってくるのはランプ用の植物油やエンジンオイル、マシン油やシンナーばかり。どうしても灯油が無く、結局ガソリンで代用した。ストーブという言葉も知らないようである。とにかく暑い国なのである。

私たちは杖のパイプを白くするために、塩化ビニールの熱収縮チューブという加熱すると細くなるチューブを使う。加熱方法には、直火、蒸気、熱湯の三通りあり、研修生の手をとり各種の方法で5種類の白杖40本を完成させた。残り40本は半完成品として、希望者に適した長さに合わせて完成させるようにした。

また、盲学校で働く教師や職員の日々使っている竹の杖を集め、彼らの眼の前で数分で白杖へと変身させる技術を研修生に教えた。彼らにとって驚愕と感動の毎日であった。

白杖は使うもの

地獄の暑さと湿気の中、和やかに、でも苦労して白杖を完成させた後は、白杖による歩行方法の訓練である。メンタルマップの作り方から、いくつかの白杖テクニックを駆使しての直線歩行と階段の昇り降りを、これまた大汗をかきながらの指導が続いた。

ミャンマーは、都心部でも白杖の1人歩行や車いすでの移動などは、とてもできる歩行環境ではない。しかし、晴眼者のガイドがあれば何とか白杖を持ち街へ出られるため、晴眼の職員には視覚障害者のガイド法とガイドを受ける方法を詳しく伝えた。

今後の期待

ヤンゴンの街中を白杖を持って多くの視覚障害者が歩くことで、社会に障害者の存在を認知させ、環境整備を訴え続けることにより、30年~50年の時間が必要であろうが、必ずやこの国も障害者が生きやすい、歩きやすい街となるはずである。

ミャンマーは、敬虔な仏教国。国民は皆優しい心を持っている。白杖を持って視覚障害者が街を歩くことで、少しづつでも福祉の国へと変化することを期待している。

今回の白杖づくりの支援を通じて、自分たちの国の材料と力で白杖を作ることができ、また白杖づくりがウイズのように視覚障害者の仕事へと繋がればとてもうれしいことである。

ミャンマーでは毎年10月15日は「国際白杖の日」として、人民広場から市庁舎までの交通を遮断して、全土の盲学校8校の教師や学生が集まりデモをするという。今年は竹の棒ではなく、輝く白い杖での行進となる予定であったが、政治情勢が悪化しているので、残念ながらデモは不可能であろう。

平和が一番の福祉。戦争は最悪の環境破壊であり、死者の数倍の障害者を生み出す。白杖の作り方とともに平和の大切さをも伝えてきた本事業が、これからも引き続きアジアの国々に広がることを切望している。

(しばちあき 浜松盲人福祉協会会長、NPO法人六星障害者授産所ウイズ代表)