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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年6月号

文学に見る障害者像

クリスティーン・ボーデン著 桧垣陽子訳
『私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者から見た世界』
―最後まで一人称で語られる、勇気ある女性の奇跡のストーリー

上沼美由紀

著者のクリスティーン・ボーデンはオーストラリア在住。1995年5月、46歳という若さで脳に萎縮が見られるアルツハイマー型認知症と診断された彼女の体験記である本書は、「アルツハイマー病の本人が書いた本」として大きな反響を呼び、クリスティーンのその後の活動とともにメディアでも大きく取り上げられている。発信する認知症患者のパイオニアである彼女が書いたこの本には、病気によるハンディをばねに変え、新しい人生を踏み出していく一人の勇気ある女性の姿が丁寧に記されている。さらに、本書は医学的見地に基づく包括的な知識を背景に、患者本人の体験を通じた具体的病状や心情を伝える貴重な資料であり、また、患者を取り巻く社会に一石を投じる啓発書としても極めて重要な役割を果たしている。

1999年に再婚し、クリスティーン・ブライデンとなった彼女は、本書の発行から6年後の2004年に続編である『私は私になっていく―痴呆とダンスを』を出版。認知症患者支援活動のため、ケア・パートナーでもある夫とともに精力的に各国に出向き、日本にも数回来日、講演も行っている。

言い渡されたシナリオ

激しい偏頭痛に悩まされ、病院で検査を受けることになったクリスティーン。その頃の彼女を社会的な側面から簡単に紹介すると「学生時代から人並外れた優秀な能力を誇り、語学力においては世界でもトップクラスの成績を残し、オーストラリア政府の上級行政官として輝かしい業績を打ち立て、科学技術への貢献に対して国家公務員勲章を授与されている女性」だろうか。これだけ聞けば、実生活の充実ぶりも想像するに難くない気がするが、このスーパーウーマンが歩んでいた人生はさほど単純なものではなかった。

当時の彼女の日常は、まるでセコンドのつかないまま試合を続けるボクサーのよう。「職場では理不尽な改革を阻止しようと奮闘し、報われない結果をストレスとともに受け入れ、家庭では暴力をはたらく夫をもつ妻として、また、3人の娘を守る母として凄まじいプレッシャーにさらされ、人生をやり直すために起こした離婚訴訟の真っただ中で悪戦苦闘している女性」が彼女のもう一つの顔だった。

頭痛、混乱、物忘れ等はすべてこうした困難な状況の中で生じた一時的な不調であって、自分に必要なのは長い休息だ、と彼女は思っていた。けれど実行したのは、耐え難い偏頭痛の治療のため医者にかかることだった。医者は脳に腫瘍ができていないかを確認するためにCTとMRA検査を行い、後日その結果を持って訪ねた専門医で、彼女はこの病気と診断された他の多くの患者と同様の耐え難い体験をすることとなる。渡されたスキャンの画像を見た神経科医は、無神経な態度で「脳にアルツハイマー病に特徴的な萎縮が見られる」ことを告げ、得意げにでも見えるような感じで「早期退職」を勧め、気楽な調子で「痴呆がひどくなるまでにだいたい5年で、おそらくその2、3年後には死ぬ」ことを伝えたのだ。当然、彼女は打ちのめされた。

この本の原題は“Who will I be when I die?”「死ぬ時私は誰になっているのだろうか」である。そこには、「アルツハイマー病のシナリオ」をそのままわが身に当てはめていたクリスティーンの底知れぬ不安が窺(うかが)える。配慮を欠いた告知を受けた場合、患者は自分が病に侵されていることを知った動揺を抱えたまま、今後の予見不可能な事態、やがて待ち受ける抗(さから)いがたい死、などそれぞれ次元の違う困難な問題のすべてを一挙に受け止めることを強いられる。どのような人であれば、それが可能なのだろう。そして、それは必然のことなのだろうか。本当に治療法もなく、何の望みもない病気なのだろうか。

深い信仰心と周囲の励ましに支えられ、何とか衝撃を乗り越え自分らしさを取り戻したクリスティーンは、愛する娘たちのために正面から病気と対峙することを決意する。そんな彼女の目に、多くの誤解にまみれた「認知症」というレッテルを貼られ、病による不自由さに加えて、周囲の無理解、社会的な差別や偏見といった病気以上のものに苦しむ患者たちの姿が映ってくる。

認知症は、広義では脳の損傷により機能が衰えていく病気の総称であり、本書の説明によれば約70の原因あるいは型があるという。アルツハイマー病はその代表といえるだろう。「ぼけ」や「痴」「呆」といった認知症のイメージが個人の真の姿を払拭し、一様に空虚で無力な存在とすることがあるのは否めない。支援のほとんどがその介護者の方へ向けられている傾向にも驚いたクリスティーンはひとつの指針を得た。自分や娘たちのためだけでなく、同じ病気で苦しむ患者たちのために、この「死に至る病気」の取り上げ方について考え直す必要性を訴え、この「身体的な病気」の理解を広げなくてはならない。「いまや自分に求められているものが何であるかがはっきりしてきた」彼女は、自身の認知症患者としての歩みを記録することになる。ここにきて、彼女の患者としての体験はすべてが意味をなすこととなり、病気になる前に切り開いてきた人生もまた、新しい輝きを放ち始める。

奇跡の本

クリスティーンの本が出版され、彼女の存在が認められていく上で、彼女の能力や過去の経験が役立っていたことは明らかだ。だが、それ以上に、彼女自身の置かれていた状況もまた、非常に望ましいものだったのではないか。早い時期に診断を受け、投薬を受けていたことは記憶機能の維持を助け、頼るにはまだ幼すぎる娘たちとの生活は、脳の損傷部周辺に新しいネットワークを作るに十分な刺激とトレーニングを提供したことだろう。役人だった時の高いステイタスや、「仕事面では誰一人、私の行動に何か問題があると思う人はいないようだった」ことは、彼女の発言を無視できないものとし、退職後わずか3年で出版された本の信憑性を高めるものであったはずだ。そして当初、彼女がアルツハイマー病と診断されていたことも大切な要素であったかもしれない。よく名前が知られているこの病気の「常識」が間違っていることを彼女が身をもって体現したことで、世間は驚き、医学業界に衝撃が走った。他にも多くの幸運が道筋を切り開き、彼女の本は日本を含む数か国で翻訳出版され、私たちはクリスティーンに出会うことができた。

言葉に関する障害について、彼女が紹介するエピソードがある。―「鍋が沸騰しているから、火から降ろして」と言いたいのに言葉が頭に浮かばず、「バナナのようになっていくわ!」と叫んでいた。―機能の低下で情報処理に時間がかかり、意に反して黙り込むか、あらぬことを口走ってしまうのだ。記憶や見当識障害についても、単なる病状のみでなく、そこから二次的に引き起こされる不適応行動、そして内なる感情が自身の言葉で語られる。アルツハイマー病の人が「何もわからない」というのは嘘である。

彼女の出現がどれだけ多くの患者や家族の救いになったかは言うに及ばない。だが、同時に彼女に対し不快な逆風も向けられる。認知症患者であることが疑われるような事態も生じた。脳に損傷のある患者が論理的に語ることができる、ということは、医学的常識では受け入れ難いことなのかもしれない。あるいは、もっと深い問題につながっているのか。病気の概念に合わない能力を発揮したクリスティーンは、1998年の検査で前頭側頭型認知症と再診断されている。世の中にはさまざまな病を抱える人がおり、同じ病気であっても病状はそれぞれだ。自らの言葉で語られる闘病記は、同じ病気に苦しむ人に勇気や希望を与えるだろう。その積み重ねが結果を残し、新たな常識が生まれれば、古いものは打ち捨てられる。もし、偏狭な枠組みに邪魔をされ、認知症の人々が自から発信する機会を失っているとしたら、それは大変に残念なことだ。

クリスティーンのこの本は、認知症を生きる人々のみでなく、現在認知症に関わりのない人々にとっても、生きることの意味、人と人との関わりの大切さを再認識させてくれる貴重な贈り物だ。医学が提供する治療だけが人を救う術ではないことや、失ったものの代わりに得られる何かがきっとあることを、彼女はその真摯な姿勢で私たちに教えてくれる。だれも答えてくれなかった質問に対しての多くの答えがここにある。続編と合わせて、何度も読み返したい奇跡のストーリーである。

(かみぬまみゆき ハルネット主宰)

〈文献〉クリスティーン・ボーデン著『私は誰になっていくの?』桧垣陽子訳、クリエイツかもがわ発行、2003年10月