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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年2月号

1000字提言

まちに住むということ

大里晃弘

私は今まで20回以上引越している。家賃の滞納が原因ではなく、職業や職場を転々と変えたことから、東京や横浜も含め、引越の数だけは多くなってしまった。

一般に障害者が家を借りる時ほど、やっかいなことはない。実際に不動産屋の店頭で物件を探す時ほど、世間の冷たさを最も強く感じることはない。私は全盲だが、「火が出ると困るから」と断わられることが多かった。とは言え、その冷たさも、年を追うごとに、徐々にではあるが変化を見せつつあるように感じる。大都市でも地方でもそうだ。20年前は、あからさまに断わられることがほとんどで、なかなか契約にこぎつけられなかったのが、今は、断わられることが少ない。需給の問題もあろうが、社会の意識の変化は確実である。

さて、ここからが本論である。つくば市に住んだ経験から感じたことである。この学園都市は40年ほど前から整備され始めたのだが、公的な研究施設を中心に、計画的に造られた近代都市である。筑波技術短大(当時、現在は大学)という、視聴覚障害をもつ学生が学ぶ学校があり、今から10年あまり前、私はたまたまそこの鍼久診療所に研修のために通っていた。近くにアパートを借りて住んでいた。

この「つくば」という街は、とてもスケールが大きい。広い道路は、碁盤の目のように整備され、研究所や病院、大学等の公的な施設はゆったりとしたスペースをとって建てられている。郊外型の大型店が散在し、自動車や自転車は生活に必須アイテムだ。筑波大学ができたばかりの頃、そうしたことが報道されたものだ。これは、車の使えない視覚障害者にとっては大きなハンディになることを意味している。私が買物、役所、その他の用事で移動しようとしても難しい。点字ブロックは一部の歩道で敷設されてはいるが、歩道の多くは仕上がりの不十分なコンクリートの塊であり、ほとんど歩いた形跡がない道を白杖を頼りに歩くのは困難である。これは私だけの感想ではなく、筑波技術短大の学生たちなどに聞いても、同様の答えが返ってきた。

この後に水戸という古い中小都市に住んでみて、あらためて生活の違いを確認した。車がないと住めないことは、法律や制度の問題ではない。しかし職業や学業でそこに住まねばならない場合、大きなハンディとどう取り組むのか、その対応はとてもエネルギーの要ることだ。だれにでもできることではない。公共交通機関や公的ヘルパー制度を利用しても難しいだろう。こうした「形にならない」ハンディを、私たち障害者は持っている。

(おおさとあきひろ 精神科医、大原神経科病院)