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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年10月号

ワールドナウ

リハビリテーション・インターナショナルと第21回世界会議

奧野英子

2008年8月25日から28日まで、カナダのケベック市でリハビリテーション・インターナショナルによる第21回リハビリテーション世界会議が開催された。わが国からは約10人が参加し、リハビリテーション専門医、リハ工学専門家、大学教員、特別支援教育研究者、ソーシャルワーカーなどであった。

ケベック市はちょうど400年前にフランス人がカナダに上陸した土地であり、今年はケベック市誕生400周年の記念行事も行われており、非常に美しい街であった。

本稿では、「リハビリテーション・インターナショナル(RI)」の概要、第21回リハビリテーション世界会議の概要、見学したリハビリテーションセンター、ケベックの街の様子などをご紹介したい。

リハビリテーション・インターナショナル

アメリカにおいて、肢体不自由児の援護団体であった全米イースターシール肢体不自由児協会が母体となって、1922年に国際肢体不自由児協会がニューヨークに設立された。同協会は世界各国持ち回りで定期的にリハビリテーションの国際会議を開催し、加盟団体を増やしていき、また、リハビリテーションの対象者を肢体不自由児のみに限定せず、障害児、成人障害者、高齢障害者も対象とするようになった。障害の種類についても、当初はポリオを中心とした肢体不自由であったが、現在は、視覚障害、聴覚・言語障害、知的障害、高次脳機能障害、精神障害等、あらゆる障害のある方々を対象としている。

現在は、約100か国、1000以上の加盟団体を擁するリハビリテーションの全分野を代表する唯一の国際機関であり、国連の諮問機関でもあり、国連の障害者関係の大きな取り組みについては、これまで常に基礎資料を提供してきた重要な機関である。

現在の常置委員会は、健康・機能委員会(旧、医学委員会)、就労・雇用委員会(旧、職業委員会)、社会委員会、教育委員会、支援機器・アクセス委員会(ICTA)、政策・サービス委員会、スポーツ・レクリエーション委員会などがある。

名称の変遷とリハビリテーション世界会議

世界のリハビリテーションをこれまで発展させてきた牽引車であった同協会は、時代の要請に合わせて、これまでに4回、その名称を変更してきた。その経過は次の通りである。

■名称の変更■
1922年 国際肢体不自由児協会
1939年 国際肢体不自由者福祉協会
1960年 国際障害者リハビリテーション協会
1972年 リハビリテーション・インターナショナル

初めての世界会議は1929年に開催されているが、その後、ほぼ4年に1回開催され、今回の第21回までの世界会議の開催国・開催都市は次の通りである。

■世界会議の開催経過■
1929年 第1回 スイス・ジュネーブ
1930年 第2回 オランダ・ハーグ
1936年 第3回 ハンガリー・ブタペスト
1939年 第4回 英国・ロンドン
1951年 第5回 スウェーデン・ストックホルム
1954年 第6回 オランダ・ハーグ
1957年 第7回 英国・ロンドン
1960年 第8回 アメリカ・ニューヨーク
1963年 第9回 デンマーク・コペンハーゲン
1966年 第10回 西ドイツ・ウィスバーデン
1969年 第11回 アイルランド・ダブリン
1972年 第12回 オーストラリア・シドニー
1976年 第13回 イスラエル・テルアヴィヴ
1980年 第14回 カナダ・ウィニペグ
1984年 第15回 ポルトガル・リスボン
1988年 第16回 日本・東京
1992年 第17回 ケニア・ナイロビ
1996年 第18回 ニュージーランド・オークランド
2000年 第19回 ブラジル・リオデジャネイロ
2004年 第20回 ノルウェー・オスロ
2008年 第21回 カナダ・ケベック

筆者は日本障害者リハビリテーション協会の職員として、第11回から第14回の会議は事務局として関わり、第15回の会議から第21回の会議まではすべての会議に参加でき、これらの会議から学ばせていただいたことがたくさんあり、感慨深いものがある。

第21回世界会議の概要

2008年8月25日から28日まで、カナダケベック州のケベック市会議センターで開催された第21回世界会議は、テーマに「すべての人の社会を目指して(Ensuring a society for ALL)」を掲げて開催された。ケベック州はフランス語圏であるため、表示も資料もフランス語が優先されており、フランス語が疎い私にはバリアがあった。

会議事務局の発表によると、参加国は50か国、参加者は850人であった。1988年に東京で開催された第16回世界会議には、93か国から2800人以上の参加があったことを考えると、世界会議としては第21回会議は小規模な会議であったと言えよう。

会期4日間にわたり、午前中には全体会が開かれ、基調講演がたくさんあった。発表者には障害当事者が多く、リハビリテーションの関係専門職として当事者が多くなってきていることを感じ、素晴らしい発展であると思った。

全体会での基調講演の主要テーマと発表者の国名をあげると、以下の通りであった。

■基調講演主要テーマ■
  • 障害者の権利と社会参加に関するアフリカ女性の経験(南アフリカ)
  • インクルージョン・アクセス可能なカナダにするための障害者プラン(カナダ)
  • 国連障害者の権利条約とBMFをアジア地域で推進するためのパートナーシップ(香港)
  • WHOリハビリテーション:車いすガイドラインの策定(WHO)
  • 障害者保護の時代から社会参加へ:ケベックの取り組み(カナダ)
  • IL運動:自己決定を通しての市民権・人権の推進(アメリカ)
  • 障害市民を受け入れる地域社会:変革を実現するための方策(アメリカ)
  • アラブ世界の障害者政策(レバノン)
  • 脳外傷とともに生きる(フランス)

全体会終了後は毎日、分科会が同時並行的にいくつも開催され、かつ分科会のテーマは多岐にわたっており、主要テーマは下の表の通りであった。各分科会には5人の発表者がおり、さまざまな地域、国々からの発表が行われ、活発な討議が行われた。

■分科会主要テーマ■
  • 精神障害者と家族:権利とインクルージョン
  • 知的障害者:教育と自己決定の権利
  • ユニバーサル・デザインとインクルージョン
  • 脊髄損傷者のリハビリテーションと社会参加
  • ICF(国際生活機能分類)とその活用
  • CBR(地域リハビリテーション)ガイドライン
  • 職業訓練を受ける権利の実現
  • ハビリテーションとリハビリテーションへのアクセス
  • 国連障害者の権利条約
  • 知的障害者の権利と受けられるサービス
  • 知的障害者の権利と社会参加
  • すべての人のための教育
  • 社会政策と障害
  • 倫理観と障害
  • HIV―エイズ患者の人権とインクルージョン
  • 教育と障害学
  • 雇用へのアクセス
  • 所得保障、障害関連費用の保障と自立生活
  • 社会参加とソーシャルサポートサービスへのアクセス
  • 人権と障害女性

リハビリテーションセンターの見学

大会最後の日は施設見学ができ、私は「身体障害者リハビリテーションセンター」を訪問した。ケベック市会議センターからタクシーで15分くらいの場所にあり、広大な敷地に平屋建ての建物が中央廊下を中心に、左右に何棟もある大きな施設であった。

同センターが対象とする障害は、あらゆる年齢層の肢体不自由、視覚障害、聴覚障害、言語障害などであり、知的障害者リハビリテーションセンターが別の場所にあるとの説明であった。

脳性マヒ等の周産期障害から、疾病や事故等による中途障害のある方々に対する早期リハビリテーションを実施しており、同センターには職員が約1000人いるとのことで驚いた。入所施設のベッド数は120床で、実際に見学できた部屋はPTやOTによる機能訓練、切断者のための義肢の製作・装着訓練、木工などの職業訓練、STによる補聴器装用訓練等であった。

ケベックの街とジャンヌ・ダルク公園

ケベック市生誕400年とのことで、街の中では、400年前の衣裳を着てのゴルフ大会や、夜にはミニコンサートなどが開催されていた。会議場から歩いて10分くらいの場所に、「ジャンヌ・ダルク公園」があった。

リハビリテーションの広い概念を説明するときに、私は「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション」を話すので、そのような意味から、第21回リハビリテーション世界会議が開催されたケベック市に「ジャンヌ・ダルク公園」があったので、感動した。東京の日比谷公園の4分の1くらいの小さな公園であり、公園の中央に、騎乗で槍を雄々しく掲げているジャンヌ・ダルクの美しい銅像があった。

「ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション」を説明するときには、次のように説明しているので、その説明をもって本稿の終わりとしたい。

「ジャンヌ・ダルク(1412~1431年)は、15世紀前半に起こったイギリスとフランスの百年戦争において『神の啓示』を受け、オルレアンでの戦いで戦闘の指揮を執り、フランスを救った。しかし、彼女は『教会の聖職者を通さずに神の啓示を受けた』という理由で宗教裁判にかけられ、火刑にされた。19歳の短い悲劇的な生涯を終えたのである。しかし、彼女の死後25年が経った1456年に、『25年前の宗教裁判は無効である』とされた。これらの経過をさして、ジャンヌ・ダルクの名誉の回復を『ジャンヌ・ダルクのリハビリテーション』という。」

(おくのえいこ 筑波大学大学院人間総合科学研究科教授)