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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年9月号

列島縦断ネットワーキング【高知】

「誰もが安心して暮らせるまちづくり」を目指して
―NPO法人日高わのわ会の取り組み―

山下かのう

1 日高村の概要

日高村は、高知県のほぼ中央部で高知市の北西16kmに位置し、平成20年3月末現在、人口5,979人。年間の出生数34人、死亡数68人。高齢化率28.8%と過疎と高齢化が進む小さな村です。財政的には厳しいものの小回りが利き、小さな村であるが故に隣近所みんなの顔が見えるという昔ながらの田舎のよさが残っています。そんな日高村で、障害者だけでなくすべての住民を対象として、「誰もが安心して暮らせるまちづくり」を目指して取り組んできました。今回は障害者としてではなく、ひとりの住民として互いに支え合っていく仕組みづくりの実践を紹介させていただきます。

2 経過

◯平成9年 実態把握

平成9年度に日高村役場に入職した私は、障害保健を担当することになり、まず村内の精神障害者の全戸訪問を実施し、日高村主導の当事者活動として身体・知的・精神障害の三障害を対象にした市町村デイケアがスタートしました。

◯平成10~13年 グループ活動の開始

平成10年、日高村には、高齢者や精神障害者、子育て中の母親等の中でサービスが必要でありながら受けていない人がいました。そこで、それらの人を対象にしたグループ活動を平成10年に開始しました。

1.身体・知的・精神障害の三障害を対象にした市町村デイケア「ヤング・ハートフル茂平」

2.子育て中の母親を対象にした「すくすくひろば」

3.元気な高齢者を対象にした「ミニデイ」

身体・知的・精神障害の三障害を対象にした市町村デイケア「ヤング・ハートフル茂平」のメンバーは活動を通して、さまざまな学びを得て前向きな変化を遂げてメンバーの発案による「茂平ピック」を開催し、自らの体験や思いを自分の言葉で村民に発信し、それによって村民の中の精神障害者への偏見が払拭されていきました。

◯平成14~16年 コミュニティの再建

心の健康講座や茂平ピックへの参加によって、村民の中の障害者への偏見や場を共有することへの抵抗感が少なくなってきました。このような状況の中、専門家によるサービス提供ではなく、当事者同士の相互支援が可能であると判断し、行政が提供するサービスの適正化とインフォーマルな社会資源の育成を目的として、3つのグループ活動を「交流広場サロン」に一本化をしました。それによって、いろいろな住民が交流する場ができました。

平成15年、「交流広場サロン」の参加者は活動の中で人に支えてもらうと同時に、だれかの役に立ちその人を支える体験を重ねていきました。そんな中で参加者一人ひとりの役割意識が高まり、自分たちの活動の責任を明確にして社会参加することへの希望が高まってきました。

そして単にだれかの役に立つ活動ではなくて、自らの活動で所得を得るという社会参加にチャレンジする時期であると考え、「日高村住民ボランティア活動グループわのわ会」(有償ボランティア、以下「わのわ会」)という任意団体を発足させました。「わのわ会」は日高村の住民であれば、だれでも会員になることができ、30人の会員でスタートしました。その中で障害をもつ会員が利用できる精神障害者小規模作業所「ライフ・ファクトリー茂平」を開所させました。

この作業所の特徴は、利用者は三障害を対象としましたが、障害や手帳の有無にかかわらず利用でき、また就労訓練以外にデイケアの機能を持たせたことにありました。また、特定の作業を作業所内で行うのではなく、メンバーを「わのわ会」に派遣し、そこの会員と共に働くグループ就労という作業内容も特徴の一つです。

◯平成17年 住民活動の組織化

「わのわ会」と「ライフ・ファクトリー茂平」が障害者の就労支援を行うための準備として、平成17年に「NPO法人日高わのわ会」を設立しました。また、障害者の生活支援を目的とした短期入所施設「わのわのおうち輪が家」を開設し、これは、障害者自立支援法施行に向けて高知県が認可した第1号のNPO法人となりました。

NPO法人 日高わのわ会活動内容(H20年度)
図 NPO法人 日高わのわ会活動内容拡大図・テキスト

3 ひとりの住民として生きることを目指して

「NPO法人日高わのわ会」は、子育て中の父母、高齢者、障害者、発達に問題のある子ども、引きこもりの若者等約60人の会員からなっています。「歳をとっても、障害があっても、その人らしく当たり前に日高村で暮らす」という活動目標を掲げています。

その事業は、コミュニティビジネスであり、既存のサービスを利用するほどではない困り事のお手伝いを仕事にしています。そこでは、「できる人が」「できる仕事を」「できる時間だけする」というルールが決められていて、個人の能力と生活スタイルに合った多様な就労スタイルを創っています。その結果、就労の難しい障害者の受け入れを可能にしています。「NPO法人日高わのわ会」は日高村の住民ならだれでもが働ける職場であり、その中では対等な付き合いが展開されています。

また、既存の建物を使うことで新たな施設を建設する必要もなく、無駄な経費を抑制することができ、「いつでも、だれでも、タイムリーに使える」インフォーマルな社会資源として活用されています。

日高村は小さな村ですが、日本の社会の縮図のようだと思います。日高村には少数ではありますが障害者がいます。小さな村だけに、その存在は多くの住民が知っています。疾病や障害は自分には関係がないと思って生活している人がほとんどでしたが、地域を見ると、障害者だけではなくて育児や加齢によって心の健康のバランスを失っている母親や高齢者、発達の問題を抱える子どもたちがいました。その人たちも障害者も「生活のしづらさを抱えた一人の村民」という意味では同じだったのです。社会とはそういうものだろうと思いますが、規模が大きいとその全容は見えにくくなります。人口6000人足らずの村だから見えたのです。ですから、「障害者の暮らしをどう支援していくのか?」ではなく、「生活のしづらさを抱えている人たちが、どうすれば暮らしやすくなるのか」という視点で考えることになりました。

保健師の私が専門家としてできることには、限界があります。また、専門家であるが故に、障害者支援のあり方等について新しい発想をすることが難しくなるということも今後起こり得ると思います。専門家でない住民に、障害や心の健康問題等を自分のこととして感じてもらうことによって、援助者を増やし育成していくことが可能になります。そのための場を提供し、そこで生まれた当事者と住民との交流や新しいアイデアを制度にのせて具現化していくことが、私の大きな役割であると考えています。そしてそれが、障害者が当たり前に安心して暮らすことのできるまちづくりにつながっていくのだと私は思っています。

今後の課題としては、慣れた関係から発生する組織の閉塞感を解消していかなければならないと思います。組織がある程度完成し、活動が安定すると、そのままの形を維持し続けようとし、新しい会員の受け入れや事業の拡大等一歩進んだチャレンジが難しくなります。活動の中で新たなニーズを発見し、それに対応しながらシステムを創ってきたこれまでのプロセスを停滞させることのないように、互いに育ち合う関係で住民と行政の協働で、これからもチャレンジを続けていきたいと思います。

(やましたかのう NPO法人日高わのわ会監事)