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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年10月号

わがまちの障害福祉計画 千葉県印西市

千葉県印西市長 山﨑山洋氏に聞く
市民主体の安心・安全・活力のあるまちづくり

聞き手:田所裕二(社団法人日本てんかん協会、本誌編集同人)


千葉県印西市基礎データ

◆面積:53.51平方キロメートル
◆人口:63,496人(平成20年6月末日現在)
◆障害者の状況:(平成20年3月末日現在)
身体障害者手帳所持者 1,137人
(知的障害者)療育手帳所持者 230人
精神障害者保健福祉手帳所持者 97人
◆印西市の概況:
印西市は、千葉県北西部に位置し、情報発信都市東京と国際空港都市成田を連結する重要な地域にある。市の北部を利根川が流れ、北西部には手賀沼、南東部には印旛沼があり、自然林に代表される豊かな植生など、自然環境に恵まれている。
千葉ニュータウンは、昭和42年に計画決定され、59年に入居が開始された。3市2村にまたがるこのニュータウンは、全体の約6割を印西市が占めている。昭和29年に4か町村が合併しスタートした印西町は、平成8年4月1日に市制施行され、現在も千葉ニュータウンの中心都市として発展を続けている。
◆問い合わせ:
印西市健康福祉部社会福祉課
〒270―1396 千葉県印西市大森2364―2
TEL 0476―42―5111 FAX 0476―42―0381

▼印西市の特色や魅力についてお話しください。

印西市には、千葉ニュータウン中核都市として人口が急増し「若い世帯、子育て世帯が多い」という特色のある千葉ニュータウン地区と、昔から栄え「水と緑豊かな田園都市」、そして歴史に根ざした地域コミュニティーが形成されているJR成田線沿線地区とが共存しています。これらの地区の特色を活かした、バランスの取れたまちづくりに取り組んでいます。そして私たち印西市にとって2010年は、「成田新高速鉄道の開通」「ゆめ半島千葉国体の開催」と、これから非常に重要な年を迎えます。ちょっと変わったところでは、印西市の千葉ニュータウン地区には活断層がなく、地震に非常に強い土地のため、耐震が大きな課題となっている近年、企業の危機管理部門や新たな居住地という視点から、とても注目を集めています。

▼山﨑市長が市政運営の理念とされている「市民主体の安心・安全・活力のあるまちづくり」について教えてください。

今までの行政と市民の関係は、要求型でしたが、10年位前から市民自らの活動によってまちづくりが進んできました。「市民参加条例」や「市民活動推進条例」などを制定するとともに、市民団体によるまちづくり参画事業をサポートするために「まちづくりファンド」を設立し、市民協働型によるまちづくりを進めています。

また、少子高齢化社会に対応すべく「子育て優先都市」「高齢者が安心して暮らせるまち」を目指し、さまざまな施策に取り組んでいます。さらに、市民の生の声を聞くために「市長談話室オアシス」を開催しています。これは、開催日を決めて、市民が気軽に訪れやすいように、市役所1階ロビーで予約なしで直接私と話すことができるものです。

▼そういった中で、障害のある人たちへの施策には、どのように取り組まれていますか。

まずは、障害のある人たちと市民が直接触れ合えることを基本に考えています。障害のある人たちがどのような生活や活動をしているのか、市民が自分の目で見て、肌で感じることが大切です。私も、総合福祉センターへ行く時などは、必ず福祉作業所へも顔を出すようにしています。また、私の名刺は作業所のみなさんが点字を付けて作ってくれたもので、もうこれを千枚以上はお配りしています。

しかしながら、障害のある人のための社会資源は、他の地域に比べるとまだまだ少ない状況です。大規模な自治体とは異なり、予算や人員にも限りがあります。そこで、私たちは創意工夫を凝らし、民間や他分野での活動との連携、および協働を重視した取り組みを行っています。

1.特区による高齢者施設の利用

市内で通所介護事業を行ってきたNPO法人秋桜と協働し、「健康福祉千葉特区」として介護保険法による通所介護事業所に、障害者施設に馴染めず引きこもりがちな知的障害のある人が通所できるようにしました。現在では、障害者自立支援法により特区申請なしに事業展開ができ、1日平均2~3人の障害のある人が高齢者と一緒に過ごしています。

2.他部局と連携している移動支援事業

当市では高齢者部局と連携し、車両移送型の移動支援事業を行っています。また、交通政策部局と連携し、市内循環バス「ふれあいバス」も、障害者手帳を持っている人は運賃を無料にしています。

3.障害児をもつ保護者との協働による独自事業

障害のある児童が、住み慣れた地域の中で放課後を友だちや指導員と過ごす憩いの場「クリオネクラブ」を、市独自の地域生活支援事業として行っています。この事業も、障害児をもつ保護者を中心とした「NPO法人マーブル福祉会」に運営を委託していますが、保護者と市とが粘り強く協議を重ねた結果、やっと事業開始にこぎつけた経緯があります。

4.学校転用事業によるさまざまな分野との連携

この「クリオネクラブ」が活動している場所は、もともと小学校であった施設を活用したものです。「そうふけふれあいの里」といって、この他にも「教育センター」、「高齢者就労支援センター」、「ヘルスアップ教室」(メタボ対策・寝たきり予防)、「つどいの広場」(乳幼児をもつ保護者同士の交流)など、赤ちゃんからお年寄りまでが集える場となっています。

5.障害者の就労を支援する場

昨年、社会福祉法人印旛福祉会が運営する障害者就労支援施設「いんば学舎・オソロク倶楽部」をオープンし、パンの販売やレストランの接客などを通じて、就労への訓練を始めました。手作りのパンや独自の窯で焼くピザなどが人気で、最近では多くの市民のみなさんで賑わいを見せており、ここでも障害のある人と市民の触れ合いが実現しています。

これからも障害者の就労支援を推進していくと共に、障害のある人が、その人に合った多種多様な価値観のもとで社会貢献し、活躍できるような環境づくりも大切にしていきたいと考えています。

▼多くの活動が民間の力と上手く連携して行われていますが、その基本には市民の目線を大切にした市の姿勢があるようですね。特筆できる事業をアピールしてください。

「子ども発達センター」の考え方が、すべてに共通していると思います。ここでは、児童デイサービスなどの事業もあり、子どもの日常生活での基本的な動作の指導、集団生活への適応指導などを行い、子どもの発達支援のお手伝いをしています。しかし、それ以前に重要なことは、まず、何でも良いので子どもについて心配なことがあったら気軽に相談してほしいと、門戸を開いていることです。ここには、保健師、言語聴覚士、理学療法士、保育士などの専門職員がおりますので、育児書などだけで「うちの子は何かおかしいのでは……」と思った場合に、すぐに相談ができます。ことばや聞こえ、運動、発達に関することなど、何でも大丈夫です。そして、もし発達の遅れなどが確認された場合には、先ほどの専門職員が適切な指導を行いますし、年齢や必要に応じては、これまで紹介してきたさまざまな事業の活用を勧められます。つまり、ここはお父さんやお母さんに安心を提供できる、最初の窓口なのです。

また、当市では夏休み期間を利用して、市内中学生を対象に「ホームヘルパー3級講座」を開催しています。この講座では現場実習もあり、若い世代の人が福祉に興味を持ってもらう絶好の機会であると考えています。

▼最後に、今後の障害者施策について抱負と市長の思いをお聞かせください。

福祉作業所や各障害者福祉事業の利用者の増加に伴い、やはり社会資源の不足を感じています。第2作業所の建設やクリオネクラブの教室の拡張工事などを、具体的に考えていきたいと思っています。

最後に、福祉全般に対する私の理念をお話しします。それは、「福祉とは同情してはいけない。共感すること」です。福祉を必要とする人に同情してはいけないと思います。同情しているだけでは何も始まらないですし、福祉を必要とする人に対しても失礼に当たると思います。しかし、福祉を必要とする人の気持ちを共に感じることで、不思議と言葉にはならない何かが見えてきます。なぜ「共感」できるか。それは障害のある人、ない人、みんな一人の「人間」なんです。「共感」する中で「行政」として何ができるかを常に考えること。それが「市長」である私の「使命」です。

私はこの理念がノーマライゼーション理念の一つの答えではないかと考えています。この言葉を常に心がけ、障害のある人々も含んだ市民のみなさんと、大いに触れ合い共に感じながら印西市のまちづくりに邁進していきたいと考えています。


(インタビューを終えて)

しっかりと印西の地に足を付け根を下ろし、地元を愛する「親父」の目が印象的な山﨑市長でした。言葉を繕うことなく、本音で市政と自らの思いを語るその姿に引き込まれ、あっという間に過ぎてしまったインタビューでした。中小規模の自治体において、いかにその特徴を生かしながら市民へのサービスを作っていくか、そして障害のある人への支援を行っていくか、一つの良い事例提供となったのではないかと思います。民間活動を大いにもり立て、縦割り行政のしくみを越えて、現存する制度・サービスをより有効利用する。そして何よりも、サービスの現場、行政窓口、そして市長が、市民の顔が見える共通の理念でそれぞれの役割を担っていることです。インタビューに合わせて、市内各事業を見学させてもらいました。特に、学校転用事業における「そうふけふれあいの里」とそこで活動するみなさんの活躍ぶりには、私も大いに刺激を受けました。それぞれの現場で感じた“いきいき感”は、この山﨑市長のインタビューを行ったことで、「なるほど……」と得心がいった1日でした。