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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年5月号

真に自立を支援するには…。

下郡山和子

事業者の立場として、この自立支援法から逃れるわけにはいかないのであれば、むしろこの法を有効に生かす手立てはないかと模索してきた。マスタープランを作るべく、職員間でプロジェクトチームを組み、就労、日中活動支援、居住支援、相談支援等、部門ごとに検討を加えながら、当施設利用者のニーズに添う事業移行のあり方を考えてきた。しかし、自立支援法に定めるサービスと、利用者にとって必要なサービスとの乖離が大きく、ぴったりしない。障害程度区分というものさしで、サービスの種類や量を決めることに矛盾を感じる。その人の必要に応じてサービスは決められるであろうに。

それでも最初は、障害の重い人には、多くの給付が見込まれるということに、大いに期待した。しかし、障害が重いということの定義がないままに、障害程度区分が決められ、ずい分と不公平感が強い。支援より介護に重点が置かれており、細やかな精神的なフォローが必要な寄り添う支援には給付が低い。

当施設の利用者は、ほとんどが重度知的障害者であるうえに、盲、ろう、精神障害等の重複や、自閉症等を伴う人々である。そのために、現行の障害程度区分では給付水準は高くない。従って支援費制度のときより大幅に減収となり、赤字決算である。国と仙台市の激減緩和補助金により何とかしのいでいるが赤字には変わりはない。職員の給与改定や人事考課制度も取り入れ、鋭意努力しているのだが、突破口がない。

経営改革といってもどうしても譲れないことがある。当施設では、措置費時代から国の配置基準の3倍以上の職員を配置している。それだけ、手を掛けなければならない人が多いのだ。ましてや自立支援法でも高く掲げる「本人主体の支援」の具現化のためには、多くの支援が必要なのだ。国の給付の量が少なくても、支援の質や量を落とすわけにはいかない。だから、職員は多い。その結果、給料も低くなり今日のマンパワー不足に輪をかける。悪循環である。機能面の障害の重い軽いを問題にするより、今ある地域での生きづらさから支援量を決めていく必要がある。介護保険のケアマネジメントとは違う、知的障害者や精神障害者に対応できる、人的および社会資源の整備とケアマネジメント体制づくりこそが優先されるべきではなかったか。

権利擁護のための成年後見制度が本当に一人ひとりの人権を守られる形なのか疑問である。また、基礎年金は生活保護より低水準に置かれている。民法877条(親の扶養義務)に依存し、家族に負担を強いることで自立はできない。憲法に定める「基本的人権」や国連の「完全参加と平等」の理念に沿って、自立支援法の自立とは何なのか、支援とは何なのか、もう一度問い直そう。

(しもこおりやまかずこ 仙台つどいの家)