音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年5月号

ワールドナウ

第3回アジア太平洋障害フォーラム総会に参加して

田畑美智子

2月27日から29日の3日間、アジア太平洋障害フォーラム(APDF)の第3回総会および会議が、バングラデシュの首都ダッカで開催された。筆者は、日本盲人会連合、および今回よりフォーラムへの参加を決定した世界盲人連合アジア太平洋地域協議会(WBUAP)を代表して、APDFには初参加。日本からは、事務局の日本障害者リハビリテーション協会の各位をはじめ、日本障害フォーラム加盟団体を中心に20人ほどが参加した。「難民を助ける会」の方など、開発分野から障害問題に取り組んでいる方の参加もあった。

全体では、海外25余りの国と地域から140人が参加。アジア太平洋のみならず、世界銀行やNGOの関係者が欧米から参加したほか、中東のパレスチナやアフリカのウガンダからも参加者があった。バングラデシュ国内からの参加者は300人ほどにのぼり、国内の参加希望者が定員オーバーとなり何人も断念したほどだったという。

国を挙げての準備と盛大な開会式

今回の会議では、バングラデシュ政府の全面的なバックアップが印象的だった。開会式には現時点での国家元首に当たる首相代行をはじめ高官が列席し、1時間の式典が国営放送で生中継された。海外からの参加者を出迎えるために、入国審査を受ける前の地点まで、主催者側のボランティアの配置を認めた。つまり、ボランティアには出入国を免除していることになる。また、ホテルと会場は離れていたが、初日の移動は、開会式に国家元首が列席することもあって、参加者のバスを警察の車が先導して会場に向かった。

大会会場は、経済発展が目覚しい中国からの援助で立てられたコンベンションセンターで、数々の会議室などが整っていた。開会式などが行われたメインホールは、さながらオペラハウスのように、高い吹き抜けの天井と2階席が取り囲む実に立派な建築だった。

ダッカの町は途上国の例にもれず、交通ルールが存在しないような混沌と、メンテナンスされていない道路から舞い上がるホコリ、地面から沸きあがるような通行人と、それを取り巻く物売りと物乞い……という様相だ。人も車も、リキシャもオートリキシャも自転車も、とにかく数知れない。が、こうした市街地の喧騒とは裏腹の、静かで落ち着いた非常に立派な設備の整った国際会議場だった。

初日の2月27日(水)は、政府高官や主催者、4大宗教(キリスト教、イスラム教、仏教、ヒンズー教)の指導者によるお祈りなどの開会式が行われた。国家元首の列席でセキュリティが厳しく、荷物持込の制約があったり、時間におおらかなお国柄にもかかわらず着席時間に神経質だったりしたが、社会福祉省の高官や、世界銀行のダイレクター等が挨拶し、テレビを通じて国内に大いにアピールできたのではないかと思う。

全体会と分科会

開会式に引き続き、全体会や分科会が行われた。午前中の全体会は3日間すべて、国連障害者の権利条約と国内の障害施策への反映に費やされた。分科会の終了後にも全体会を開催し、分科会での討議の報告の場として利用された。権利条約と併せてIT技術の利用も注目を集め、当地域のIT大国であるインドが積極的に提案や議論を繰り広げたが、地元の言語であるベンガル語のスクリーンリーダーがいまだ開発されてないことから、折に触れてバングラデシュの視覚障害者がソフト開発の必要性を訴えていた。

筆者は二つの分科会に参加した。一つは27日に開催された、障害のある女性に関する分科会で、オセアニア太平洋地区で結成された太平洋障害フォーラムで行われた女性に関する調査発表が大きな内容となった。障害のある女性が障害の無い女性よりDVの被害者になる可能性が高いこと、障害のある女性が障害のある男性より就学率が低いことなどが数値となって現れた。女性のエンパワメントのためにもネットワーク作りの必要性が呼びかけられたが、他の国際会議でも見られるように、ネットワーク作りを具体化させられるかが常に問題となる。太平洋障害フォーラムを好事例に、アジア太平洋地域でも障害のある女性の活発なネットワーク活動がさらに推進されることに期待したい。

もう一つは、28日に開催された、「スポーツ、文化、娯楽、ユニバーサル・ツーリズム」と、もともと発表者の人数よりテーマの数が多い分科会であった。3人のうち2人がスポーツを取り上げ、メインストリーミングに有効であり、自己形成にも役立つと、南アジアらしくクリケットの事例を中心に報告された。国によってはまだまだスポーツ施策に手が回らず、また当事者もスポーツを「保護される」立場の人間がすることではないと考える場面にも遭遇しているが、このメインストリーミングへの有効性がもっと唱えられてもよいのではないかと思う。

また、ユニバーサル・ツーリズムの発表者は、日本のハード面でのユニバーサルデザインを事例に出し有用性を訴えていた。

28日(木)の午後にはAPDFの総会があり、役員が改選された。WBUAP以外にも新たな加盟団体があり、今後もさらに多様な障害分野の団体の参加が期待されている。また、国際障害同盟(IDA)や、世界銀行の協力による「障害と開発に向けたグローバルパートナーシップ」(GPDD)への加盟が決議された。

APDFとは直接関係が無いが、会議終了後の3月1日(土)には、国際視覚障害者教育会議(ICEVI)西アジア地区のワークショップも開催され、2006年より同委員会が世界レベルで展開している視覚障害児の教育機会の拡大に向けたキャンペーンの目標や推進状況などが確認された。筆者は日程の関係で冒頭のみの参加となったが、アフガニスタンや地元バングラデシュの教育・福祉関係者が集い、APDFのような大きな会議を主催するとこうした付随するイベントをいろいろと開くことができるという、大変に大きな副産物を目撃することができた。

現地の団体訪問

短い滞在ではあったが、日程の合間に現地の若干の視覚障害関連団体を訪問した。一つはBERDOという職業訓練などを行う団体で、日本大使館からも資金援助を受け、6階建てのコンプレックスが完成間近だった。パソコンを4台ほど入れ、半年間の講習をする。修了者の就職は容易ではないが、少しずつ開拓されているようだ。BERDOに資金提供している民間金融機関の人事担当に会ったが、昨年末から電話受付担当に視覚障害者を雇用しているという。団体では、点字・録音図書の充実を図っている。

もう一つはABCという視覚障害児教育を支援する団体で、点字教科書の給付、遠隔地の児童のための学生寮の運営、眼科クリニックの運営、一部の地域でのCBRなど、幅広く活動している。訪れたのは、女子寮と眼科クリニックと点字出版所が同じ敷地にある郊外の一角だったが、生徒たちが学びの喜びを体一杯に表現していた。

さらに期間中、バングラデシュでの視覚障害者によるマッサージ業を立ち上げるべく派遣されている青年海外協力隊員にもお会いし、当地での苦労話をいろいろと伺った。物乞いをする障害者を数多く見かける当地にあって、障害のあるマッサージ師という概念自体に相当な抵抗感があることと併せ、普及には視覚障害コミュニティが一体となり推進する必要があることなどを力説されていた。

障害分野の大きな会議を弾みに

バングラデシュで障害分野のこれほど大規模の国際会議が開かれるのは今回が初めてだったそうだ。出発前はいろいろと不手際や不安があったが、現地では失礼ながら予想以上の対応を受けることができた(送迎バスが道に迷ったこともあったが…)。滞在先それぞれに、ボランティアとして国立で難関のダッカ大学の大学院生たちが配置され、厳しい交通事情を勘案し、常に参加者一人ひとりを確認するきめ細かさだった。朝の6時半頃から夜の10時頃まで、困ったことがあれば助けてくれ、英語のできる彼らは大変に心強かった。また、会議用の鞄や配布資料だけでなく、ロゴ入りのノートやさまざまな配布物が大変に便利だった。

開催中に、発表原稿の完全版と、2日目までに撮影した写真が、全員にCD-ROMで配布された。また、新たな事務連絡や会議中のトピックなど、幾度となく最新情報として参加者全員に新聞のように配布された。主催者である障害関連団体の全国フォーラムの尽力には敬意を表したい。

私にとってのバングラデシュは、貧困とサイクロンというより、グラミン銀行とフェアトレードの国だったが、会議が運営される様子や、参加者の多くが少しでも状況を改善させようと多くのNGOを作り、障害のある子どもたちの教育などに取り組んでいる姿に、NGO活動のダイナミズムを改めて痛感した。貧困や障害者への根強い偏見など難題が山積みの当地ではあるが、本会議を控えた昨年末に国連障害者の権利条約を批准しており、今回のAPDF総会をきっかけに当地域の障害施策の進展が大いに期待される。

(たばたみちこ 日本盲人会連合国際委員)