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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年6月号

知り隊おしえ隊

外へ出ようや!
―宿泊チャレンジを経験して―

米田進一

「僕らのすっげえことやってみたプロジェクト」に応募

2005年大型トラックの運転中に交通事故に遭い頸髄のC1を損傷、完全四肢マヒで人工呼吸器を24時間必要とする体となりました。現在は両親の介護を受け、昼間はマウスピース、夜間は鼻マスクを使用した生活を送っています。

去る2009年3月7日(土)、神戸のニチイ学館ポートアイランドセンターにおいて、第2回全国頸髄損傷者連絡会・日本リハビリテーション工学協会合同シンポジウム「外へ出ようや!~様々なバリアを乗越えて外に出るための工夫~」が開催され、重度障害者がそれぞれの「実現したいこと」への取り組みを報告、そこから見えた多くの課題について参加者と議論を行いました。私はこのシンポジウム「僕らのすっげえことやってみたプロジェクト」の中の「行ってみたプロジェクト」という2泊3日の宿泊にチャレンジした様子を発表しました。

このプロジェクトチャレンジをやってみようと思ったのは、受傷して3年半以上経ち、毎日付きっきりで介護してくれる両親と生活する中で、この先何をすればよいのか、自分に何ができるのか、まず現状を変えたいと常日頃から考えていたからでした。一番の目標は自立生活をすることですが、今の私にいきなりそれは難しいことです。では、私にとっての自立生活とは何か?というと、両親以外の介助を常に受けながら、自分で選んで決めて、それに対して責任を負うこと。かつて自分が「当たり前に行っていた」状態で生活することです。

では、少しでも自立に向けた取り組みができないかと考えた時に、旅行はどうだろうと思いつきました。旅行は自己選択、自己決定の連続で、まさに自立生活の凝縮版であると思います。まずは身近な挑戦として、体験したことのない2泊3日の宿泊にチャレンジしてみようと考えました。

宿泊チャレンジに対する課題と不安は、1.自己選択、自己決定をどこまでできるか?、2.家族以外の介助を受けることができるか?ということでした。チャレンジのお手伝いは、以前からボランティアとして私の外出を手伝ってくれている大学生のFくんにお願いすることにしました。

チャレンジしてみようと決めたものの、初めて自分で計画して実行するということに戸惑い、何から始めたらよいのか分からず時間だけが経過していきました。改めていつも自分の周りの人が決めてくれる中で過ごしていたことに気づいた瞬間でもありました。チャレンジを手伝ってくれるボランティアを募集したり、宿泊先の手配、当日のスケジュールと、準備しなくてはいけないことがたくさんあるのに、「このままではいけない、何とかしなくては」と思えば思うほど、気持ちだけが先走って実際の行動に結びつかず、焦るだけでした。

そんな私を見かねたのか、Fくんがほとんどの準備を手伝ってくれて何とか当日を迎えることができました。本来はこれらの準備をすべて自分ですることが私の目指す自立生活であったと考えると、反省でもあり、まだまだ自分には足りないものが多すぎると気がついたことが大きな収穫でした。

初日―打ち合わせの大切さを実感

宿泊チャレンジ初日、駅で初めて介助を依頼する2人のボランティアと待ち合わせました。挨拶を済ませ、電車の切符を「子ども2枚と大人2枚買ってきてください」と言うと、介助者はキョトンとしていました。「なぜ伝わらないのだろう?」と思ったら、公共交通機関に障害者割引があることを知らなかったのです。初めて介助する人には事前にこういった説明も必要であると知りました。移動前には、ハンドルレバー操作による背もたれのリクライニング機能や、車いすの大きさについても説明しました。いざ移動を始めると前を横切る人が多く、ぶつかりそうになります。介助者は車いすの後ろにいるので、人にも障害物にもぶつかるのは私が先です。周囲を見渡して、危険であれば介助者にすぐに伝えることが大事だと気づきました。

駅や街の中のエレベーターによっては中が狭く、リクライニングで乗っている私の車いすではレッグサポート(足乗せ台)の部分を取り外さなければエレベーターに乗れないことが多々あります。私の目線からはレッグサポートが見えないので、介助者への説明はとても難しかったです。それでも初めての介助者に車いすを押してもらって眺める神戸の風景は、いつもと違って新鮮に見えました。

ホテルでの就寝準備

宿泊先に戻り就寝準備を行う時のことです。ベッドへ移乗するためリフターを使用すると、足がリフターの胴体に引っ掛かってしまうことがありました。介助者は私の後ろに回ってリフターを引いているので、足の方まで見る余裕がありません。私も見える範囲は注意しますが、見えない部分もあります。介助者は不慣れながらも一生懸命介助してくれました。体を拭いてもらって、ベッド上で洗髪を行い、普段は着ない浴衣を着せてもらいました。鼻マスクの装着は最も見えない部分なので、ボランティアがどこを触っているのか、自分がどこの説明をしているのかが伝わらず、すごく時間と気力を使いました。この経験から、次回からは私が直接見て確認できる鏡や、装着手順が分かるような写真付きマニュアルを持参すれば問題が解消できると感じました。

念願の通天閣と串カツを満喫

かねてから大阪の観光名所である通天閣に上がって、ジャンジャン横丁で串カツを食べるというのをやってみたくて、このチャレンジに盛り込みました。地理的にも不安があったので、今回は地元でその辺りに詳しい同じ人工呼吸器を使用している友人にお願いして、道案内をしてもらうことにしました。「駅のどこにエレベーターがある」「車いすだとこの道が行きやすい」と、同じ障害のある仲間の情報はどのガイドブックにもない生きた情報です。3連休の中日だったこともあり、通天閣タワーに上がるには2時間待ちという状態。車いすで移動する私たちは随所で休憩も取らなくては疲れてしまうので、残念ながら時間の余裕がなく街を展望することができませんでしたが、串カツ、たこ焼きを味わい、大阪を満喫しました。

最大の課題―排せつ体験

最終日に今回のチャレンジで、最大の課題である排せつを実践しました。事故で病院に入院し、初めての排せつ介助が女性の看護師で、とても恥ずかしかったという思い出があります。しかし外出先や一人暮らしなどでは介助者を選んではいられないので、だれにでも手伝ってもらわないと困るのは自分です。とはいっても、やはり上手くいくか、他人に任せて大丈夫か、不安でした。排せつは私が見えない所をFくんがリードして他の介助者に指示してくれたおかげで、無事にクリアすることができました。いつもより量が多く出たことに少し驚きましたが、介助してくれたみんなへの確かな信頼と大きな感謝で胸がいっぱいでした。

自信がついた宿泊チャレンジ

今回の宿泊チャレンジで、介助方法のすべての説明を言葉だけで伝えなくてはならないため、コミュニケーションの重要性を再認識しました。介助者に対する変な遠慮は、私を真剣にサポートしようとしてくれる人に対して逆に失礼なことということも分かりました。私が気負うことがコミュニケーション不足につながると気がつきました。事前によく検討して行動することや、相手にどのようにすれば上手く伝わるか、考える力もついたと思います。

3日間体調を崩さず今回のチャレンジを乗り越えたことで、自信がつき精神的に鍛えられたと思います。疲れましたが、達成感と充実感で一杯でした。一度体験したことは、必ず次につながっていきます。「何事も実践しないと分からない」ということが重要だと感じました。

全身が動かず、呼吸器を使って生活している私が安心して暮らすためには、24時間だれかの介助が必要です。常に支えてくれる介助者がいなければ生活できません。今回のような外泊を支援する制度が整っていないために、私たちの社会参加は大きく制限されています。そういう制度を変えていくためにも声を上げる必要があると強く感じています。

外に出て行けば、いろんな人に出会えて、いろんな影響を受けることができます。受傷してから出会った仲間から、「前向きに生きる」ということを学びました。外に出ないと出会えない人、つかめないチャンス、気がつかないことはたくさんあります。生きていることに疑問を抱いた時期もありましたが、今は生きていることが楽しいです。宿泊チャレンジ後は少しずつですが、今までの生活スタイルを変えたいと思い、宿泊チャレンジに関わってもらった学生のいる大学に介助ボランティア募集をかけました。若干ですが、興味をもってくれた人がいてくれて、今後の介助に関わりたいと言ってもらえたのはうれしく思いました。その学生たちに介助に関わってもらいながら、自立生活へ向けて、着実に計画を進めていきたいと思います。

(よねだしんいち 兵庫頸髄損傷者連絡会)