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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年1月号

1000字提言

知的障がい者の自立生活に対する支援
~自立生活は支援の問題~

岩橋誠治

知的障がい当事者のKさんが、「30までには自立生活しなきゃ」と言いました。Sさんのお母さんは「うちの 子来年で30歳なのよ。そろそろ自立生活のことを考えないと」と言いました。「親亡き後」という課題を持って取り組まれている親・家族が多い中、最近たこの木周辺では、なぜか30歳までには自立生活をすることが目標の一つであるかのように語られるようになってきました。

知的当事者の自立生活をイメージすると、どうしても本人の能力が問われ、自立生活できるだけの能力を身に付けることのみを求められがちです。

ところが、多摩市では20数年前に入所施設を出て一人暮らしを始めた人がいます。彼は重度の知的障がいをもっていますが、当時多くのボランティアに支えられ自らの生活を作り上げてきました。その10年後、地域で育ち成人した当事者が自立生活を始めました。それ以後も3年に1人という割合で自立生活をする人が現れ、ここ最近では毎年1人というペースになってきました。

自立生活というのは、自らの意思で生活するということで、アパートで一人暮らしをする人もいれば、グループホームを利用するという人もいます。

彼らは、自ら家事が何でもこなせるわけではありません。お金を計画立てて使えるわけでもありません。言葉を発しない人、人に危害を加えるという人もいます。どちらかと言えば、重度の知的・「行動障害」を伴う人の方から自立生活が始まりました。親が子育てに限界を感じ、入所施設や病院を選択しようとした時に、私たちは自立生活を選ぶよう親を説得してきました。

そして彼らの生活に周囲が日常的に触れ、さまざまな話を見聞きする中で、「私も」という雰囲気が生まれてきました。また、周囲の親たちにとってもまだ見ぬ「子どもの自立生活」を想い描くよりも、実際生活している当事者と日常的に出会うことが自立生活を現実味のある話にしています。

各地に講演へ出かけると「制度が整っていない」「支援者がいない」「お金がない」「自覚がない」という理由で、結局は願っても実現しない当事者の自立生活という親たちや支援者の雰囲気を感じます。

私たちは、自立生活をするということは決して本人能力の問題でも家族の課題でもなく、支援の側の課題であると展開してきました。障がい当事者や親に対し「なぜ自立生活をするの?」と問うのではなく「なぜ自立生活しないの?」と問える社会にしたいと願っています。そのためには、自立生活ができない責任を本人や家族の側に負わせるのではなく、自立生活ができない今日の社会を支援者側の責任として取り組んでいく必要があると考えています。

(いわはしせいじ たこの木クラブ)