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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年4月号

知り隊おしえ隊

童謡《月の沙漠》の里を訪ねて潮騒に癒されて漕ぐ

滝口仲秋

はじめに

私は、立てない、座れない、歩けなくなって16年になります。現在では車いすを漕ぎ、一人でどこでも行けるようになりました。行った先は、川越、松江、仙台、金沢、シェムリアップ、ローマ、パリ、プラハ等です※1

行った先々で、迷子になったり、バリアに出会ったりすると、心身にこの上ない爽快さが生まれ、生きていく楽しさが出てきます。自分一人で解決《自助努力》できない時は、物の援助《物的援助》、他人からの援助《人的援助》を真摯にいただくことにしています。

今回は、JR御宿駅を起点・終点として、隊員一人が、御宿町を漕ぎきった(行程8.7キロ 9時~17時)様子を紹介しましょう。

御宿は、千葉県東南部に位置する人口8千人の小さな町です。2キロに及ぶ白砂・青海の海岸線は、南房総国定公園であり、夏の海水浴客以外にも四季折々観光客が訪れます。

田舎の町だけに自助努力だけでは解決できない時が多々ありました。特に海岸通りには歩道がありません。右側通行(道路交通法)の運転を慎重に行いました。各施設の利用案内・バリアフリー状況は、拙者HPの御宿町福祉マップ(平成20年)をご利用ください※2

待合室だけ冷暖房つきのJR駅

JR東京駅から外房線特急「わかしお」に乗ると1時間20分で御宿駅に着きます。御宿駅は、洋式トイレの設置と待合室が冷暖房に改善されました。駅員いわく、「ローカル線の冷暖房つきの駅舎は、めったにありません」と。

以前は、海岸特有の潮風が吹き荒れ、待ち人が少ない駅舎でした。トイレの入り口はスロープ化され、改札口も車いすで通れるようになりました。でも渡線橋にはエレベーターがありません。駅員は一人です。事前に連絡をすると、JR千葉支社はいろいろなことに便宜を図ってくれます。

たとえば、動員された駅員が対処(渡線橋の上下)してくれたり、乗車・降車ホームの変更(ダイヤのやりくりが可能な場合)、駅駐車場の開放(特定の駅で)などです。

さて、駅前に出ると、カナリア椰子の並木道が迎えてくれます。磯の香りのする微風が鼻をくすぐります。

御宿の地名ゆかりの寺・最明寺

JR御宿駅から線路沿いに南下すること0.8キロ、最明寺(さいみょうじ)の金の鯱が見えます。この境内に次の歌碑がありました。

【御宿し そのときよりと 人とは 網代の海に 夕影の松】

「鎌倉時代、五代執権北条時頼公が、諸国巡歴の折り本寺の山頂に登り、夕陽に輝く波静かな海(網代湾)に感銘し、歌を詠んだと伝えられています」(松崎住職談)。この句にある御宿(みやど)せしが、御宿(おんじゅく)の由来のようです。残念ながら車いすでは展望台(山頂)まで登れませんでした。落慶された庫裏・客殿は、フラットで本殿への車いす移動、車いすトイレ使用が可能です。ここには加藤まさをの墓所・谷内六郎画伯の碑があります。

童謡「月の沙漠」発祥の拠点

最明寺から海岸に出ます。そこからは、白砂青松の長い海岸線・遥か遠くにメキシコ記念塔が見えます。海岸通りを1キロ行き、橋を渡ると、メルヘン風の建物(月の沙漠記念館)が迎えてくれます。近づくと、童謡「月の沙漠」のメロディが聴こえてきます。

1 月の沙漠を はるばると
旅のらくだが 行きました
金と銀との くらおいて
二つならんで 行きました

2~4 (略)

出入り口には、手すり付きの階段があります。周囲を回ったら、駐車場入り口がフラットでした。人的援助をいただかなくとも入れました。館内には作者・加藤まさを氏の作品や遺品が展示されています。2階への昇降手段として階段昇降機が設置されていました。2階の出窓から、2キロに及ぶ海岸線(網代湾)には、サーフィンに興じる若者たち、目の前の砂浜には、らくだに乗った王子と姫の銅像が見えました。

「1923(大正12)年、加藤まさをは、この御宿の海岸をイメージしてこの詩を書き上げました。御宿を気に入った彼は、後年、御宿の記念像の見える場所に引越し、晩年を過ごしました」(目羅館長談)。

ピクピク動く伊勢えび

途中で昼食。ホテル・民宿・寿司屋・割烹料理屋が、《伊勢えび祭り》と描かれた幟(のぼり)を立てて呼び込んでいます。立ち寄った寿司屋の店長が、「今朝、上がったキンメ(鯛)ですぞ」と、自慢げに言います。ピクピク動く伊勢えびやアワビなど新鮮な魚介類を口に頬張りました。

伊勢えびを口、潮騒を耳、海の香りを鼻、潮風を頬に感じながら海岸通りをそぞろ歩きをしました。遠い遥かな水平線を一艘の小船が、邪魔をしています。

紺碧の空に映えるメキシコ塔

月の沙漠記念館から海岸沿いを車いすで漕ぐこと1.3キロ、メキシコ塔の麓・岩和田地区に着きました。

「1609年(慶長14年)フィリピン諸島総督ドン・ロドリゴは任期を終え、サンフランシスコ号でメキシコに帰国途中、嵐に遭って岩和田・田尻海岸で座礁してしまいました。村人たちは総出で救助にあたり、乗組員373人のうち317人を助け出しました」(町観光協会HPより)。なかでも海女たちは、水難により衰弱しきった異国人を素肌で温め蘇生させたと言い伝えられています。道行く住民が、その子孫のように見えました。

トンネルをくぐり、曲がりくねった坂道を汗と奮闘しながら上がると、目前に白亜の塔「日西墨三国交通発祥記念碑」(高さ17m)が迫ってきます。駐車場には障害者対応を含めた公衆トイレ棟が新築されています。塔に通じる20mの緩い階段は、車いすをこばみました。躊躇していたら、トイレ掃除中のおばさんが、「押すっぺか?(押しましょうか)」と呼びかけてくれました。

難破した地点は、山を下り1.1キロ右に行った田尻海岸です。断崖絶壁に飛沫が飛んでいました。車いす独りでは波打ち際まで行けません。でも絶壁を吹き上げてくる潮風を浴びると、荒れ狂う海で粉骨砕身の救助に当たった地元民の勇姿が、次々と目に浮かんできます。

昨年、皇太子殿下をお迎えし、この町の誇る美挙を町民総意により世界に発信する文化の祭典を盛大に行いました。

昔の日本・外国の教科書展示

田尻海岸からJR御宿駅に引き返します(3キロ)。駅前にあるのが、《御宿町歴史民俗資料館》。ジグザグのスロープの上に、地元で使われている漁具・農具が展示されています。ここには、「五倫文庫」というフラットがあり、江戸時代から昭和にわたる国内外の貴重な教科書が収蔵されています。

「サイタ サイタ サクラガ サイタ(咲いた、咲いた、桜が咲いた。)」懐かしい昭和18年国語・国民学校1年の教科書に出会いました。

小数を書く時、日本では小数点の位置は数字の間の下部に打ちますが、国によっては、上部、中部に書く国(ブルネイ、マレーシア)、コンマで下部に書く国(ドイツ、ノルウェー)などがあり参考になりました。

終わりに

「来年は、公民館や観光協会に多目的トイレを設置します。高齢者、障害者・子ども連れ等の交通弱者が安心して外出できるよう精一杯がんばります」と、千葉県内高齢化率1位の町の石田町長さんは語ってくれました。拙作の福祉マップの設備マークが年々増えていくことはうれしいものです。

町のイベントは、春(春の伊勢えび祭り・つるし雛巡り)・夏(海水浴・ウォーターパーク)・秋(秋の伊勢えび祭り)・冬(イルミネーション・まるごとミュージアム)と目白押しです※3

御宿は月の沙漠のメロディが流れる町です。そんな町で、海風・潮風を思い切り吸い込み、潮騒に癒されてみませんか。

(たきぐちなかあき NPO法人高齢者・障がい者の旅をサポートする会)


※1 拙本『立てない・座れない・歩けなくなって…』本の泉社発行、2008年

※2 拙者HP
www.geocities.jp/takinaka1022/

※3 御宿町HP
www.town.onjuku.chiba.jp