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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年5月号

ワールドナウ

「キルギス共和国」における障害者支援

奥平真砂子

「キルギス共和国」という国

当協会研修課の奥平と中谷は、国際協力機構(以下、JICA)がキルギス共和国(以下、キルギス)で展開している「障害者の社会進出促進プロジェクト」支援のため、今年の2月にキルギスへ行ってきました。そこで、キルギスに住む障害者の状況、そして厳しい状況下で活動する青年海外協力隊(以下、協力隊員)の様子について報告したいと思います。

キルギスは地域的には中央アジアに属し、中国の西に位置する、その国土のほとんどが天山山脈とバミール高原という山岳国です。それも40%以上が標高3000メートルの山々で、その最高峰は7439メートルの勝利峰という山です。

人口約530万人のキルギスは多民族国家で、全人口の64.9%をキルギス人が占め、続いてウズベク人13.8%、ロシア人12.5%となっています。国土は日本の約2分の1で7つの州に分かれており、首都はビシュケクです。ビシュケクから車で3~4時間走ったところには、南米のチチカカ湖に次ぐ、世界で2番目に高いところにあるイシククル湖があります。水面の標高は1609メートルで、透明度も世界2位だそうです。マイナス20℃前後まで下がる冬でも水面は凍らず、他地域ではプラス40℃にもなる夏でも涼しく、国民の最高の保養地となっています。

障害者を取り巻く状況

1876年にロシアの支配下に入って以来、1991年のソビエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)崩壊までキルギスは、連邦構成共和国としてソ連に加盟していました。しかし独立してからは新たな国づくりを進めており、近年はロシア、中国、カザフスタンの好景気の影響から経済が上昇傾向にありましたが、国政の混乱などにより国民生活にあまり改善は見られません。また、医療の無料化や年金給付など、障害福祉は旧ソ連時代の制度を色濃く残していますが、サービスの質は低下の一途を辿っているようです。そのため、国民の生活状況は悪くなっており、最も影響を受けているのが11万人いるとされる障害者で、その多くが厳しい環境の下で暮らしています。

障害者に対する差別や偏見は依然として根強く、阻害されています。たとえば、脳性マヒなど生まれつきの障害者は周りの人だけでなく家族からも疎まれ、家の恥として扱われるケースも多々あるようです。実際、障害児を生んだ女性の多くは離婚しており、離婚後は母親が子どもを育てているのがほとんどだそうです。法律上は養育費や慰謝料を払わなくてはならないとなっていますが、定職についていなかったり十分な収入がないと支払われないことが多く、経済的に困窮する母子が多いということです。そのため「障害児をもつ親の会」では、サービスの獲得と同時に、親の権利を守り、母親の経済的自立を支援する活動を展開しています。

障害当事者に関して言えば、「ソ連時代は隔離・収容政策だったが、今よりは良かった」と評する40代から50代の障害をもつリーダーたちは、厳しい状況を改善しようと政府や地方行政に働きかけていますが、その活動は散発的でまとまりに欠け、効果的に活動しているとは言えません。たとえば、ビシュケク近郊にある障害者団体の代表はソ連で炭鉱の労働に従事していた時に受傷したそうですが、リハビリも受けられず、収容施設に行くしかありませんでした。ただ、ある程度の生活は保障されていたそうですが、今は、国からの補助金やサービスは悪くなるばかりで、少しでも良くするために自分たちで活動しているようです。

一方、若い障害者は多くが親の庇護の下、自ら行動し問題を解決しようとする当事者意識が低いなどの課題が見受けられます。

2004年にタイの偉大なリーダーであったトポン・クンカンチット氏(2007年6月逝去)がJICAのプロジェクトでもあるAPCDのミッションとしてキルギスを訪れ、障害当事者たちに大きなインパクトを与えたことから、当事者のエンパワメントの効果と重要性が認識されはじめました。そして、キルギスの国から要請を受けてJICAは、2007年9月から「障害者の社会進出促進プロジェクト」を展開しています。それだけでなく、PTやOT、養護などの資格や知識、経験をもった協力隊員やシニアボランティアが活躍しています。

協力隊員の活動

今回のキルギス滞在中、9人の協力隊員と会いましたが、ここではイシククル州カラコル市の障害者団体と、その近くの村にある幼稚園と障害者団体に派遣された2人の支援活動について紹介します。

キルギスでは障害者の就学率は非常に低く、地方においてはそれが顕著です。カラコル市の障害者団体では、学校に通えない重度障害児に基礎教育と簡単なリハビリや訪問教育などを実施しています。脊髄損傷の代表の女性は、障害児の権利擁護が全くなされていなかったのでこのプログラムを始めました。その支援にOT協力隊員がその団体で活動しており、設備の整っていない中で工夫しながら、またその地方の文化や習慣に合わせながら、子どもにリハビリをしていました。

カラコル市から車で30分ほど走ったアクスー村に、統合保育的な取り組みを行っている幼稚園があり、そこでもOTの協力隊員が頑張っていました。その幼稚園も設備が整っておらず、また職員に障害の知識がないため、障害児はただ寝かされていたそうです。しかし、協力隊員が椅子や机、おもちゃに工夫を施したことで、座位の保持や、立ち上がりができる子どもも出てきています。また、これまでは障害児もすべて健常児と同じプログラムでしたが、彼女の提案により1時間はリハビリの時間としたことで、障害児の日常動作に変化が見られるようになったそうです。

幼稚園に通ってきている重度障害児の家を訪問し、私たちはとても驚きました。行政から支給されたという車いすは自転車の2つの車輪をつなげた上に、バーベキューパーティーなどで使われるようなプラスティックの簡易型椅子を置いただけの代物でした。今は両脇や背中に座布団を詰め、紐をシートベルト代わりにして、協力隊員の工夫により、その子どもは座位を保てるようになっていました。

おわりに

JICAがキルギスで展開している「障害者の社会進出促進プロジェクト」は、「障害当事者をエンパワーし社会を変えよう」とするボトムアップ方式です。これは、成果が見えるようになるまでに少しだけ長く時間がかかるかもしれませんが、最も継続性と自立性のある方法だと思います。彼女たちの頑張りを目の当たりにして、私たちは日本の障害者団体と連携を取って何らかの支援ができないかと考え、協力隊員と協力し、JICAの「世界の笑顔のために」プログラムを通して、車いすや絵本、他の補助具などを贈ろうと計画しています。

(おくひらまさこ 日本障害者リハビリテーション協会研修課)