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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年7月号

日本における障害者の権利条約と財団
―条約策定の前と後の貢献―

崔栄繁

1 はじめに―障害者の権利条約

2006年12月、21世紀最初の人権条約となる障害者の権利条約(以下、権利条約)が国連総会で採択された。全世界の障害者の宿願がついにかなったのである。

権利条約は、障害者を「保護の客体から権利の主体」へパラダイムを転換する条約であり、障害の社会モデルの採用、「合理的配慮を行わないこと」を含む障害に基づく差別の禁止、地域生活の権利、原則インクルーシブ教育など、画期的な規定を行った。これらの背景に、障害当事者・関係者の大規模かつ内容面での深度ある参画がある。

権利条約の策定において、総会の下に国連権利条約特別委員会(ad hoc committee、以下、特別委員会)が設置され、ニューヨークの国連本部ビルで計8回開催された。特別委員会には、「私たち抜きに私たちのことを決めてはならない」というスローガンのもと、民間からも多数の障害当事者・関係者が参加した。日本も例外ではなく、日本障害フォーラム(JDF)が中心となり非常に積極的に参加した。

そして、こうしてできた条約を受けて、国内でも法制度の改廃の取り組みが進んでいる。2009年12月、日本の政治史上、政府機関として画期的な「障がい者制度改革推進会議」(以下、推進会議)が内閣府に設置され、権利条約の批准に向けた法制度の改革のための精力的な議論がされている。そして、推進会議の構成員はJDFのメンバーが中心となっている。

これら権利条約に関連したJDFの活動への財団によるご支援の内容を紹介し、意義を再確認するものである。

2 財団とJDFの活動

(1)JDFの成り立ちと財団

2002年という年は大きな転機の年であった。まず、「国連アジア太平洋障害者の十年」(以下、AP十年)の最終年であり、「第6回DPI世界会議札幌大会」「第12回RIアジア太平洋地域会議」「アジア太平洋障害者の十年推進キャンペーン」という3つの障害関係の国際会議が日本で開催された。また、国連等で権利条約の交渉が始まった年であり、特別委員会での傍聴やその他の国際会議参加など、権利条約に関する活動が本格化した。

こうした国際的な動きを契機に、障害関係の全国団体によって、第2次アジア太平洋障害者の十年の推進や権利条約の促進を目的としたネットワークである「アジア太平洋障害者の十年最終年記念フォーラム」(以下、最終年記念フォーラム)が結成されたのである。最終年記念フォーラムは2003年10月の「JDF準備会」の立ち上げへとつながった。JDF準備会は13団体で構成され、これが、2004年10月に正式に設立されたJDFの母体となるのである。

これらの権利条約に関連する活動について、助成財団に取りまとめをしていただき、キリン福祉財団、損保ジャパン記念財団、ヤマト福祉財団、トヨタ財団、三菱財団の5財団に主に支えていただいてきたのである。権利条約の採択の前と後に分けて、紹介したい。

(2)権利条約策定前のご支援(2002年~2006年)

この時期、JDF(準備会等も含む)は毎年計800万円から900万円の助成を受けた。

助成金の多くは、特別委員会の参加のために使用された。特別委員会は、2002年には第1回特別委員会一度だけの開催であったが、2003年から2006年までは毎年2回ずつ開かれた。さらに2004年1月に、条約の草案を作成する作業部会も開催された。これらは、第7回特別委員会の15日間会期(実質3週間)を除き、10日間の会期(実質2週間)で行われた。

JDF(準備会等も含む)は、8回の特別委員会に延べ200人のNGO代表団を送り込み、傍聴やロビー活動、サイドイベントの開催等を行ったのである。第1回特別委員会の参加者はそれこそ「手弁当」であったが、第2回からは事務局体制や日英の同時通訳体制等、NGO代表団としての体裁が整えられ始めた。必要なものとして、準備にかかる費用、2~3人の事務局員の派遣費用、日英通訳者等情報保障関係者の派遣費用や謝礼、サイドイベントの開催や通信費用など現地での活動費が挙げられる。開催地がニューヨークという場所であり、会期も2週間ということで、多大な費用がかかった。筆者も当時のJDF権利条約専門委員会事務局として、第5回を除くすべての特別委員会に参加させてもらっている。

準備段階から現地での活動等に関わってきた者として言えるのは、これらの助成が無かったら、当時の国連での活動や、その後の推進会議も含む現在に至るさまざまな動きをJDFが一体となって作り出すことは不可能であった。最後の特別委員会となる第8回特別委員会には、財団の関係者にもご参加いただいたが、私たちの活動を「現場」で実際に肌身で感じていただいたという点で、大変ありがたいことであった。

その他、特別委員会に関する活動以外に、2003年に二度行われたESCAP(国連アジア太平洋経済社会委員会)が主催した専門家会議にも、JDF(当時は準備会)はメンバーを派遣している。国内では、JDFでは権利条約の啓発活動も兼ねて、毎年10月か12月にJDFセミナーを東京で開催している。2006年7月には「権利条約に期待するもの」という啓発冊子をJDFとして初めて発行し、販売、配布した。これらの活動もすべて財団からの助成金でまかなわれた。

なお、この時期には、前記5財団以外に「広げよう愛の輪運動基金」からも助成金をいただいている。

(3)権利条約策定後のご支援(2007年~現在)

権利条約採択以降、前記のような支援体制は、当然のことながら変化した。当初、権利条約に関するJDFの活動への助成については、各財団は権利条約ができるまでを一つのめどとしていたこともあり、2つの財団からの助成が2006年で終了した。2007年以降は、キリン福祉財団、損保ジャパン記念財団、ヤマト福祉財団の3つの財団より、年間計600万円の助成を受けている。

権利条約採択後のJDFの活動も、その舞台が海外から国内に移り、内容面においても国内履行に焦点が移ってきた。

まず、権利条約を中心テーマにすえた、JDF地域フォーラムの開催である。これは、JDFと地域団体組織が共催する形が一般的である。地域の障害者や関係者、一般の市民の方への啓発が目的であり、さらに、地域の障害者団体の協力体制をつくることも視野に入りうる。2008年2月の愛知県における「JDF地域フォーラムin愛知」を皮切りに、北海道、岡山、大阪、仙台、京都、富山、熊本、沖縄の9か所で開催された。今後も青森や東京での開催が企画されている。愛知と大阪では、地域のJDF版とも言える愛知障害フォーラム(ADF)、大阪障害フォーラム(ODF)が立ち上がった。これらフォーラムの開催経費の支援や、講師やパネリストの派遣などをJDFは行った。

また、先に述べたとおり、東京ではJDFセミナーを毎年開催しているが、2009年度のJDFセミナーでは、特別委員会の第2代議長であるドン・マッケイ氏をニュージーランドより招請し、講演や表敬訪問などの活動を行った。

さらに、2冊目の啓発冊子『みんなちがってみんな一緒―障害者権利条約―』を刊行した。現在、3冊目・4冊目の啓発冊子の発行を予定している。

こういった活動に、財団からの助成金を使わせてもらっているのである。

3 まとめ―意義と私たちの課題―

JDFは、権利条約に関する政府との意見交換会を20回以上行い、国会では超党派の障害者権利条約推進議員連盟と協力してきた。これらの活動のかいもあって、推進会議が設置され、その多くの構成員がJDF関係者であるという状況が作られてきた。まさに権利条約の履行に向けた活動に政府の中にも入り込んで参画しているのである。各財団のご理解とご支援がなければ、これほどの成果を出すことはできなかったと思う。心から感謝申し上げたい。

今後、権利条約を国内で完全に実施するためには、企業や市民を巻き込んださらに広範な運動が必要である。権利条約の実施体である障害者権利委員会が本格的に動き出すが、そのウォッチングも必要だ。本当の勝負はこれからである。今までどおり各財団にご協力いただくためには、明確な目標とそこまでのロードマップを提示することが私たちに求められている。

(さいたかのり DPI日本会議、JDF条約小委員会事務局)