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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年2月号

ワールドナウ

着実に進む視覚障害者自身による自立への歩み
―日本ライトハウスとカンボジア支援事業―

竹下亘

「点字を習いたい。仲間がほしい」―農村の視覚障害青年の願い

2002年1月、私は日本ライトハウスからカンボジアに派遣され、現地の視覚障害者がどのような状況にあり、どのような支援を必要としているかを調査した。しかし、実は訪問前から「自分たちが何を提供できるだろうか」という不安があり、それは現地の状況を知るにつれて募っていった。

現在、カンボジアは人口1,339万人(2008年調査)に対して、視覚障害者は14万4千人と推計されているが、国による福祉施策は皆無に等しく、NGOによる草の根支援が頼り。当時、盲学校はNGOが経営する2校(小中学校)のみで、生徒は約100人。クメール語の点字は1994年に作られたばかりで、読める人はごくわずか。カンボジア盲人協会が前年に結成されたところで、会員は151人。

視覚障害者の職業と呼べるのは、かつて日本の盲学校で学んだカンボジアの視覚障害者が持ち帰り、広まった日本のあんまマッサージだけで、就業者は約50人。一般の障害者観も「障害は前世の行いの報いと見なされ、疎まれるばかりか、お恵みすると自分に災いが及ぶと考えられている」と聴いた。

しかも、首都プノンペンでさえ内戦の荒廃からの復興途上で、視覚障害者が一人で歩ける状態ではない上に、街を一歩出れば、電気も水道もない農村が点々と広がる。文化の異なるこの国で、日本の都市型のリハビリテーション技術やIT化された点字・録音技術が実際に役に立つだろうか……。

そんな私の迷いをふっきらせてくれたのは、農村の視察で出会ったコリャン・キ青年(当時24歳)だった。

彼は6歳の時、病気で見えなくなり、通い始めていた小学校を退学。それから11年間は家で何もせずに暮らした。17歳の時、NGOカリタスのCBR(Community Based Rehabilitation:農村など地域に根ざしたリハビリテーション)スタッフが訪れ、木の杖による単独歩行と家畜の飼い方を習い、少額の資金を借りて畜産に着手。牛2頭、豚1匹、鶏7羽を飼っていた。「4キロ四方は自由に歩ける」と刈り入れ後の田んぼを杖なしでスタスタと歩いていき、放牧中の牛2頭を連れ帰ってきたたくましさには感心させられた。

しかし、私が彼に点字の名刺を渡すと、初めて見る点字に一生懸命に指をこすりつけながら、「本当は学校に行きたかった。ぜひ点字を習いたい。本も読んでみたい」と顔を輝かせた。また、カンボジア盲人協会ができたことを話すと、「他の盲人とも知り合いになりたい。盲人同士なら心が通じ合えるはずだ」と孤独な心の内を洩らした。

農村での生活では立派に自立しているキ青年だが、その口から文化やコミュニケーションへの憧れを聴いて、私たちにも有用なノウハウがあり、それをぜひ提供したいという思いが沸き上がってきた。

ヘレン・ケラーの灯火をアジアへ―日本ライトハウスと国際協力

カンボジア視覚障害者支援事業は、財団法人毎日新聞大阪社会事業団の委託によりスタートした。同事業団は、長年、多くの国際支援を行ってきたが、新たにアジアの視覚障害者に焦点を当てた支援を企画。日本ライトハウスが相談を受け、事前調査した結果、すでに日本財団などの支援を受け、前年にカンボジア盲人協会を立ち上げたブン・マオ会長が提携先に浮上し、その全面的な協力の下、支援事業が開始された。

日本ライトハウスは、1922年(大正11年)、19歳で視覚障害になった岩橋武夫が大阪で創業した民間の社会福祉法人である。現在、大阪府下にリハビリテーション、盲導犬、点字・録音図書館、点字出版の4施設を持ち、全国の視覚障害者を対象に総合的な福祉事業を展開している。

岩橋はヘレン・ケラーと親交が深く、戦前戦後の2回、彼女を日本に招請。全国で講演活動を行い、国内に障害者理解を広め、それにより身体障害者福祉法が実現した。また、当法人は1965年、現Helen Keller Internationalの協力により、わが国初の視覚障害者リハビリテーション施設を開設した。

このように日本ライトハウスは、ヘレン・ケラーをはじめ海外の支援により、今日まで育てられた。ヘレンは岩橋に「私はアフリカと南アメリカを、あなたはアジアを守ってください」と告げたという。これに応えて、岩橋は初のアジア盲人福祉会議を企画し、岩橋没後の1955年、東京で開催された。また、1975年には岩橋武夫賞を創設し、アジア・太平洋地域の貢献者の顕彰を毎年行っている。カンボジアの視覚障害者支援事業も、日本ライトハウスがこれまで海外から受けた恩恵を、アジアなどの発展途上国に分かち合う絶好の機会だと考えている。

リハビリ、あんま、日本研修―8年間に多様な事業を実施

支援事業では、2001年度から2008年度の各年度に、マオ会長と相談しながらさまざまなプログラムを提供してきた。予算総額は約1,700万円(毎日財団1,400万円、個人寄附・法人負担300万円)。年度順の事業概要は以下の通りである。

●2001年度:

・現地調査=職員2人が11日間訪問。調査報告書を作成。

●2002年度:

・日本研修=マオ会長ら2人を大阪に13日間招待。視覚障害者福祉施設の見学と事業計画の相談。

・視覚障害リハビリセミナー=職員2人を派遣し、現地のNGO職員ら30人に3日間、視覚障害と福祉、ガイド、白杖歩行、点字の基礎知識等を講習。クメール点字入門書を製作。

●2003年度:

・マッサージセミナー=視覚障害のあんま鍼灸指導員2人(笹田三郎氏・関矢稔氏)と職員を派遣し、2か所で延べ5日間計31人に実技指導。世界盲人連合アジア・太平洋地域シンガポール大会参加費助成。

●2004年度:

・日本研修=マオ会長ら4人を大阪へ12日間招き、福祉、IT、マッサージ技術等を研修(日本財団の支援で翌年プノンペンに竣工する情報&訓練センターの開館準備)。世界盲人連合南ア総会参加費助成。

●2005年度:

・マッサージスキルアップセミナー=現地視覚障害指導員が初級者24人に3か月間、中級者25人に1週間スキルアップ指導。

・広報事業=広報職員1人を雇用し、啓発誌(クメール語・英語対訳)を年4回発行。

・図書館整備=図書館職員1人を雇用し、録音機器を整備。

●2006年度:

・広報事業=ホーページ開設(http://www.cambodianblindassociation.org/)。広報ビデオ製作。啓発誌継続発行。

・パソコン整備=本部と6支部にパソコン7台を配備。マレーシアのPC研修会に職員2人を派遣。

●2007年度:各種助成

・日本語教室=視覚障害マッサージ師15人に1年間日本語を研修(点字・録音テキストを製作)。白杖300本、ブラインドサッカーボール、ブラインドテーブルテニスセットを寄贈。

●2008年度:

・大阪招待=社会貢献支援財団の表彰で来日したマオ会長を大阪に招待。記念講演会開催。デジタルカメラと寄付金を寄贈。

成果と課題―めざましい発展と支援継続の困難

以上のプログラムで分かるとおり、支援事業は支援者主体から、次第に当事者主体に変わってきた。それだけ、カンボジアの視覚障害者の自立の力が高まってきたと言えると思うが、昨年末、マオ会長から聴いたカンボジア盲人協会の発展ぶりと視覚障害者の状況の変化には目を見張るものがあった。

カンボジア盲人協会の会員は、結成時の151人から1万3196人に増加。生業に就いている視覚障害者は約1千人で、そのうち、あんまマッサージ師は約200人。同協会が本部と地方の6支部で個別訪問等により眼科手術につないだ患者は5,936人で、視力を回復した人は、うち4,202人。さらに、歩行・日常生活訓練や生業に就く支援を行った人は809人。教育面でも地方都市の普通小学校に視覚障害児の統合クラスを開設したという。

こうした成果の背景には、強盗に硫酸をかけられ、重い障害をもちながらも、白杖歩行と点字、英語、IT、あんまマッサージ技術で再起を果たしたマオ会長の魅力的な人柄と統率力、そして日本財団をはじめ各国の助成団体の支援を活かす知恵と実行力がある。

一方、私たちの課題を考えると、日本のリハビリテーションやIT技術は、そのままでは現地では役に立たない。現地の事情やニーズに合わせて柔軟に適用するのはもちろんだが、本来は長期間現地に住み込み、その文化や生活を学びながら提供するのが理想の姿だろう。しかし、福祉施策の後退で自施設の経営さえ危うい私たち民間の福祉施設が、そのような資金や人手を獲得し、積極的な支援・協力活動を続けていくことは至難の業である。

実は、毎日新聞大阪社会事業団の助成事業は、カンボジア盲人協会が安定的な発展を遂げたため、2007年度で終了した。このため、2008年度は当法人と毎日財団の折半と、個人のご寄附でささやかな支援を行った。カンボジアとの協力関係は今後も続けていきたいが、今後、予算をどのように確保するか頭を悩ませている。

果たして、私たちの支援は、キ青年の願いをかなえるのにどれだけ役立っただろうか。いつの日か、キ青年に再会して、彼がどのような生活を送っているか、じかに確かめたいと願っている。

(たけしたわたる 社会福祉法人日本ライトハウス盲人情報文化センター総務部長)