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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年6月号

わがまちの障害福祉計画 広島県東広島市

広島県東広島市長 藏田義雄市長に聞く
このまちで私らしく生きるために
―地域共生のまちづくり

聞き手:坊岡正之(広島国際大学教授)


東広島市基礎データ

◆面積:635.32平方キロメートル
◆人口:182,000人(2008年4月30日現在)
◆障害者の状況:(2008年4月30日現在)
身体障害者手帳所持者 5,735人
(知的障害者)療育手帳所持者 1,052人
精神保健福祉手帳所持者 832人
◆東広島市の概況:
広島県の南部に位置し、広島空港からも約1時間、山陽自動車道、山陽新幹線、山陽本線、呉線と市内の交通網は発達している。それを生かし、産業振興に力を入れ、昨年民間シンクタンクが発表した都市の成長力ランキングで、全国783市の中で第4位という高い評価を得る。平和・非核兵器宣言都市、人権尊重宣言都市。灘、伏見と並ぶ酒の町としても有名で市内の酒蔵は観光名所。
◆問い合わせ:
東広島市福祉部社会福祉課
〒739―8601 東広島市西条栄町8―29
TEL 082―420―0932(直) FAX 082―423―8065

▼東広島市の特色や魅力についてご紹介ください。

2005年2月に1市5町で合併し新しい「東広島市」が誕生しました。合併により、市域が約635平方キロメートルと大きく広がる中で、北部地域は緑豊かな田園風景や古くから伝わる文化・芸能が存在し、また南部地域は瀬戸内海に面することとなりました。本市のある賀茂台地はもともと水の無い場所でしたが、県からの給水を受けることで環境が大きく改善されました。その環境の良さを活かして、大学や企業の誘致を積極的に行ってきました。

本市は第4次総合計画において、将来都市像を『未来にはばたく国際学術研究都市~ともに育み、人が輝くまち』と設定しています。現在、市内の4大学や企業の研修生等で約80か国の外国人が暮らしています。地元住民の文化、若い人の文化、外国人の文化が混じり合って国際的な雰囲気を醸し出しています。

▼障害者施策のセールスポイントについてお話ください。

東広島市の施策については、職員がいろいろな立場でいろいろな経験をした中からこれは何とかしなければならない、という思いでさまざまな提案をしてきます。いつも感謝しながら、うちの職員はよくやっていると、周りに誉めているんです。私はその判断をさせてもらっているだけなんです。

判断をさせてもらう時に自分の頭に浮かぶのは、小学校の時の1年先輩に障害のある人がいました。その人は、学校の先生の言うこともだれの言うことも聞かなかったのですが、別の先輩の言うことだけはよく聞いたんです。障害のある人と特別な関係が生まれていることを知りました。彼らは本気で受け入れてくれる人のことをよく知っていますよ。鋭い感性を持っていると思います。その感性を伸ばしていくのが我々の仕事だと思います。

昨年3月に策定した障害者計画・障害福祉計画「地域共生のまちづくり」に基づき、だれもが地域で安心して、自分らしく暮らせるための事業を進めています。「このまちで私らしく生きるために」というサブタイトルには、「自分の選んだ場所で」「自分らしく生きる」という本人主体の支援ができるまちづくりの理念を込めています。計画の策定に当たっては、策定委員会や具体的施策を検討するワーキンググループの委員に障害者本人やその家族を委嘱し、またアンケート(1800人対象・1042人回答)や団体ヒアリング(9団体)を実施する中で、障害のある方の想いを形にするよう配慮しました。

▼子育て・障害総合支援センターを開設された経緯を教えてください。

昨年7月末、市内の中心部(駅前のビル1階)に子育て支援と障害児者支援の両機能を併せ持った「子育て・障害総合支援センター」を開設しました。現在、かなりの割合で発達障害をもった子どもたちがいるという報告があります。しかし、親はそれを認めたくない傾向にあり、障害のある子が成長に伴っていろいろな問題行動を起こすこともあります。これは、親も分からないうちにやっている場合もあるし、学校の先生も知らないことも多い。この子どもたちが問題行動を起こす前兆を捉えうまくフォローする、あるいは温かく包んであげられればこの子どもたちの成長はずいぶん違うと思うんです。

また親御さんは、いろいろな悩みを抱えて悩んでいます。障害に関するものだけでなく、子育てそのものに関する悩みを持っておられるはずです。また障害のある人が親となり、子育てに工夫や支援が必要な場面もたくさんあります。それらを1か所で対応できたらという、職員からの提案がありました。障害福祉を担当している社会福祉課と子育てを担当している児童福祉課とが協議を重ね、この形になりました。

この支援センターでは、障害の枠を越え、障害のある人の総合的な相談に応じています。基幹型子育て支援センターなど子育て相談機能を併設したことから、たとえば発達障害のあるお子さんの相談では、早い時期から関係者が情報を共有し、効果的な支援につながっています。

▼市の福祉計画「このまちで私らしく生きるために」というサブタイトルには、「自分の選んだ場所で」「自分らしく生きる」という本人主体の支援ができるまちづくりの理念が込められていると伺いましたが、障害児の放課後活動支援もこの一環でしょうか。

障害のある子どもたちも普通に放課後、クラブ活動等をやりたいと思っているはずです。しかし普通にやるために教職員では手が回らない。手の回らない分をだれにお願いするかと言った時に、これを地域の経験を積まれた方にお願いしよう。幸い市内には4つの大学があり、その中には障害福祉、障害児教育を学ぶ学生がおり、そうした学生をボランティアとして派遣し、年齢に応じた活動ができるように支援しています。

市内にある特別支援学校では週に1回、学生と一緒に野球やサッカーなどのスポーツや、塗り絵、音楽鑑賞などの文化活動を行っています。この事業は市だけでなく、大学や特別支援学校、保護者が相互に協力し作り上げていった事業です。障害をもっている彼らにもっと感動してもらいたいと思っています。

▼障害のある方の就労やそれを進める上での公共交通機関の整備はいかがでしょうか。

作業所等で、障害があるからこの仕事をやりなさいという発想は間違っていると私は思っています。障害のある人は職業の選択の余地はないのか、逆に言えばその人の持っている才能をだせないままでよいのか。みんな何かを良いものを持っている、それを何とかしてあげたいという思いが私にはあります。たとえば美術館で感動したとか、海を見て感動した、山に行って衝撃を受けたとか、いろいろな人がいますよ。このような感動との接点もなしに、あなたはこれをやりなさい、これだけの仕事をしなさい、それで賃金がこれだけですという状態が現実にはあります。本来持っている才能を引き出すことができればという思いを実現するために頑張っています。

市内には小規模な団地が点在し、団地の住民の多くが高齢化していることや、障害のある人たちの移動支援が問題になっています。現在市のモデルケースとして福富町で巡回バス「ふくふくしゃくなげ号」を運行していますが、住民にも個々の思いやいろいろな意見があります。市が公共交通機関のすべてを担うのではなく、市内のNPOやその他の団体でもって移動支援がうまくいくのであれば、市として補助金の交付等を検討していきます。

▼20年度の新規事業の、地域体験ハウスの立ち上げは大変でしょうか。

入院中または施設入所中の方や親元等からの独立を考えている人に対し、在宅生活を体験する場所で、地域生活のより具体的なイメージをつかんでもらうことを目的にしています。障害のある人がこのハウスを利用することで「自分らしく生きたい」という夢をかなえていただける事業に持っていきたいと思っています。利用にあたっては費用がかかりますが、夢をかなえるという素晴らしい感動が得られると思うのです。

▼市長の考え方には基本的に「ノーマライゼーション」の理念があると思いますが、今後の抱負をお聞かせください。

福祉行政はこれからもっともっと変わらなければならないと思っています。障害の内容や程度も複雑になり、それによって障害のある人の行政へのニーズは多様化し増加していく傾向にあります。その中で、どのような対応をしていけばよいのか。幼少時に受けた感動は、一生残ると思います。逆にその頃に受けた心の傷はなかなか消えない。だから、心の傷を受けないようにまたは受けた傷が早く回復するような手厚い施策が必要だと思っています。その一環として、学校教育支援員の配置にも取り組んでいます。

また、住民全員で支え合う、サポートしていくという方向への住民の意識改革が必要で、日本全国がそのようになることを願っています。こういう考え方を東広島市は、まちづくりの基本としています。今後も、「私らしく生きるという本人主体」の支援という理念を地域全体で共有し、関係者と協働しながら、地域共生のまちづくりを確実に推進していきたい。全国で取り組まないなら東広島市が実践して全国に発信していけばいい。

「ノーマライゼーション」は当たり前のことです。障害のある人に必要な支援を本市がどこまでできるかが重要です。私は市長としてではなく、一市民としての感覚で取り組んでいきたい。行政は100点満点を取ることは難しいが、80点でも市民に喜ばれる取り組みが必要だと思います。


(インタビューを終えて)

私自身が暮らしている東広島市の藏田市長からお話を聞きました。市長は市内にある八本松町原で生まれ、小学校の時から大きい自転車で走り回ったり百姓の手伝いをされ、後は野球ばかりやられていたそうです。市民の方から見れば「隣に住む藏田が市長になった」という感覚だそうで、市民はみんな仲間です、とおっしゃいます。市民感覚の市長ではなく、間違いなく市民の仲間の藏田市長です。

市長のお話から、ボーリング場でゲームのお手伝いをした時の車いすの方の目の輝きから当たり前の重要さに感動したことをお聞きしました。障害のある方が夢を実現できたことの感動は、我々より大きいんじゃないかと思うと、おっしゃいます。感動を味わうために、頑張る人を当たり前に応援していきたい、という思いで市政に取り組まれる市長に、一市民として仲間として頑張っていただきたいと思いました。