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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年10月号

1000字提言

“必殺ごみ箱投げ”の教え

浅海奈津美

「今晩死んじゃうかもしれん」は、年季の入った、つまりオンボロの、木造風呂エアコン無しトイレ共同6畳一間に暮らす、身寄り無し生活保護受給要介護老人T氏のいつものフレーズ。独(ひと)りで過ごす夜が不安でたまらないのだ。病院に救急車で乗り付けてはUターンさせられること幾たびも。眠り薬が入り用だからと正しく受診すればその他の薬も山盛りの、病やケガの持ち主ではあるのだが、子ども用自転車を歩行者に追い抜かれながらも必死に漕(こ)いで、一杯230円の蕎麦(そば)屋に通うT氏に、特養入所の日は遠い。

ある日、T氏の担当ケアマネジャーになった。所属事業所の母体は、身寄りなし、蓄えなし、住まいなし、仕事も社会との絆もなし、の境遇の人たちへの支援をミッションとするNPO。となれば、T氏はまさに想定支援対象の典型例。「お任せあれ!」と言いたいところだが、当方、ケアマネ1年生にて懐は浅く、気も応用も利かない。

書類作りを焦るこちらの質問や説明や依頼や懇願に、T氏は文字通り全身を震わせ咆哮し、モノを投げるか杖を振り上げ、問答無用の待ったをかける。脳病変の仕業なのか(八十余年分の病気・障害の履歴など誰も知らない)、激昂は本人とて止められない。

「あんたはいつももっともらしく『困っていることは何ですか、援助しますよ』と言うが、そのくせパン一つ買いに行くのにも尻が重いのはなぜだ!俺は奉公に出されて以来、酒も飲まずに何十年も働き続けてきたんだ。それなのに、こんなゴキブリだらけの部屋で独り死ぬしかないのか?病院でも老人ホームでも何でもいいから、早く何の心配もなく眠れるところに入れてくれ!あんたの都合ではなく俺の都合で援助しろ!!訳が分からん書類ばかり持ってくるな!!!」―説明が苦手なT氏の憤怒を言葉にすれば、こんなところか。

T氏の名誉のために付け加えておくが、炭鉱ダム飛行場埋立地と、日本のインフラ構築に寄与してきたガタイのいい身体から、闇雲(やみくも)に“暴言暴力”が発動されるわけではない。飛んでくるごみ箱は、決して私に当たらない。しかし一触即発のごみ箱投げは、独り弱りゆく老人を援助しようなどというこちらの意気込みを、瞬く間に萎えさせた。T氏に会いに行かない言い訳はいくらでも見つかった。制度に、理論に、知識に、すくむ自分の心の中に。

あれから1年、「しゃーない、やるしかない」の度胸と覚悟も援助スキルの一部だということを、新米ケアマネに差しで教え続けてくれたT氏は、自転車でこけ、酷暑を入院で乗り切った。会いに行った。喜ぶ顔を期待するこちらを見る師匠の眼が、まだまだ仕込み足りんな、と言っていた。

(あさみなつみ ヘルパーステーションふるさと)