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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年6月号

脳波計測による意思伝達装置「ニューロコミュニケーター」開発の取り組み

長谷川良平

開発の背景と目的

高齢化と核家族化の進む日本では、疾病構造やライフスタイルの変化に伴うさまざまな問題が深刻化している。近年、「脳を理解する」ための脳科学研究(ニューロサイエンス)の成果に基づき、「脳を活用する」ためのさまざまな技術であるニューロテクノロジーの開発が盛んに行われている。特に注目されているのは、脳と外部機器との直接入出力を行う「ブレイン-マシン インターフェース(Brain-Machine Interface:BMI)」技術である。

BMI技術とは、人と機械を直接結びつける装置の総称で、脳内インプラント装置を用いて脳活動を記録したり刺激したりする侵襲的BMIと、頭皮上脳波を記録する非侵襲的BMIに大別される。このBMI技術を用い、脳から直接読みとった信号を元にロボットアームやコンピュータカーソルを動かす技術が盛んになりつつある。

このBMI技術は、脳機能や身体機能に障害のある患者の治療や、ハンディキャップをもつ人の生活の質を向上させる技術として期待されている。最近の身近な例では、パーキンソン病などの患者に対して行われる脳深部刺激(Deep Brain Stimulation:DBS)などが侵襲的BMIとして挙げられる。しかし、BMI技術の多くはいまだ研究開発段階にあり、装置も使用法も複雑であり、実用的なアプリケーションの開発も遅れているのが現状である。

産総研では、ここ数年、意思決定などの認知的情報を解読し、外部機器を制御する「認知型BMI」技術を実用化するための研究開発を行ってきた。そして、ついに本年3月にその試作機「ニューロコミュニケーター」試作機が完成した(文献1)。

ニューロコミュニケーターの概要

今回開発したニューロコミュニケーターは、意思伝達機能に重度の障害をもつ人が他者と円滑なコミュニケーションをとれるように、頭皮上の脳波を測定し、脳内意思を解読して意思伝達を行うシステムである(図1)。このシステムを開発するにあたって、(1)外出先でも脳波を計測できる機器としてのモバイル脳波計、(2)読みとった脳波を瞬時に脳内意思として変換できる高速・高精度脳内意思解読アルゴリズム、(3)より少ないステップで意思表出できる効率的な意思伝達支援メニューの3つのコア技術を開発し、組み合わせた。

図1 ニューロコミュニケーターの模式図
図1 ニューロコミュニケーターの模式図拡大図・テキスト

装置を概観すると、小型脳波計と脳波センサーを取り付けた「ヘッドキャップ」と、計測した脳波を解読したり、意思伝達メニューを提示したりするパソコンとモニターで構成されている。使用するパソコンとしては、動画処理などに優れたノートPCを用意する必要がある(将来的には格安ネットブックPCでの動作が目標)。また、セカンドモニターとして小型の液晶モニターを接続できれば、ベッド上の患者さんへの意思伝達メニュー等の提示が容易になる。最近ではUSB端子からの電源供給で動作する小型液晶モニターも販売されており、ノートPCに加えてセカンドモニターの電源もコンセントに依存しなくてすむ。

意思伝達支援が必要な方が快適に装置を使ったり、外出先にも装置を持ち出したりするためには、モバイル性の高い脳波計が必要であることは言うまでもない。今回我々は、装置の小型化、無線化、電源のコンパクト化の3点を追求し、そのいずれも兼ね備えた超小型無線モバイル脳波計の開発を行った。携帯電話の半分以下の大きさで8チャンネルの頭皮上脳波を計測できるセンサーを擁し、また装置内にコイン電池を内蔵することで電源を確保した脳波計は、実用化を目指すBMI装置としては世界最小レベルである。また、無線方式を採用することによって、長いケーブルによる絡まり事故の可能性やノイズ発生を極力抑えることが可能となった。この装置をヘッドキャップに直接取り付けて作動させるため、ユーザーの動きを制約せず、また計測する脳波へのノイズも乗りにくい特性がある。

また、計測した脳波を「階層的メッセージ生成システム」を使用することによって効率的な意思伝達を行うことができるシステムの存在も本システムにとっては重要である。階層的メッセージ生成システムでは、被験者がパソコン画面に提示された8種類のピクトグラム(さまざまな事象を単純にシンボル化した絵文字)の中から伝えたいメッセージと関連のあるものを一つ選ぶ、という作業を3回連続で行うことによって、最大512種類(8の3乗)のメッセージを生成することができる。なお、その内容は長くても短くても構わない。

脳波を解読する仕組み

装置の動作手順を一言で説明すると、「パソコン画面を通じてメッセージの候補を視覚的に被験者に提示し、脳波が最も強く反応した候補を被験者が選びたいものと判断する」となる。もちろん、この説明だけでは具体的なイメージがわきにくいと思うので、以下に、簡単な例を交えながら説明する。

まずパソコン画面を前にした被験者が、「首が痛い」と介護者に伝えたいとしよう。話を簡単にするために、介護者は「首」か「腰」か「足」のどこかが痛いことは分かっていても、そのうちのどれかが分からないとする。最初、パソコン画面にはこれら3つの身体部位のピクトグラムが、選択肢として並べて提示される。被験者は、そのうち首の絵が描かれたピクトグラムに(頭の中で)注意を向けておく(視線も向けておく)。選択肢提示の2~3秒後から、1秒間に何回かの頻度で(たとえば3回)、一瞬だけ(たとえば0.1秒間)どれかの選択肢がフラッシュする。フラッシュの方法はそのピクトグラムの明るさを変えたり、他の図形を重ねて提示したりする。1ブロックで各選択肢が1度ずつランダムな順番でフラッシュし、数ブロック連続でフラッシュが続く(たとえば10ブロック)。

この間の脳波を調べてみると、被験者が選びたいピクトグラム(ターゲット:首の絵)がフラッシュした時には、それ以外のピクトグラム(ノンターゲット:腰もしくは足の絵)がフラッシュした時には見られないような、強い脳波の変化が観察される。この脳波は研究者の間では「P300」と呼ばれている。P300は、何か注意をひくような出来事があった時から300ミリ秒後に電圧値がプラス=陽性(positive)方向に強く変化することから、その名前が付けられている。被験者の集中力が高いとP300が検出しやすくなることから、先行研究では、ターゲットがフラッシュした回数を(頭の中で黙って)数えてもらう(サイレントカウンティング法)ことが多い。よって我々もこの方法を採択している。

このP300に着目して、連続フラッシュ直後に被験者の意思決定を推定するために、毎回フラッシュをさせながら、線形判別分析などの統計的手法を用いて脳波のパターン識別を行う。パターン識別とは脳波データのように一見、意味の分からないような複雑かつ多数の値を用いて何らかの計算式(モデル)を作った後、そのデータがどんなカテゴリーに属しているかを言い当てることである。カテゴリーの表現には「判別得点」などと言われる数字を使うことが多く、たとえば「イエス」なら1、「ノー」ならマイナス1という判別得点を計算するようにモデル式の係数が調節されている。

こうして数ブロックに及ぶフラッシュ提示が終わった後、「首」、「腰」、「足」という選択肢ごとに判別得点の加算平均値を算出すると、それぞれ0.8、0.3、マイナス0.5という平均値になったとする。その中で一番値の大きかったのが「首」なので、被験者が選びたかったのは「首が痛いです」というメッセージであったと予測されるのである。

この手法を用いれば理論的にいつもうまくいくように感じられるかもしれないが、少ない試行でノイズが多いデータからいつも正しい予測をするのは実際には結構、困難な作業である。また、P300の出やすさや、P300が良く検出できる電極位置、強く反応するタイミングなどに関しては個人差があり、高い精度で予測を行うためには、各被験者において準備作業が必要となる。

準備作業では、被験者の頭皮の皮脂汚れなどをアルコール綿などできれいにし、電極キャップを装着し、脳波の生波形がそれらしく記録できているかどうか調べる(人によって5分から1時間ほどいろいろ)。良さそうな波形であれば、予備実験を行う(こちらが指定する選択肢を頭の中で選ぶ実験を、ブロック回数を多めにして行う)。これによってモデル式のパラメーターの設定を行い、その被験者固有の脳波パターンを覚え込ませる。

モニター実験

ニューロコミュニケーターは、ようやく装置の試作第1号機が完成したところである。この試作機が、環境が整備された実験室を離れ、患者さんの生活現場でも実用的であることを確認するために、産総研つくばセンターのある茨城県内にお住まいの患者さんを対象にした出張モニター実験を数件行った。在宅患者さんを対象とした時も、基本的には所内で行う健常者対象の実験と同じことを行っている。当初、こちらが指示した選択肢を脳波の解析で実際に再現性よく選択できるかどうかの確認を行うことを目的としていたものの、それ以外にも改善点や注意しなければならない点などが次々と明らかになり、我々にとって非常に貴重な機会となった。

在宅のALS患者さんを対象にした出張実験では、装着感の悪い脳波キャップで我慢していただくことになったり、実験を行う者の手際の悪さや連携不足で思うように実験が進まなかったり反省点が多く浮き彫りになった。にもかかわらず、患者さんやご家族の方、介護師の方のご協力の下、試作した超小型無線脳波計とピクトグラム提示システムで、かなり高い脳内意思予測精度を得ることができ、患者さんから意思伝達に関してはおおむね好評価をいただくことができたのは大きな自信となった。

今後の展開

今後、小型脳波計のパーツの選択や製造工程などを見直して、最終的には10万円以下(コンピュータ除く)の製品として、2~3年後をめどに実用化を目指す予定である。

ところで、ピクトグラムを使った意思伝達方法の効率化のモニター実験には、リウマチや頚椎損傷など、音声による意思疎通に支障がない方を対象として広く意見を募り、人の数だけ伝えたい意思があることを再度痛感することとなった。そのため、メッセージデータベースの中のピクトグラムを、個人個人で差し替えられるようなカスタマイザーの開発を現在進めている。

今後も重度患者のモニター実験を実施する予定であるが、ひとつ解決を急がなければならない問題に直面している。現在寄せられているモニター希望の問い合わせ内容を検討すると、「意識が存在するか知りたい」といった相談内容が少なからず存在するからである。研究所や大学の倫理委員会では、原則として実験に協力してくださる方が、自らの意思で実験に参加するという意思表明をする条件の下で実験が許可されることがほとんどであり、「意思伝達支援機器を使うことに、患者さん本人から同意していただけるか」確認が取れない状態では実験が行えない状況が生じてしまう。このような問題を今すぐ解決することは困難であるとしても、さまざまな立場の人が集まって議論する機会が必要であると考えている。

(はせがわりょうへい 独立行政法人産業技術総合研究所ヒューマンライフテクノロジー研究部門ニューロテクノロジー研究グループグループ長)


文献1】産総研プレスリリース「脳波計測による意思伝達装置「ニューロコミュニケーター」を開発」
http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2010/pr20100329/pr20100329.html