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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年9月号

列島縦断ネットワーキング【兵庫】

2010年度定藤記念福祉研究会セミナー
「障がい者制度改革」は今…
~地域自立生活は確立できるのか~

北野誠一

障害当事者であり、関西の地域福祉研究のけん引者でもあった故定藤丈弘先生の遺志を継続する研究会の今年度のセミナーが、7月4日に200人を超える参加者を得て開催された。開催地は、これまた先生が深くかかわってこられた、重度障害者の地域生活支援を展開している西宮市で、会場は市役所大ホールで行われたので報告する。

今回のテーマの趣旨は、2010年1月からの障がい者制度改革推進会議や、4月からの総合福祉部会での議論の内容を集約・整理することと、それをこの関西の地で、どのように活(い)かして、地域自立生活を確立していくのか、ということである。

第1部対談は、西宮の自立生活センター「メインストリーム協会」副代表の玉木幸則さんと、厚生労働省障害福祉専門官の高原伸幸さんによって、「相談支援と地域自立支援協議会の今後の展開」をテーマに行われた。

高原さんからは、現状の相談支援制度の抱える諸課題と、その目指すべき本人中心のエンパワメント支援のギャップをいかに埋めるのか、という問題提起がなされた。玉木さんからはそれを踏まえて、地域自立支援協議会の果たすべき役割や、相談支援員の資質や研修体制の在り方についての提起がなされた。

この対談で、今後の障害者の地域自立生活にとって相談支援の果たすべき役割の重要性と、それにもかかわらず、そのシステムがまだまた脆弱であることが浮き彫りになった。

第2部鼎談は、大阪府立大学准教授で総合福祉部会構成員の三田優子さん、西宮市社会福祉協議会のまねっと西宮のセンター長で同じく総合福祉部会構成員の清水明彦さん、PASネット代表の上田晴男さんにより「地域自立生活と地域生活移行の課題と展開」をテーマに行われた。

上田さんが、主に進行役に徹しられたので、三田さんと清水さん二人の、地域移行・地域定着支援についての思いが中心となった。

三田さんは、障がい者制度改革推進会議での議論において、1.医療的支援中心ではなく、障害者の自立生活と生活支援を軸にした議論が重要。2.それを踏まえれば、医療そのものの質も問われることになる。3.他の障害の立場の委員から、精神障害者の人権について突っ込んだ意見があったこと等を評価するとともに、総合福祉部会での議論においては、障害者権利条約19条(地域で生活する権利)を念頭に、1.障害の重い人、医療的ケアの必要な人は「別格」ではなく「中心」である。2.「自立生活」については、当事者を交えた議論をどう社会に投げかけていくかが鍵だ、と語った。

一方、清水さんは、総合福祉部会への意見書を踏まえて「西宮市での重症心身障害の人たちの地域生活展開の経過に共に身を置かせてもらって36年が経過した。そんな中で、私は以下のような確信を持つに至った。重症心身障害の人は、〈何もできない人〉ではない。日々、自己実現を目指し、自分らしく自分の人生を生きていこうとしている存在である。重症心身障害の人が地域社会との関わりの中で、一人の市民として生きていこうとすることから、さまざまな市民の営みに参画していく、あるいは地域を巻き込み、新しい営みを生み出す創造的な本人の〈活動〉が、地域の中で多様に展開されていくことになる。重症心身障害の人の地域における〈活動〉は、地域社会の中に新たな価値観をもたらし、地域に連帯と活力を生む。このことは、重症心身障害の人の社会的〈はたらき〉でもある」と語った。

上田さんのまとめを含めて3人が、それぞれの本人中心の地域自立支援の意味、本人のエンパワメント支援の在り方を語る中で明確になったことがある。

それは、病院や施設生活ではなく、清水さんが重症心身障害の人の地域自立生活支援を語り、三田さんが知的障害者や精神障害者の地域自立生活支援を語るキーポイントである。

つまりは、たとえいかに濃厚な医療や福祉サービスが存在しようとも(それすらも怪しい病院や施設は問題外として)、地域社会での人間としての役割や社会参加を奪われて、サービスをしてもらうだけの受動的で無力な障害者像(サービスを浪費するだけで、社会の役に立たないとされた障害者像)の再生産の片棒を担ぐことは、決して許されてはならないということなのだ。もっといえば、障害者のエンパワメントを奪うことで利得を得るようなサービスシステムがあってはならない。

最後の第3部では、障がい者制度改革推進会議構成員の筆者を語り手、寝屋川市民たすけあいの会事務局長の冨田昌吾さんが聞き手に、「制度改革の動向を聞く~障がい者制度改革は今…」をテーマに対談がなされた。

対談は、冨田さんが、1月に始まった改革推進会議の仕組みや人選から、6月7日の「障害者制度改革の推進のための基本的な方向(第一次意見)」の内容まで、的確に筆者に問いかけ、筆者が、それに答える形で展開した。

私たちがここで明らかにしたかったのは、改革推進会議の持つ歴史的な意味と、それ故に抱えている困難の大きさである。これは、第2部で三田さんも言われたように、障害者権利条約の批准に必要な国内法制度の改革が、改革推進会議の使命であり、しかもそのことを、条約のスローガンである“Nothing about us without us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな!)を踏まえて、障害当事者が過半数の委員会で成し遂げようとしているのだ。

国の権限を有する委員会でこのような委員構成をとったのが初めてなら、その委員会の事務局の室長を、官僚ではなく、民間人を登用し、その室長の東さんは、車いすの弁護士で、障害者権利条約制定に関する国連委員会のわが国の代表団のメンバーだった人で、彼を中心に委員会のペーパーが作られる訳であるから、まさに、これまでの国の審議会や委員会とは全く異なる歴史的な快挙であることは事実である。しかし、それであるが故に、いくつかの困難を抱えていることもまた事実である。

以下、5つほど上げる。

  1. 過半数の障害当事者委員間の合意形成
  2. 障害当事者委員とそれ以外の委員との合意形成
  3. 東さんを中心とする民間事務局員と内閣府官僚との連携
  4. 内閣府と他の省庁(特に厚労省と文科省)との意見調整
    (=改革推進会議と総合福祉部会等の部会と他の障害者関連法制度・施策に関する審議会・委員会との連携・調整)
  5. 改革推進会議構成員と全国の障害者団体や関係者団体との関係調整

これまでのところ、1と2に関しては、よい実感を得ていると言えよう。それぞれの障害者団体の思いを相互に理解・尊重するベースが構築されつつあるし、他の委員間との関係も着実に深まっている。3についても、第1回目に東室長と内閣府のペーパーがすり合わせられることなく出てきた時はどうなることかと思ったが、これも着々と連携は進んでいるように思われる。さらに、5については、今後順次、改革推進会議と各地域の障害者団体や関係団体等の共催の地域フォーラム等が展開される予定である。

問題は4である。改革推進会議やその部会が大風呂敷を広げて、何でもかんでも、自分たちの管轄だ、自分たちにやらせろ、と言い張ってしまっては、連携・調整はおぼつかない。障害者の関係する問題を障害当事者を抜きに審議する時代が終わったことだけは、確かであり、改革推進会議に意見を求めることは、いかなる審議会・委員会においても、もはや必至である。障害当事者も含めて、自分たちに都合のいい委員だけを集めて、アリバイ工作をする時代は今回の歴史的委員会の始まりをもって、終わりを告げたのである。

改革推進会議・部会と他の障害者関連法制度・施策に関する審議会・委員会との連携・調整の成熟度が、今後のわが国の民主政治の成熟度の、一つの大きな指標となるだろう。

(きたのせいいち 障がい者制度改革推進会議構成員)