「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年9月号
障がい者制度改革推進会議に期待する。
橋本みさお
2010年8月9日(月)、第18回障がい者制度改革推進会議が行われました。
そこで、今年の秋から7つの作業チームを設置し、児童、就労、医療など、総合福祉を越える分野については、推進会議と合同で作業チームをつくりたいとか。
あっ、また仲間外れかな?との予感あり。
東室長は「この3分野については、推進会議の下に置く」なんていうから「はじめの提案とは違う」「外部に対して分かりづらい」などの意見があがってしまう。
たしかに難解なこの議論の結末を、子どもたち抜きで語っている光景は奇妙なのです。
結局、総合福祉部会固有の部会と推進会議の委員を交えた前記3つの作業チームの設置について、ネーミングを変えることによって承認された。
名前は大事ではあると思うけれど、部会も親会議もネーミングに時間をとられている。
障害者の定義について、社会モデルの観点を入れるということと、障害を理由とする差別禁止について、合理的配慮を行わないことも差別に含めるということか。
さらには、情報・コミュニケーションの権利をきちんと位置づけてほしいものです。
なぜならば、ALS/MNDの障碍者は、この分野が信じられないほどの阻害っぷりで、自分の生きている場所も確認できないのです。
親会議の報告は東室長にお任せして、私は一人のALSという難病をもつ障害者として、第二次意見への夢と希望を書きたい。
この会議に参加して、ALS(筋萎縮性側索硬化症)当事者の橋本は、ある種の違和感を持って席についています。
視覚障害者、聴覚障害者には、それぞれ通訳者が付いているのだけれど、私レベルのチョー障害者には通訳はいない。
日頃から、地域でコミュニケーション支援のあり様について交渉し続けています。
しかしながら、現行の障害者自立支援法では、全身性の身体障害で発語不能でもコミュニケーション障害とは認められません。
そのような障害者は、年齢や疾病に無関係に相当数存在します。
その上、呼吸筋マヒで人口呼吸器を使用していると、その存在さえも想定外の人々ということになります。
ALSは、一見してとても大変な人だと認識されますが、書類の上では、ただの四肢マヒです。これを新法がどのようにすくい上げるかは分かりませんが、ただの医療依存度の高い障害者といった括(くく)りで括られては不本意です。
難病の概念は、日本特有の素晴らしいものだとは知っています。
しかし、ALSのような進行性の機能障害が固定しない障害の認知は進んでいません。
障害者としても個人としても、さまざまな場面で差別を受けています。
これをどのようにしたら憲法に定める国民の一人として認められるのかが、私が部会にいる意味ではないかと思っています。
そもそも、インクルーシブ教育を怠った国策の結果だと思うのです。
障害者とそうでない者を区別していたから、障害者が特別視されるのです。
ALSにあっては、進行の過程で、当事者とその周辺にいる者がそれぞれの当事者に差別的な発言をしています。そのことの罪悪の判断もしていません。
「子どものいない場所」
私たち抜きで私たちのことを決めないで!と言いながら、この会議には、重度身体障害をもつ難病の人も小児慢性疾患患者も人工呼吸器使用者も参加していません。
傍聴してみて、大変驚きました。
現在17歳の少年は、新法に移行するときは成人なのです。障害児の医療からも、福祉からもはじかれてしまいます。
医療の線引きはとても厳格で、20歳になったとたんに、医療費が3割になることは普通のことです。
地域福祉の現場でも、高校卒業と同時に、外出支援は停止されています。
それなのに、なぜ、この会議の当事者である若年障害者がこの会議にいないのでしょう。
たとえば、私が10年後の未来を語ることは非常に無責任なことですが、若年障害者のほとんどが10年後の未来を生きなければならないのです。
それは、医療的ケアが必要な少年も同じなのです。
本人の明確な意見を聞き、10年後の未来を語らせるべきではないでしょうか。思いもよらない斬新な発想を持っていると思うのです。
(はしもとみさお NPO法人ALS/MNDサポートセンターさくら会理事長、総合福祉部会構成員)