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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年12月号

裁判員制度における知的障害者の課題

辻川圭乃

裁判員制度における知的な障害のある人の課題としては、知的な障害のある人が裁判員に選ばれる場合と、被告人として裁判員裁判を受ける場合の両面から考える必要がある。

当然の権利として裁判員に選ばれる場合

知的な障害のある人が裁判員に選ばれる場合の前提として、知的な障害があるからといってすべて一律に、裁判員法14条にいう「心身の故障のため裁判員の職務の遂行に著しい支障のある者」に該当することはないことを確認する必要がある。最高裁判所の見解としては、裁判員制度においては、障害をもつ人を含め幅広い国民が裁判員になることが当然想定されているので、障害をもつ人が裁判員や裁判員候補に選ばれた場合には、支障がないようできるだけの配慮をしていくとしながら、事件の事案によって、「視覚」や「聴覚」による事実認定が不可欠な場合は裁判員になりえない可能性があるとしている。とすれば、事実認定に「知力」が必要になるとして、すべての知的障害のある人が排斥されてしまう危険がある。裁判員制度が、「国民主権」の表れとして司法行為に参加するものである以上、知的障害のある人を排除することなく、むしろ参加できるよう積極的に配慮される必要がある。

なされるべき配慮

(1)分かりやすい表示・内容

では、どのような配慮がなされるべきであるかであるが、まず、すべての手続きにおいて分かりやすい表示と内容の分かりやすさが必要である。最終的に裁判員として裁判に参加するまでの過程でいろいろな文章が示されると思うが、それにはルビが振られているべきである。ただ、それだけでは不十分である。たとえば「情状酌量」に「じょうじょうしゃくりょう」とルビが振ってあったとしても、読み方としては分かっても、言葉の意味は理解できない。従って、できる限り平易な文章で書かれていることが大切である。

(2)専門用語の多用を避ける

裁判員に選ばれた後は、裁判の進行についても理解しやすいような配慮が必要である。現行の裁判では法律用語が多く使用されるが、裁判員裁判においては、法曹関係者はできるだけ専門用語の多用を避け、分かりやすい表現を心掛けるような制度づけを考えなければならない。

(3)補助者の採用

また、特に知的障害のある人が、裁判員としてその職責を全うするためには、目の前で行われている裁判についてその理解を助ける支援が不可欠である。証人や被告人が何を言っているのかを分かりやすく伝え、検察官や弁護人の難解な言い回しの意味を十分に理解させることができる専門の補助者が是非必要である。

さらに、時間的な問題として、集中力を長時間維持しがたいので、こまめな休憩をとるなどの配慮も必要である。

被告人として裁判員裁判を受ける場合

他方、障害のある人が被告人として、裁判員制度による裁判を受ける場合も、非常に課題は多い。

第一に、裁判員に対して、被告人の障害を正しく伝える工夫が必要であるが、特に見た目で非常に分かりにくい知的障害を集中審理の中の短時間で、裁判員に理解してもらうことの困難さが懸念される。

また、裁判員裁判の対象事件は重大事件に限られるから、世間の耳目を集める事件も多く含まれる。そんな時、仮に被告人に障害があるような場合に、テレビのコメンテーターなどによってもたらされる「なんで野放しにしておくのだ」といった差別的意見やあたかも障害と犯罪を結びつけるかのような偏見により、感情的な厳罰化傾向が裁判員に生じないようにしなければならない。

第二に、知的な障害のある人が被告人になった時は、裁判員はその障害特性を十分に踏まえた上で事実認定や量刑の判断をする必要がある。特に、知的障害は、相手に迎合しやすく、誘導に乗りやすいという特徴がある上、対人コミュニケーションの障害を伴うため、その供述内容の信用性については慎重に判断しなければならない。

以下、問題となる部分を具体的に詳述する。

(1)事実認定の判断

過去、被告人に知的障害があった冤罪事件は島田事件をはじめとして数多くある。知的な障害のある人は、発問者に迎合しやすく、誘導に乗りやすい傾向があるため、捜査機関の間違った見込みに沿う供述をしてしまうためである。

また、知的な障害のある人は、その生育した社会環境の影響を受けた結果、供述をなす場合においていくつかの特徴的な心的反応を示す場合があるが、その心的反応を考慮せずに発問をすると、結果として事実と異なる供述を引き出してしまうこととなるのである。

心的反応のひとつは、「動議付け」の問題である。知的障害のある人は、過去にさまざまな失敗経験を重ねていることが多く、その結果、少しできれば満足して、それ以上の達成を求めない傾向がある。具体的には、知的障害のある人は質問をされた場合に、質問の内容よりも質問者のほうに意識を集中し、質問者から肯定的な反応を導き出せばそこで満足して反応が止まってしまうということがあるのである。

次に、知的障害のある人は、周囲から指示を受けて他人の判断を尊重して生活することを余儀なくされている場合が多いため、質問の意味が分からなくても、肯定する反応を示したり(黙従反応)、誘導に乗ったりしやすいと言える。答えを確認されることも苦手で、同じことを二度聞かれると、前の答えは間違っていると言われているのだと感じて、前の答えを撤回することがある。

知的障害のある人にとって、質問の意味が分からない場合に、質問の意味を聞き直したり、質問の誤りを指摘することはとても難しいことなのである。従って、知的障害のある人にとって、質問者との関係性や質問者の態度が極めて大きな意味を持つことを理解する必要がある。

(2)動機の判断

知的障害のある人にとって、自分の内面を適切に表現することは非常に困難である。動機についても然りである。ところが、動機について問われると、前述した心的特性から、何か言わなければいけないと考え、たまたま思いついた「動機」を供述することがよくある。それは、えてして、発問者が無意識に発した言葉にヒントを得たものであったり、以前に他の事件の報道などで見聞きしていたものであったりする。その結果、事案にそぐわない了解不能なものになってしまったり、自分勝手で短絡的な酌量の余地のないような動機を供述してしまうことになる。

知的な障害のある人が犯罪に至る背景としては、実際は、共犯者に利用されていたり、搾取等の被害にあっているために生活に困窮していたりといったことが多い。知的障害のある人は、ストレスやプレッシャーに弱く、これらの外的要因に影響されやすいので、ストレスを与えるような質問方法は慎むなど、口頭主義及び直接主義が求められる法廷において、コミュニケーションに障害のある人が自分の口から説明するために十分な時間と供述しやすい尋問環境が必要である。

(3)反省の判断

知的障害のある人の中には、先を見通す力が弱く、場の空気が読めないところがある人もいる。被告人席で落ち着きがなく、キョロキョロと法廷内を見回したり、体をゆすったりしている人もいる。また、人定質問で裁判長から名前や生年月日を尋ねられて、答えられたこと自体がうれしくて得意そうにしていることもある。そのような態度を見た裁判員が、障害特性について全く知らないとすれば、被告人としての立場が分かっていない、不遜な態度であると映ってしまう可能性が高い。

また、抽象的な概念が苦手なため、比喩的な表現が分からず、言葉の意味を文字通りに捉えてしまうところがあるため、たとえば、「被害者の立場になって考えたことがあるのか」と問われると、「被害者の立場にはなれない」と正直に答えてしまうところがある。そうなれば、障害特性を知らない人の目からは、反省していない、開き直った態度であると映ってしまう。

知的障害のある人は、内面を表現することが困難なので、実際にはとても反省していたとしても、それをうまく伝えることができず、結果として、反省のかけらもなく情状酌量の余地がないとされ、これまでも重く罰せられてきたという実態があるのである。

(4)責任能力の判断

そのほか、知的障害が責任能力に及ぼす影響について、精神鑑定が実施されることも考えられるが、その場合に集中審理による短期間の審理を担保するために、十分な時間をかけられず拙速裁判にならないように、また、被告人の防衛権に不利益にならないように十分に注意することが必要である。

(つじかわたまの 弁護士)