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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年9月号

文学にみる障害者像

「青い芝の会」と絶望の哲学
―横田弘詩集『まぼろしを』―

荒井裕樹

横田弘。主に1970~80年代に、何らかの形で「障害者問題」に関わったことのある者であれば、この名前に特別な感慨を抱くのではないだろうか。特に彼が率いた団体「日本脳性マヒ者協会青い芝の会神奈川県連合会」(以下「青い芝の会」と表記)の強烈な印象と相まって、市民運動の熱い季節の記憶が彷彿(ほうふつ)としてよみがえることだろう。

本誌の読者には、あらためて「青い芝の会」について説明する必要もないだろう。同会は街頭カンパニアや座り込み、また時には実力行使も辞さない強硬な態度によって、社会に多大な衝撃を与えた脳性麻痺者らによる運動団体である。「青い芝の会」は全国各地に支部を持ち、それぞれに主義や主張が異なるため、このように一括りにして説明することに抵抗がないわけではない。しかし60年代には穏健な親睦団体だった同会が、日本の障害者運動の歴史に残る存在として人々の記憶に刻まれるようになったのは、やはり神奈川県連合会の果たした役割が大きい。

そして横田は、この神奈川県連合会の中で今なお指導的な立場にいる人物である。横田の名を知る者は、彼を「我らは愛と正義を否定する」という鮮烈なテーゼの起草者として、また養護学校義務化反対闘争のタフな指導者として、あるいは、いわゆる「川崎バスジャック闘争」や優生保護法反対運動の闘志として記憶しているのではないだろうか。その活躍から、現在では障害者運動「伝説の人」とさえ評されている(朝日新聞「人・脈・記」2007年4月23日夕刊一面)。

そもそも万人が支持する社会運動などあり得ないのだろうが、しかし、「青い芝の会」ほど評価が分かれた事例も珍しい。明快で徹底した自己主張に絶大な共感を寄せた人も多かったが、その“過激さ”を忌避する人はおそらくそれ以上に多かった。しかし彼らの主張には、他のいずれの障害者運動にも見られなかった一つの特徴があったように思われる。つまり「障害者が生きる意味とは何か?」という哲学的な思索と、その思索を突き詰めるストイックさを備えていたのである。

その「青い芝の会」の哲学は、横田の詩の中に最も凝縮された形で込められているように思われる。横田は運動家であると同時に詩人としての側面も持っている。むしろ筆者の個人的な感覚から言えば、詩という文学表現にこそ横田哲学の本質が表われている。彼が起草した同会行動綱領には、『歎異抄』を基礎とした独特の宗教観が見られるが、それを綴る言葉は多分に韻文的である。起草されて以来40年を経た文章にも関わらず、今なお人々を惹き付ける力があるのは、この韻文的な言葉そのものの力にあずかる部分も大きいのではないかとさえ思われる。

その横田が今年、喜寿を期して刊行した第五詩集が『まぼろしを』(障害者の自立と文化を拓く会「REAVA」発行)である。紫地に銀字、横長のやや変則的な体裁をしたこの詩集は、長らく障害者運動を牽引してきた横田哲学の集大成とも言うべき一冊である。

近年、未来へのキーワードとして「共生」という言葉が盛んに強調されている。「障害者問題」という領域に話を限っても、障害者の権利と尊厳を主張する人々の多くが、障害をもつ者ともたない者との「共生」を目標として想定している。障害の有無に関わらず、万人が他者の尊厳を認め、人格を尊重し、互いを理解し、微笑み合い、手を取り合って生きていける社会が素晴らしくないはずはない。私たちは普段そのような理想郷として「共生」を夢見ているし、そのための努力と犠牲を払うことについても(個人の担える範囲であれば)やぶさかではない。

しかし横田は、このような「共生」について最も深く絶望を味わった人間である。具体的に言えば、「障害者と健常者が互いに分かり合う」ことに、徹底的に絶望しているのである。「障害者と健常者」という歴然とした力関係のもとでは、「分かってもらう/分かってあげる」という上下関係はあり得ても、対等に「分かり合う」ことはあり得ない。横田は繰り返し「障害者は健常者との闘争の中にしか生きられない」とまで断言している。

ただし、横田の絶望は単純な絶望ではない。その根底に温かな光を秘めた絶望である。詩集『まぼろしを』を締めくくる巻末詩「花がたみ」の一部を引こう。

白い霧

あなたは
生きることを強いる
面影のすべてを埋めて生きることを強いる
凌辱に曝されたまま 生きることを強いる

冷たく白い霧

わたしはこころを ひらかない

だから
だから今朝もあなたに
むらさきいろの 花を摘む

わたしは あなたを許さない

先日、この詩について横田と二人で語り合うという貴重な機会を持つことができた。この中で連呼される「あなた」について、横田が厳然と「健常者のことだ」と述べた時の、冷静だが熱い眼差しが今なお強く網膜に焼き付いている。障害者運動の最前線を駆け続けてきた横田が、自身の集大成ともいうべき詩集を「許さない」という一句で結んだことの重みは測り知れない。

思えば横田の人生は、まさしく「凌辱」の中を歩むようなものであった。社会から迫害され、親族からも疎外され、同じ障害をもつ人々の中には「死んだ方が幸せだから」との理由で殺された者も少なくない。横田本人の言葉を借りれば、まさしく彼は「本来あってはならない存在」「否定されるいのち」として扱われてきたのである。彼を「凌辱」し続けた「健常者」に対し、絶望することも故ないことではない。

先の対話の中で、横田はおよそ次のような主旨のことを述べた(記録を取っていないので正確な引用ではない)。すなわち、障害者と「健常者」とが真に理解し合い、手に手を取り合って暮らせる社会などあり得ない。そのような社会など、自分が死んで、世界が終わり、一度地球が壊れてもやってこないのだと。

しかしながら、少しでも横田に関わったことのある者であれば、彼が懐深く「健常者」を受け入れ、共に生き続けてきた事実に思い当たるだろう。横田のような重度障害者が、「健常者」と共にしか生きられないことを最も痛切に理解しているのも、他ならぬ横田本人なのである。

自分の尊厳を傷つけた者に絶望しながら、それでも共に生きること。決して「許さない」と誓った相手と、それでも共に生きていくということ。そのためには、おそらく「許す」という感情以上に底深い心の覚悟が必要となるだろう(思わず「心の覚悟」と書いてしまったが、今のところこのような拙い言い方しか思い付かない)。おそらく横田にとっての「共生」とは、この絶望的な難問を乗り越えたところにしかやってこない。

人が生きる以上、人は人を傷つけ、人から傷つけられることを避けることはできない。同じように、恨み恨まれることも、憎み憎まれることも避けることはできない。敬虔(けいけん)な仏教徒である横田なら、おそらくそれを「業」と呼ぶだろう。もしも本当に「共生」ということがあり得るとすれば、それはこの渦巻く「業」を突き抜けた果てにあるのだろう。それは光り輝く理想郷などではなく、絶望の底の裂け目に生じる、儚(はかな)い光の破片のようなものである。

絶望を突き抜けて、それでも共に生きること。「許す」という感情以上に底深い心の覚悟で相手を受け入れること。おそらく「青い芝の会」の運動が投げかけたのは、障害の有無に関わらず、すべての人々に、この難問を共に考え、共に模索することだったのではなかったか。しかしながら、あの運動が立ち上がってから40年を経た今もなお、私たちはその覚悟を言い表す言葉さえ持ち合わせていない。

そして横田弘は、この絶望を見つめ、その底に光を見出そうとする希有な詩人である。私はこの詩集を読み返す度に、横田らの運動が成し遂げようとしたことの底深さに立ちすくむ思いがする。

(あらいゆうき 日本学術振興会特別研究員、博士(文学))


◎横田弘詩集『まぼろしを』頒価1300円。問い合わせ先は、障害者活動センター第2「きょうの会」(横浜)045―754―6948。