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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年9月号

中途失聴・難聴者の権利擁護と要約筆記者の養成

新谷友良

人権としてのコミュニケーション

コミュニケーションは「生きる権利」と言われる。人間が社会的な存在である限り、さまざまな人と感情・考えのやり取りをすることは生きることそのものであり、その中でも言語を使った感情・考えのやり取りはコミュニケーションの中核になる。社会生活のいろいろな場面で自由にコミュニケーションできることは、精神的自由や身体の自由と同じくすべての人権メニューの前提となる権利ということができる。

しかし、コミュニケーションは長い間権利としては理解されず、必要とされるコミュニケーション支援は行政の施策として位置づけられてきた。聞こえない人、聞こえにくい人の要望は受け止めたとしても、それは求めるものの権利ではなく、恩恵としての措置であった。福祉の施策を、権利の実現に組み直す作業は今始まったばかりである。コミュニケーションに関しては、表題の「権利擁護」というより「権利実現」という言い方が馴染む。

聴覚障害者とコミュニケーション

聴覚障害者のコミュニケーション手段はさまざまである。聴覚障害者のコミュニケーション手段=手話ではない。特に中途失聴・難聴者は残存している聴力の程度、失聴の時期などにより、非常にさまざまなコミュニケーション手段を使って毎日の生活を送っている。聴覚障害者のコミュニケーション支援は一人ひとりを対象に、一人ひとりのニーズに合った支援を考えていくのが基本であり、ある人は筆談より手話を求め、ある人は補聴器の利用のしやすい静かな環境の中での会話を望む。従って、補聴器に始まって、建物への磁気ループの設備、制度としての手話通訳の利用、また個人のコミュニケーション能力の回復としての手話・読話学習の場の整備など、コミュニケーション支援の範囲は非常に広く、内容も多岐にわたっている。

そのような中で、日本語を母語とする中途失聴・難聴者に対する共通のコミュニケーション支援手段として、話される日本語を要約して筆記する「要約筆記」が普及している。社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(以下、全難聴)は、「要約筆記者の整備」を聞こえない人・聞こえにくい人のコミュニケーションに関する権利と捉え、2004年より「要約筆記者養成」の調査研究事業を進めてきた。

要約筆記者奉仕員制度と要約筆記者

手話奉仕員の養成事業は1970年、要約筆記奉仕員の養成事業は1981年に開始された。その後、手話に関しては1998年に手話通訳と手話奉仕員とを区別する養成カリキュラムが作成された。一方、要約筆記に関してはようやく1999年「要約筆記奉仕員養成カリキュラム」が作成されたが、要約筆記者と要約筆記奉仕員は未分化のまま現在に至っている。福祉の分野、特にコミュニケーション支援の分野には「点訳奉仕員」「朗読奉仕員」「手話奉仕員」「要約筆記奉仕員」など奉仕員という言葉が残っている。先に「コミュニケーション支援は行政の施策として位置づけられてきた」と書いたが、行政施策の担い手として「奉仕員」は意味する部分が曖昧なだけ、便利な呼び方であったのかもしれない。

このような中、2004年度より全難聴はコミュニケーション支援のための専門性を備えた要約筆記者を養成するための調査研究事業を開始した。この事業は2005、2006年度へ引き継がれ、養成カリキュラムの発表、講習会用テキストの作成、要約筆記指導者養成講習会の実施へと具体化していった。その間、一貫して求められてきたのはあるべき公的制度の担い手としての要約筆記者の役割は何か、また従来からある要約筆記奉仕員の担うべき役割は何かであった。

社会インフラとしての要約筆記者

コミュニケーションは、自問自答ということがあるとしても、基本的には他者との関係に基礎を置く。聴覚障害者は聞こえない、聞こえにくいということがあって、コミュニケーション障害は一方的に聴覚障害者に起こっているように見られるが、聞こえている人も同じようにコミュニケーション不全に陥っているという意味で、人と人との関係が損なわれることに本質がある。社会がさまざまなコミュニケーションのネットワークで維持されているとすれば、生存に欠かすことのできない最低限度のコミュニケーション、人権レベルで理解されるコミュニケーションを維持していく仕組みは、社会のインフラというべきものである。全難聴の事業で描いた要約筆記者は、そのようなコミュニケーション支援の担い手、社会インフラとしての要約筆記者である。

社会のインフラは、いつでも、どこでも、手軽に利用できるものでなければならない。また、制度の安定性、継続性、そして品質の維持が求められる。そして、他の社会インフラ同様、制度の最後の責任は国民の、市民の負託を受けた国・地方自治体に求められる。

他方、人は毎日毎日さまざまな形で人との交流を図っている。コミュニケーションの大部分は些細なやり取り、ちょっとした気配り・気遣いである。社会のインフラはそのような日常の細かな襞(ひだ)をカバーすることはない。社会インフラとしての要約筆記者の養成・派遣制度が整備された後、この襞に類する部分のコミュニケーション支援をどう進めていくかが今後の大きな課題として残ってくる。その時、過去の言葉と思われた「奉仕員」が持っているふくらみが、その課題解決に大きな示唆を与えてくれそうである。

(しんたにともよし 社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会常務理事)