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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年10月号

時代を読む12

点字120年の回想

現在使われている6点点字は1825年、フランスのルイ・ブライユが考案した。欧米に普及後わが国にも伝えられたが、言葉の性格を異にする日本語を表すには、仮名文字への翻案という作業が必要であった。この任にあたったのが、官立東京盲学校教諭石川倉次である。明治20年暮れごろである。

石川はまず6点の組み合わせを考えた。それは63通りになるが、同形のもの、たとえば1点のみのものとか、縦2点あるいは横2点などというものを除けば、44通りしか得られない。44通りの変化で48文字の仮名を表現することは不可能だと考えた石川は、2点を追加し、8点点字として、仮名文字への翻案を検討することにした。

8点点字による案はいくつかできたが、どれもしっくりいかなかった。また盲学校長の小西信八からは、世界共通の6点で考えてほしいという強い要望が出されていた。明治23年も夏を迎えようとしていたころ、石川は一つの画期的なヒントを得ていた。6点を2つの部分に分け、上の3点の組み合わせで母音を構成し、下の3点の組み合わせで子音を構成して、それを合体させるという案である。このヒントを得てからは、作業は急速に進み、ヤ行とワ行を変則的扱いとした五十音を数日で完成したのであった。

約3年に及ぶ石川の点字翻案の研究は、当時校内の最大の話題になっていた。校内でも自ら翻案を試みる者が現れ、明治23年9月ごろ、石川案が完成した時には、教員側と学生側からも出され、3案が出揃うことになった。11月1日の選定会議において、満場一致で石川案の採用が決定した。

選定会議の特長は、学生も教員と同じ立場で参加し、自由に意見を交換したことである。しかも全員の意見が一致するまで討議を重ね、まさに民主的な運営が行われたのである。わが国の点字はそのような温かい民主的な雰囲気の中で呱々の声を上げたのであった。

それから数えて120年、その間に視覚障害者の人権回復や社会的地位の向上、社会進出の道を大きく開いた上で、点字の果たしてきた役割には計り難いものがあった。第一に、点字は近代的盲教育を可能にした。第二は、点字による各種試験の門戸を開放したことである。第三は、真の点字文化を開花させたことである。

言葉は音声によって完全に伝達できるものでなくてはならない。ところが、日本語にはそれを妨げる同音異義語があまりにも多い。

私は文章を書く際、墨字を点訳したのではなく、最初から点字で書いたことが分かる文体にしたいと願ってきた。多くの点字使用者にもぜひそのような文体を作り上げてもらいたいと願っている。それができれば、活字の文章にも影響を与えることになるのではないだろうか。明治維新以来、国語改造論を唱えた人は多くあったが、これこそ真の国語改造になるのではないかと思う。そしてまた、それこそが真の点字文化だと思うのである。

(阿佐博 日本点字委員会顧問)