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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年10月号

知り隊おしえ隊

人間の本能を呼び起こす
~見えない・見えにくい人のフリークライミング、そこから見えてくるもの~

小林幸一郎

フリークライミングって何?

フリークライミングをご存知でしょうか?最近はよくテレビなどのマスコミにも取り上げられて、目や耳にしたことのある方も多いと思います。「あー、あの室内の壁を登るスポーツでしょ?」と、こんな答えをされる方が多く、「普段から運動をしている身軽で元気な人に許された特殊なスポーツ」というイメージを持っている方も多いようです。そして「どういう競技?」「勝ち負けというか、優劣はどうやってつけるの?」などの質問がセットになることもあり、その見聞したイメージだけで語られることが多いスポーツです。

このフリークライミングは、岩登りの一種で、ロープや分厚いマットなどで安全確保をした上で、手足など人間が本来持つ能力だけを用いて岩を登るスポーツです。もともとスポーツの名前ではなく、岩を登る方法の名前で、これに対して、積極的に人工的な手段を用いて岩を登るエイドクライミングというものもあります。

では前述した「勝ち負け」や「優劣」はどうなるのかというと、「山登り」を想像してみてください。フリークライミングにも勝敗のつくような競技もありますが、多くの人は競技よりも、自分の中で難易度を上げていきます。

人間が本来持つ能力を用いて、と説明しましたが、人間が本来持つ能力とは何でしょうか。

このような話をすると、筋力や柔軟性、バランスなど直接的に運動に結びつくようなことを想像しがちですが、それだけが能力ではないはずです。身長やセンス、発想力、さらに年齢や見え方、聞こえ方なども能力のひとつだと思います。

たとえば、身長140センチの晴眼の人と190センチの全盲の人、75歳の普段からよく運動している人では、だれが上に登るために有利でしょうか?比べることは難しく、その人が登るために、どのように自分の能力を総動員させて組み合わせることができたかが重要です。

ルールはいたってシンプル

地上のスタートからゴールまで、自分の力で登りきればいいのです。高さも速さも関係なく、ルート(コース)によって規定された難易度をそれぞれの人が、それぞれの目標に向けてステップアップしていけばいい。急ぐことも、競うことも必要ありません。

なぜフリークライミングが障害者に?

私は「モンキーマジック」というNPO法人の代表を務めています。このNPO法人は、視覚障害者へのフリークライミングの普及を通じた、自立支援や社会性の向上、理解の振興を目的として、2005年8月に設立しました。現在では、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、広島、福岡に活動の拠点を設けており、スクールへの参加者も延べ1,100人を超えました。4歳から75歳までのさまざまな人が参加しています。

NPO法人にしてまで活動を普及させているのは、このスポーツが視覚障害者に適しているということに気づいたからです。当法人では、以下のような理由を挙げています。

  1. 対戦相手や飛んでくるボールなどもなく、自らの動けるスピードで課題と対峙できる。
  2. ロープ(命綱)やマットで安全確保されているため、周囲の状況を気にせず、思い切り身体を動かすことができる。
  3. 障害者のためにデザイン・加工されたものではなく、晴眼者と同じルールで、一緒に楽しむことができる。
  4. 外出そのものの機会となるだけでなく、自然の中で過ごす時間を持つきっかけともなりえる。
  5. 自らの力だけで課題を解決しゴールに至るという過程が、障害者の日常生活力向上にも寄与する。

大切なことは……

視覚障害者がフリークライミングをする、という話になると、フリークライミングのエキスパートでも「どうやってやるのか?」「指導者はどうやって指示するのか?」と当初、困惑の声が多いのも事実です。

もともとこのスポーツは、障害のある人もない人も一緒に楽しむことのできるスポーツです。その魅力はルート(ここから登ると~級ですという難易度も付けられている)を、地上のスタートからゴールまでどのようにしたら自力で登りきることができるか、自分の体の能力を組み合わせてどう動けばそこを登りきることができるか、といった創造性に魅力があります。ところが、もしも指導者や周囲の見えている人が、「右足をもうちょっと上げて!」「次は左手を左上に……」などと声をかけてしまったらどうでしょうか。それはただ周囲の人たちが「登らせてあげたい」と考えているだけの話で、フリークライミングの本質的な魅力である自ら考え創造し解決する、という魅力を奪っていることにつながります。

晴眼者が登らせてあげたい、という衝動に駆られるのは分かるのですが、その行動は、このスポーツが持つ本質的な魅力である創造性を奪うこととなり、視覚障害者クライマーは晴眼者のリモコンロボットになってしまいます。

大切なことは、視覚的に得ることのできない情報を保管し、自ら登ることを実現することで大きな達成感と自信をもたらすことができるということです。

ここまでしかできない?

さて、ここまでフリークライミングというスポーツについて、「登る」という側面について紹介してきました。しかし安全にフリークライミングを楽しむためには、必ずパートナーが必要です。もちろん障害のあるなしにかかわらずにです。つまりフリークライミングの全体像で考えてみると、障害者同士、障害のある人とない人同士をつなぐものとして見ることができます。

たとえば、よく私たちがフリークライミングスクールを視覚障害者に行う場面を見た人が驚くことがいくつかあります。まずは「ことこまかにすべてを教えない(指示しない)こと、そして安全確保の要であるクライミングロープなどを自分で結ばせること、さらにはその登っている人の安全確保の役割も障害者が行うことがある」ということです。

驚く人が多いのは事実ですが、大切なことは「障害者にもできる」ことです。最初から「できない」と決めつけるのではなく、この人にはやらせても大丈夫か、という判断が必要です。つまり「障害」を見るのではなく、「人」を見ることで、フリークライミングが持つさまざまな可能性を余すことなく伝えることができるのです。

ロープを自らハーネス(安全ベルト)に結びつけることも、結び方をきちんと覚え、安全確認のポイントを再確認して、その上で指導者とパートナーに再確認を求めます。

また登る人(クライマー)が安全に登るためには、ロープの一端を確保する人(ビレイヤー)と呼ばれるパートナーが必要です。他人を信じ、信じてもらうという行動は、「パートナーシップ」を身に付け、人と人との相互理解の礎を築くことにもつながります。

さらにフリークライミングでは、パートナー同士の言葉のやり取りと、お互いに目視や触覚での確認作業も非常に重要です。クライマーとビレイヤー双方が登り始める前に行う準備の再確認で「お願いします」「大丈夫です、どうぞ」などに始まる掛け声があります。お互いが責任をもち、信頼し合うことは、積極的な「コミュニケーション」スキルの基本を身につけることにもつながります。

得られる自信と達成感

できないと思っていたことが達成できたときに得られる自信や達成感は大きいものです。

そもそも「登る」という行為自体は、歩いたり食べたりすることと同じようにだれもが持っている本能のはずです。しかし、現代の生活では必要がなくなってしまいました。手足を使って登ることは、その本能の一部を目覚めさせるだけでなく、もっともっと多くの休眠中の可能性を呼び起こすのではないでしょうか。

フリークライミングは特別なスポーツではなく、だれにでも可能性があるスポーツです。「じゃあ機会があれば私も……」。機会は自分から作らないとやってきません。積極的にチャレンジしてみませんか。

(こばやしこういちろう NPO法人モンキーマジック代表理事)