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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年2月号

ワールド・ナウ

フィリピンにおける障害者支援
─僻地と紛争地域で活動するNGOから学んだこと─

古西勇

はじめに

フィリピンは近い。日本との時差はマイナス1時間。首都マニラまで直行便で4時間程度である。7,107の島々が、日本の約8割の面積で広がる。1年を通じて暖かい。

フィリピン社会は一部の富裕層と大多数の貧困層とに二極化している。人口約9,000万人のうち約7割が地方に住む。近年の経済成長も貧困層、特に僻地の貧しい人たちを吸収するにはまだ程遠い。紛争や自然災害なども貧困と障害の連鎖をさらに加速させる。

障害のある人たちにとっての救いは、「アクセス法」(83年)や「障害者のマグナ・カルタ(大憲章)」(92年)など、彼らの権利を擁護するためにできた法制度である。しかし、その理念と実行が国内の隅々にまで浸透しているとはいいがたい。

この度、フィリピンの僻地や紛争地域における障害問題に88年から取り組んでいるNGO、ハンディキャップ・インターナショナル(HI)・フィリピンの活動現場に07年9月に同行させてもらう機会を得た。HIは82年にフランスで設立され、世界60か国以上で活動している。

今回最初に訪れたマスバテ州はフィリピンの中央で、ビサヤ諸島の北方に位置する。マニラから飛行機で約1時間。続いて訪れたコタバト市は、ミンダナオ島の西海岸に面したイスラム系ミンダナオ自治区(ARMM)にあり、内陸のコタバト州と隣接している。マニラから飛行機で2時間弱である。

フィリピンは約300年間のスペイン統治の影響でアジア随一のキリスト教国である。マスバテ州の人口約7万人のうち85%がカトリック系キリスト教徒といわれる。一方のミンダナオ島は国民の5%を占めるイスラム教徒が集まるところであり、多民族国家フィリピンの一番センシティブな問題を抱えている。

ヒルワイ・プロジェクト

1週間滞在したマスバテ州では、HIが障害のある人たちへのリハビリテーションを通してキャンペーン活動を展開していた。「ヒルワイ」は自由に動き回るという意味の現地の言葉である。活動の目的は、第一に啓発活動と訓練、許容力向上の支援を通して、障害のある人たちに対する地域の対応を強化することであり、第二に義肢装具や車いす、姿勢保持装置、歩行補助具などを切断者や障害のある人たちに提供し、彼らの社会参加の場を広げ生活の質を高めることである。

キャンペーン活動は3~6か月間で対象地域を移動する。第1次キャンペーンで本土島の東部5市をカバーし、続く第2次で北部4市と山を越えて南側にある1市をカバーしている。新たに確認された障害のある人は合計160人。種別では、切断者31人(19.4%)、脳卒中26人(16.3%)、脳性マヒ17人(10.6%)、原因では、交通事故22人(13.8%)、先天性22人(13.8%)、高血圧17人(10.6%)の順に多かった。

活動の展開は、まず州知事への協力要請から始まる。次に、各市の社会開発福祉事務所と協力して障害のある人の状況を確認する。そして、ニーズ評価、訪問リハビリテーション(理学療法士や作業療法士が1日に5、6か所を訪問)を進める一方、必要に応じて、義肢装具の製作・歩行練習、車いすと姿勢保持装置などの手配を行う。義肢装具はボート内の製作所で作られ、港の倉庫の周辺で歩行練習を行う。

訪問リハビリテーション

車いすはミンダナオ島北部の工場に発注する。脳性マヒのある男の子用の車いすがちょうど届いていた。家まで届けるのに同行した。途中、岸壁から渡し舟に車いすを載せて対岸へ。男の子の家には電動工具のための電気がないため、隣の家で姿勢保持具を組み立てた。車いすのキャスターは砂地用に幅を広くしてある。

他にも数件同行させてもらった。対象者の多くは子どもであり、ニーズは家から外出できること学校に行けることが多かった。車いすを得たことで外に出ることは容易となる。しかし、前述の男の子の村では子どもは渡し舟に乗って通学していた。果たして彼はどこまで活動範囲を広げられるのだろうか。

地域の許容力

地域が自分で問題に対処できるよう許容力を向上することがこのキャンペーンの長期的成功の鍵となる。マスバテ市でHIが社会福祉開発局と一緒に保育園の先生を対象に開いた研修会を見学した。52人が参加し、障害の予防や障害児の早期確認について学んでいた。フィリピンでは障害のある人たちの3割~4割が子どもだという。

地域の医療事情を理解するため市内にある州立病院を見学させてもらった。病院は100床(小児病棟用30床)。レントゲン撮影の機械や吸引器などは30年以上前の古いものを使っていた。新生児・未熟児のための哺育器もない。公的健康保険(フィルヘルス)に入っていない大多数の貧困層は入院・治療費が払えず、病院に運ばれても医師が止めるのも聞かずにすぐに退院してしまう。リハビリテーション部門は皆無である。

コタバト・プロジェクト

ミンダナオ島では政府軍と反対勢力との間の戦闘で60年代後半から約12万人が死亡しているといわれる。ここでHIは06年初めから、ARMMと周辺地域の紛争被災者と障害のある人たちへのリハビリテーション・サービス提供の支援活動を行ってきた。

啓発活動と教育、許容力向上を通しての地域の対応強化という考え方はヒルワイと共通するところがある。センターを構えていて継続性があるという利点がある反面、一触即発の紛争の影響を色濃く受けた不安定さがコタバトの特徴といえる。

市内のセンターでは、足を失った人に義足を提供している。同時に、障害のある人たちと子どものための外来と訪問リハビリテーションを行い、必要に応じ車いすや姿勢保持装置などを提供している。希望により、収入を得る術を身に付けることも支援している。

地方の村では、地域に根ざしたリハビリテーション(CBR)を推進し、白内障など手術が必要な人は協力病院へ紹介している。04年に755人、05年に1,195人、06年に1,700人、07年(1月~8月)に505人(眼の問題のある人338人を含む)の障害を確認しサービスの提供に結びつけた。

啓発・教育活動も活発に行っている。ちょうど、ゴミ処理の問題を中心に、飲料水と衛生、障害の予防を含めたプライマリー・ヘルスの教育を、村の助産師を対象に行っている。

職業リハビリテーション

市内には、03年からHIと連携している社会福祉開発局の職業リハビリテーション・センターがある。全国5か所のうちの1つで、20年前に設立され、南部諸州を管轄している。コースはマッサージ(視覚障害者対象)と携帯電話修理、パソコンの3種類。期間は9か月間で、1か月間の実地実習を終えて修了する。学齢期のろう児への手話での教育も行っている。

HIは、障害のある人に職業訓練を勧め、コースを修了した人たちに仕事の機会を与える援助をしている。HIの出資金を元手に修了者が共同で開いた市内のマッサージ店を昼時に訪れた。来店するお客さん以外は携帯電話で注文を受け、白杖をついて家やホテルにも出張していた。

コミュニティ病院

コタバト州ミッドサヤップにあるHIの協力病院を訪れた。病院は理事に医師以外の一般人を含めた医療生活協同組合により設立・運営されている。紛争による負傷者を中立的立場で治療する方針を貫き、貧困層であっても障害のある人たちには家族が払える範囲の費用で手術などを行っている。ちょうどHIのソーシャル・ワーカーの紹介で、幼児の兎唇の手術を受けにコタバト市からバスに乗って来た母子に出会った。

フィリピン訪問を終えて

フィリピンの僻地では、開発の恩恵を受ける「主流」に大多数の貧困層は含まれず、彼らはいつまでも貧しい境遇にある。貧困と障害、そして紛争の影響という連鎖により、大多数の障害のある人たちにとって彼らが目指せる「主流」は、健康で文化的な最低限度の生活水準にはまだ程遠いといわざるを得ない。

看護師、理学療法士などの医療専門職は家族の期待を背負って当たり前のように海外を目指す。数年前の統計で、フィリピンで資格を取った看護師の85%は海外で働いていて、自国に残っているのはわずか15%というデータは、その現実を突きつける。この現象には、一方で外資送金に頼る経済という肯定的な面がある。他方で、彼らにとっては自国によい働き口がないから出て行かざるをえないという否定的な面もある。

このような状況の中で、HIが地域の許容力をいかに高めるかを活動の柱としている意味は大きい。義足や車いすは障害のある人を確実に力づけている。マスバテ市で、完成した義足をHIのスタッフと家まで届けに行ったときに郷土料理でもてなしてくれた40歳代の男性は、「今までだれかが自分をさげすんでも松葉杖を握りしめてこらえるだけだったが、これからは両足で立っていられるので相手の面を殴ってやるよ」と冗談をいって笑っていた。今後は障害のある人が声を上げていくことで地域の許容力がさらに高まる。そんな未来を期待したい。

(こにしいさむ 新潟医療福祉大学理学療法学科)