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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年6月号

薄くて軽いフィルム状の点字ディスプレー開発の取り組み

安積欣志・中野泰志

1 はじめに:技術シーズをニーズとマッチングさせるための取り組み

私たちの研究で最も大切にしたことは、最先端の技術シーズである「カーボンナノチューブ高分子アクチュエータ」を、ユーザーのニーズといかに結びつけるかであった。詳細は後述するが、本アクチュエータが点字ディスプレーに応用可能であることは、2005(平成17)年にすでに発表していた。その当時、ユーザーからは強い期待が寄せられていた。しかし、厚生労働省の平成18年度身体障害児・者実態調査では、「点字ができる」と答えた人は12.7%とされており、点字への応用が視覚障害のあるユーザーにとって本当に必要かどうかを見定める必要があった。そのため、我々はさまざまな視覚障害ユーザーの声に真摯に耳を傾けることにした。身近な視覚障害者の声を聞くことからスタートし、その声が視覚障害者を代表しているかどうかを確認するために、当事者団体、点字図書館等のサービス提供施設、福祉施設、視覚障害特別支援学校(盲学校)等に対するヒアリングを実施した。また、視覚障害のある当事者の声を職場や日常生活の場面で、活動を交えながら、具体的に聞き取っていった。

そして、ヒアリングで集まった意見をどう理解すべきかに関して、視覚障害研究の有識者、特に、視覚障害のある有識者の意見を求め、情報交換を行った。さらに、ニーズ調査のメンバーの中に視覚障害当事者や点訳者等の支援者を加え、密接に議論を繰り返した。

その結果、通常の文字を読むことができない視覚障害者にとって点字は唯一の文字であることや、音声も重要であるが音声と点字では機能が異なること等を実感として共感的に理解し、本アクチュエータを点字に応用すべきであるという確信を得た。また、本研究の意義を理解してくださったユーザーの応援を受けて、開発に従事した。

2 研究開発の背景と経緯

点字は文字としての特性は優れているが、家電やノートパソコンなどに搭載することが技術的に困難であった。なぜなら、点字を電子的に表示させるためには、従来は、比較的素子サイズの大きいソレノイド式あるいは圧電式アクチュエータが用いられており、携帯して用いるには、大きく重くなってしまう問題があった。

独立行政法人産業技術総合研究所(産総研)関西センターでは、従来より、薄い高分子フィルムに電極を貼り付けた構造で、電極間に電圧を与えると電極を貼り付けたフィルムが曲がる高分子アクチュエータの開発を進めていた。以前、開発していたものは、水とイオンを含んだイオン交換樹脂という素材に金電極を貼り付けた構造で、その素材を用いて、東京大学工学系研究科のグループらは、薄くて軽いフィルム状の点字ディスプレーの原理実験に成功し、2005年に発表した。このアクチュエータは、水で膨潤していないと駆動しないため耐久性がなく、また、点字を表すための変形の力が不足しており、原理的には成功したが、実用的には開発を進めることができなかった。

その後、産総研関西センターでは、独立行政法人科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(ERATO)相田ナノ空間プロジェクトと共同開発を進め、空中でも耐久性よく駆動可能な、カーボンナノチューブ高分子アクチュエータ技術の開発を行った(図1)。さらに、その後、産総研関西センターでは、さまざまなプロジェクトや企業との共同研究等で、材料開発を進めた結果、発生する力や応答速度などを飛躍的に向上させた。

そこで、2009年度、カーボンナノチューブ高分子アクチュエータを用いた点字ディスプレーの開発を、厚生労働省障害者保健福祉推進事業(障害者自立支援機器等研究開発プロジェクト)「携帯電話にも装着可能な、軽量で薄い(薄さ1mm)点字デバイスの開発」において、産総研関西センター、アルプス電気株式会社(仙台開発センター)、東京大学工学系研究科、慶應義塾大学自然科学研究教育センターの4者共同で進めた。

3 カーボンナノチューブ高分子アクチュエータの原理

カーボンナノチューブとは、炭素原子がつながった直径がナノ(10-9m)の大きさのチューブ状の材料で、非常に電気を良く流し、また機械的に強く、かつその特異な形状からさまざまな特徴を有することで、未来の材料として注目を集めている。このカーボンナノチューブを高分子に分散して、やわらかく強靭でかつ、電気を流すことのできるフィルム状の電極とすることができる。このような電極で、イオンを含ませた同じ高分子のフィルムをサンドイッチし、電極間に電圧を加えると、電解質フィルムのイオンがそれぞれ、反対極の電極に移動し、イオン体積差によって、電極フィルムの体積差が生じ、全体が曲がる(図1参照)。

図1 カーボンナノチューブ高分子アクチュエータの変形
図1 カーボンナノチューブ高分子アクチュエータの変形
厚み方向に3Vの電圧をかけることでカーボンナノチューブ高分子アクチュエータがプラス極側に大きく変形する

本技術の特徴は、薄くて軽いアクチュエータデバイスを作製可能なことと、アクチュエータデバイスを作製するのに、カーボンナノチューブなどの必要な材料を溶媒に分散させて型に流しこみ、溶媒を蒸発させるだけでできるという作製法が非常に簡単なことである。つまり、材料費が安くなれば、非常に安価な、軽くて薄い点字ディスプレーを作ることが可能となり、さまざまな機器に取り付けることが可能となると考える。

4 フィルム状点字ディスプレーの開発と評価

本プロジェクトでは、まず、点字ディスプレーに最適な変位と力を示すアクチュエータ素子の開発に成功した。さらに、点字のドットの凹凸を電圧で制御する形の点字ディスプレーのプロトタイプ開発を進め、6文字を表すことのできる点字ディスプレー本体(幅3cm×長さ6.5cm×厚み3mm、コントロールボックス別、図2参照)、および携帯電話の大きさで、24文字表現できるコントロールボックス、電源と一体型のデモ評価機を作製した。

図2 点字ディスプレーデモ評価機
図2 点字ディスプレーデモ評価機
幅3cm×長さ6.5cm×厚み3mm、6文字表示。
右上はアクチュエータによる点字表示原理の模式図

作製したデモ評価機を用いて、その意義と有効性や課題等を明らかにするための評価実験を行った。評価は、現場での視覚障害のある当事者の主観を大切にする面接調査と、統制された条件下で数量的なデータを収集する実験の二つの観点から実施した。

面接調査では、視覚障害者が活動している職場、施設、学校等を訪問し、直接、意見や感想等を半構造化面接法によりヒアリングした。また、実験では、提示する点字や触読方法等を制御し、心理実験の手法で触読効率に関する数量的なデータを収集した。

その結果、数字や単語を読む場合に限れば実用に耐えうる水準であるが、点の高さや発生力に課題のあることが明らかになった。また、ヒアリングから、本デバイスの活用例として、家電製品等の液晶表示の代替としての利用が期待されていることが明らかになった。さらに、ページ単位で点字を表示できる点字ディスプレーや触図の表示装置としての応用が期待されていることが分かった。特に、点字ページディスプレーに関しては、点字の電子教科書や電子書籍として盲学校や点字図書館等から期待されていることが分かった。

5 フィルム状点字ディスプレーへの期待とさまざまな用途

以下、ユーザーから寄せられた本デバイスに対する期待やさまざまな用途を示す。今後、これらユーザーの声を大切にしつつ、開発の方向性を探っていく予定である。

(1)本デバイスの意義と期待

○音声による読み上げ機能を備えた製品がある。しかし、ATM操作時の残高や、電話に着信があった時の相手の名前等はプライバシーに関わる情報なので、音声でなく点字で表示してほしい。

○情報機器の発達に伴い、点字の読み取り速度や、読めるようになるまでの期間が長くなっている。音声で情報を聞き取るのと、点字で読み取るのでは全く異なる。点字は「見ている」という感覚であり、記憶に残りやすい。視覚と聴覚の両方を使うと情報が取りやすいように、聴覚と触覚の両方を使うと情報を取りやすい。そのような理由から、点字文化を残すべきである。すべて音声で代替しようとする方針は誤りであると思う。

○最近、中途視覚障害者は点字を利用できない人が多いという論理が流布している。しかし、これは、すらすらと長い文章を読める人が少ないということである。全く点字を読めない人と5文字でも点字を読める人は生活の観点では不自由さが大きく異なる。

たとえば、長い文章が点字で読めなくても、家電製品に記されている点字が区別できるだけで、操作が一人でできるようになる。たどたどしくても、5文字程度しか読めなくても、読めるのと読めないのとでは大きな違いである。自分は中途の視覚障害なので、点字は得意ではないけれど、点字があるとないとでは、とても大きな違いがある。

○音声は便利だけれども、周囲の人の雑音(邪魔、迷惑)になる場合もある。そのため、自分は音声時計を人前で使うのに抵抗がある。だから、点字で確認できることは大切である。

○私はロービジョンで通常は視覚を活用しているが、物によっては視覚で確認するよりも点字の方が楽なことがある。たとえば、調味料のラベルは、調理中、時間をかけて確認するよりも、点字で触って確認できた方がスピーディに利用できるので、点字を使っている。だから、墨字、音声、点字を使い分けられるようにしていただくことが大切だと思う。

(2)期待されているさまざまな用途

○本デバイスが携帯電話に付けられると、携帯電話のサブ画面が楽に確認できるのでよいと思う。着信や着信履歴の確認、時刻の確認が、ポケットの中でできるのでよいと思う。

○テレビやエアコンのリモコン、電子レンジ等の液晶パネルに実装されると、状態の把握や自分の操作に対する表示の変化を読み取ることができる。現状では他人に聞くか、当てずっぽうで操作せざるをえない。特に、ビデオや炊飯器等の予約機能を持った製品に実装されると、自分で時間を設定することができる。

○点字用紙の1ページに相当する「ページディスプレー」ができれば、点字の電子化も進むと考えられる。教育の場面では、化学式やグラフ、図形を表示したり、数式とグラフの対応関係を学習したりする際に使えると有効だと思う。たとえば、y=xとy=2xの違いを点図で実感させるような場面で使いたい。筋肉の動きや位置関係といった時間的、空間的変化を伴うものを点字や点図で表現する際に使えると有効だと思う。

6 まとめと今後の展望

本プロジェクトでは、視覚障害者が識字可能なフィルム状点字デバイス試作機(1号機、2号機)を開発、そのための、向上・工夫した高分子アクチュエータの開発、さらに詳しくは触れなかったが、有機トランジスタという新しい技術との組み合わせの開発により、フレキシブルで大面積な点字ディスプレー開発を可能とした。また、シーズとニーズのマッチング調査による本開発製品の必要性の確認、視覚障害当事者によるプロトタイプを用いたユーザー評価実験をすすめた。

一方、実用化へ向けて耐久信頼性の問題や特性のばらつき等いくつかの課題が挙げられる。これらの課題を解決した上で、ユーザーのニーズに応えられるフィルム型点字ディスプレーの実用化へ向けた開発を進めていきたいと考えている。

(あさかきんじ・産業技術総合研究所関西センター人工細胞研究グループ、なかのやすし・慶應義塾大学自然科学研究教育センター教授)


【参考URL】

http://www.aist.go.jp/aist_j/new_research/nr20100323/nr20100323.html

http://mainichi.jp/universalon/report/news/20100311mog00m040013000c.html