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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年6月号

文学にみる障害者像

映画「僕はラジオ」
―何もしなかった―

佐々木卓司

「僕はラジオ」という映画は2003年に公開されたハリウッド映画で、アメリカ:サウスカロライナ州にある小さな町アンダーソンのハナハイスクールの一教師と知的障害をもつ黒人青年の交流を描いた実話をもとにして作られた作品だ。監督は1956年生まれのマイク・トーリン。彼が監督として手がけた2本目の作品になる。

アメリカンフットボールの優秀なコーチとして町ではだれよりも有名な教師ジョーンズがある日、いつも学校の周りを1日中スーパーマーケットの買い物カートを押してぐるぐる回っているだけで会話もままならない黒人の青年に声をかけ、彼にハナハイスクールのフットボール部の手伝いを頼むことから、この映画は始まる。

この黒人青年が片時もラジオを手放さないことから“ラジオ”というニックネームをつけられる。知的障害があり、学校にも行かないで昼間は一人で母親が戻るまでの時間を過ごさなければならなく、大好きなラジオだけが友達だった青年。彼はやがて活き活きと選手たちの世話を始めるようになり、いつのまにか彼がチアガールと一緒になって応援する姿が、ハナハイスクールのフットボール試合の名物となっていく。

知的障害のある黒人青年に入れ込むジョーンズコーチの行動に反対していたハイスクールの理事会も、この現実を前に、彼の学校生活を認め、そしてハナハイスクールの校長は、この知的障害のある黒人青年を名誉生徒として讃え、「ハナハイスクールはあなたが希望する限り永遠に、あなたに2学年生で在籍する許可を与える」と伝えるのだ。

ところで、なぜジョーンズはこの知的障害のある黒人青年の世話を始めたのか。その裏にどんな理由があるのか。実は家族も、校長も、そして映画を見ている者も、一番知りたいことだ。映画の中でそれがいつ語られるのか、皆それを、固唾(かたず)を飲んで待っている。そしてついにある夜、ジョーンズが「なぜ私がラジオを見捨てられないのか、理由を話そう」と切り出す。

「私が12歳の時、新聞配達に行く近道で、家の軒下に金網が張ってある不思議な家があった。そこから異様な声が聞こえてきた。私は恐る恐るその金網の中を覗くと、そこに私と同じくらいの年かさの少年がいた。何かの事情でそういう生活を強いられた彼を私はじっと見続けた。彼も私を見た。そして2年間、私は彼の家の前を通い続けた。だが何もしなかった。」

これがジョーンズの口から語られた理由である。

その理由は“何もしなかった”だった。そう「何もしなかった」のだ。「何もできなかった」のではない。誠実に彼は「何もしなかった」その時の自分を悔いていたのである。この過去の悔恨が50歳を過ぎたジョーンズを突き動かしたのだった。

この父の話をじっと聞いていた娘のメアリーは、はっきりと父の心が理解できたのだった。そして自分の父を誇りに思うのだった。

映画は50歳を過ぎた今も、ハナハイスクールのフットボール試合会場で、観客の絶大な支持の中で、活き活きと選手たちの世話をしている現在の「ラジオ氏」の姿を5分間映し出して終わる。

このラストの5分間を見た時、この映画が作りものでないこと、まさに真実であることに衝撃を受ける。

1976年に、この黒人青年に手を差し伸べた一人の男性と、その行為を支持した学校と、彼を受け入れ、愛した町の住人たち。こんなことが現実に起きるアメリカの心の大きさや優しさにはホントに驚かされる。だが、アメリカ人の心が優しいということだけで、この事実を理解していいものだろうか。私はもっと深い意味があるように思うのだ。

なぜなら、アメリカ人と比べてみれば、日本人だって実に優しい国民だ。決して肉を主食にしてきた欧米人と比べたら、争いを好まず、和を持って尊しとする国民だし、それこそ優しさなら負けはしないと思う。だが本当にそうだろうか?……。

映画の中でラジオの母親が、ジョーンズコーチに尋ねるシーンがある。「なぜこんなことまでしてくれるのですか?」と。ジョーンズの答えは「正しいことだから……」。それを聞いて母親はうなずくのだ。

これを日本人である私たちなら母親が納得するシーンを不思議に思うのではないだろうか。「正しいこと……確かにそうではあるけれど何もあなたがしなくても……」と母親に言わせてみたくなりはしないだろうか、いやラジオの母親はよしとして、娘のメアリーがなぜ「何もしなかった」と告白した父の言動に納得してしまうのか。自分よりもラジオに愛情を向けているような父親に、なぜお父さんがそこまでしなければならないのかと。

実はここに、この映画の本当の意味があるように思うのだ。

貧困の問題や、障害者、病気、痴呆、さまざまな問題がある社会にあって、まず私たちが口にすることは「日本の福祉の問題なのだ」と。いつも私自身、そう言っているのだ。だがこの映画が私たちに問いかけてくるものは、福祉の問題じゃない、私個人に対して「君は何もしないのか?」なのである。

この映画に登場するハナハイスクールは1976年から30年経った今も、彼を2学年生として在学を許可しているのだ。またコーチのジョーンズもこの小さな町も変わらずに、「ラジオ氏」を何より大切な存在としているのだ。

映画の後半、自分の行っていることが、校長の苦しみとなり、家族に寂しさを与えていることを知っているジョーンズが妻に尋ねるシーンがある。「俺のやっていることは間違いかもしれない。施設に任せるべきかもしれない」と。だが妻の言葉は「今では皆がラジオを愛している。人のためにすることは良いことだわ。何も間違っていないのよ」

“人のため”そう人のためなのだ、フットボールのためでも、学校のためでもない、会社のためでもない。その他大勢のためでもなく、一人の人間の希望のためなら、それは何よりも大切なことなのだ。

アメリカはキリスト教の国だ。どんな小さな町にも教会があり、日曜日には町の人たちが礼拝に集う。ジョーンズコーチのこれまでの行為と、彼の口から出る言葉はどれもが、いつも町の教会の礼拝で聖書から教えられていることだった。それは99匹の元気な羊を守ることよりも、道に迷っている1匹の羊を探すことにほかならない。それが“正しいこと”なのだ。だからこそ町の人たちも、ジョーンズの前で、だれもが皆、言葉を無くし、自らの考えを恥じ、この知的障害のある黒人青年「ラジオ」と共に歩むことを決め、彼を守ることに町中の人たちが動きだしたのだ。

私たち日本人には信仰心はあるが宗教がないとは、よく言われることだ。それは願い事が成就するために拝んだり、願いが叶った時に捧げものをしたりする神はいるが、神の畏敬を恐れたり、神の前で小さきものとなるような、己を律するための神はいないのである。その上、山の神、海の神と、自分の都合に合わせて神を自在に作ってしまう日本人。

神を恐れるという感性は、日本人にはないのかもしれない。

第2次世界大戦の時、日本の名戦闘機“ゼロ戦”を分解したアメリカ人が驚いたことは、その性能の良さではない。脱出装置も安全装置もついていないことだった。戦争に勝つという都合のためなら、人の命も飛行機の部品の一部にしてしまう日本人。どんなに正しいことでも、自分たちの都合に合わなければ、平気でその正しいことも捨ててしまうような日本人を、目の当たりに体験してきたアジアの人たちは、だからこそ日本人の優しさに今もって不審を抱くのだろう。

そして現代でも日本の企業は、会社の業績向上のためなら平気で社員を雑巾のようにこき使い、社員がうつ病や自殺に追い込まれようと、その方針を変えようとはしないのだ。

私は今一度、“何もしなかった”自分を振り返り、ジョーンズコーチのように、今、自分ができる「人のために動く」ことを始めたいと思う。

(ささきたくじ 整肢療護園同窓会事務局長)

◎「僕はラジオ」(原題は「RADIO」)、109分、アメリカ映画、2003年