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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年10月号

列島縦断ネットワーキング【広島】

閉校舎を障害者施設として活用して

藤本英次

私たちの社会福祉法人若菜は、支援費制度が始まった2003年4月、高齢化が進んだ尾道市御調町(地域包括ケアで有名)で、閉校舎を活用した「知的障害者通所授産施設あやめの里」としてスタートしました。

現在、閉校舎3つを含めた10か所の施設で、自然の中での畑作業・無農薬野菜の加工製造販売・地域の清掃作業などの授産事業、生活の場としてのケアホーム事業、地域と共催の行事・祭りや旅行など、地域の方々と共に障害者の自立支援を行っています。

卒業後の行き場がない…悲痛な願いを受け止めて

私が障害者施設を始めたきっかけは、ある障害者の集いです。そこで耳にしたのは、多くの保護者からの不安の声です。「学校を卒業しても行き場がなくて困っています。何とか作業所を作っていただけないでしょうか」という悲痛な願いでした。

2002年9月、障害者のための「NPO法人自立支援センター若菜」設立の認可申請をしました。障害者支援活動に全く関わりの無い、素人による障害者支援の出発です。まずは仕事からと、早速畑を借りて、草取りと食事会を月1回のペースで始めましたが、障害者の多動・パニック・癲癇(かんしゃく)など、私には初めての体験で何から何まで驚きの連続でした。

2003年1月、NPO法人認可と同時に「尾道作業所」を開所しました。しかし、普通の給与で職員を雇える状態ではなく(当時利用者2人・職員2人)、しっかりとした障害者支援をするためには、もはや社会福祉法人での運営しかありません。そこで社会福祉法人設立のため、施設設置基準を満たすための場所探しを始めることになりましたが、場所もさることながら、なかなか地域住民の理解が得られませんでした。

そんな折「綾目小学校が閉校式の準備中」という新聞記事が目に飛び込んできました。しかし、綾目小学校は、海辺の尾道作業所から遠く離れた山間部にあります。

山間部閉校舎を地域活動の拠点に

本来、学校は地域のさまざまな活動の中心的存在であり、地域の伝統やこれまでの活動実績を後世に伝承する使命を持っています。そして、卒業生の思い出が詰まった学校はいつまでも存在し続けてほしいものです。また、地域に根ざした学校は、地域のすべての住民が集い楽しめる場所として必要です。活発な地域活動が行われれば、昔のようなコミュニティーが復活できるかもしれません。

学校の施設をあるがままに残し、障害者施設が地域に溶け込み、地域の人材・自然等を有効に活用できれば、町の復興に寄与できるものと考えました。共生の道の模索です。

2003年3月、NPO法人を発展的に解消して、理事・評議員・職員として地域の人が参画し、地域と一体になった「社会福祉法人若菜」が誕生しました。遠方より利用者を全員送迎する「知的障害者通所施設あやめの里」のオープンです。

閉校舎を借りる、活用するということは、学校を今まで通り変えないことであり、今まで以上に美しく維持することであり、今まで以上に地域の人が気楽に出入りできるということです。今では、校庭で地域の人がゲートボールを楽しむ傍らで、利用者が草取り作業を行う姿が見られます。時には、昼食を共にします。学校帰りの子どもたちも気楽に立ち寄っています。

各施設の作業内容

設立当初の活動は、地域の協力を得て学校の隣に畑を借り、野菜作りから始めました。とはいえ、野菜作りとは名ばかりで、野菜の苗も草も区別がつかず、土と戯れる毎日でした。しかし、日が経つにつれ、自然は不思議な力を発揮しました。歩けなかった人が飛び跳ね、病気がちだった人も健康になり、下向きの目線が太陽へ向かいます。

地域と一体となって運営しているおかげで、仕事の量や幅が広がり、仕事には事欠かなくなりました。地域の方々の応援で、蕎麦打ち・豆腐づくりなどの訓練をはじめ、将来はすべて無農薬の豆腐屋・そば屋を開店する予定です。

●「あやめの里」(旧綾目小学校・定員20名・通所授産施設・新制度では就労移行支援・就労継続B型の予定)

施設周辺の畑10か所(約3千坪)で、菊芋・大豆などを完全無農薬で栽培しています。また、地域の畑の草刈り(畑管理事業)、地域施設の清掃(メンテナンス事業)、地域のお宅の洗濯・掃除(クリーニング事業)等、多岐にわたる事業を行っています。

●「すが野の里」(旧菅野小学校・2005年9月開所・定員20名・通所授産施設・新制度では生活介護・生活訓練の予定)

地域の強力な後押しで、新たに学校をお借りしました。主にあやめの里で収穫した菊芋で、お茶・漬物などの食品加工事業をしています。この施設は重度の自閉症の方が中心ですが、教室・校庭など自分だけの居場所が確保できたことや、「働くこと」を通して問題行動もなくなりました。

●「川辺の里」(旧上川辺小学校・2008年3月閉校・ケアホーム定員20名・ショートステイ20名予定)

これまでのケアホーム2か所も突然の家族の死などで満床となり、2008年4月、新たに閉校舎をお借りすることになりました。開所にあたり、3階建の2階部分を改修して、ケアホーム10名の募集を始めます。皆が快適に住めるための冷暖房完備の広い個室・談話室・食堂、さらには音楽ホール・体育館も付属します(家賃6,000円、日用品費4,000円、管理費15,000円、食費約20,000円、入所金などその他は必要ありません)。

地域に見守られ自立を目指して

あやめの里を始めて5年が経過しましたが、支援の方法は日を追うごとに変わりました。

保護者全員が「うちの子は何もできない」と言い、当初私たちもできないことを前提とした支援をしていました。しかし、個々に仕事を与えて任せ、できたら褒めるという支援で、自信を持ち輝き始めました。今では、60数人いる利用者が、草刈機・耕運機などの機械を駆使し、地域の田畑に向かいます。懸命に仕事に打ち込む姿に感銘します。働くことは楽しいものです。

一般に一歩外に踏み出すと臆病になるものですが、地域の方々の温かさに見守られ、障害のある人が自ら心を開きつつあります。

今、利用者に5年後・10年後の夢を語ってもらっています。また私たちなりに将来像を思い浮かべています。将来あるべき姿に障害は関係しません。個々の才能を引き出し、自らが自分の可能性に気づき、自覚することで、夢がどんどん近づきます。

地域の中で、自立した一人ひとりが、個性をきらりと光らせ、生涯自信をもって生きていくことを願っています。

(ふじもとえいじ 社会福祉法人若菜理事長)