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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年10月号

文学にみる障害者像

乱歩『芋虫』から「キャタピラー」へ
―絶望が性的歓びに反転し、それが反戦に反転する時空を超えた物語

二通諭

「忘れるな、これが戦争だ」という惹句(じゃっく)のもと、反戦の意図を鮮明に打ち出した「キャタピラー」が、この夏大ヒットした。この種の作品では珍しいことだ。本作でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞した寺島しのぶが、神出鬼没の如くメディアに出まくり、声を大にして宣伝したことも大きい。

1 若松孝二が開いた『芋虫』の扉

製作・監督の若松孝二の言によれば、本作のルーツは、江戸川乱歩の短編小説『芋虫』である。手元の英和辞典で「キャタピラー」を引けば、戦車などの無限軌道車より先に毛虫(幼虫)が出てくる。和英辞典で「芋虫」を引けばキャタピラーが出てくる。「キャタピラー」というタイトルは、「芋虫」を言い換えたものだが、戦車や戦争も連想させる。一つの言葉に二つの意味を重ねた優れたタイトルだ。

筆者には若松孝二作品について熱く語っていた履歴がある。1970年代前半、某教育系大学の学生寮時代のことだ。最近も、講演先の学校で、寮の先輩である校長が、私のことを、若松孝二のピンク映画を見てはその凄さを吹聴していた人物として紹介してくれた。今となっては光栄なことだが、その当時としては、そんなに褒めてもらえるようなことではなかった。ピンク映画一般のイメージから、時に筆者には腐敗している、堕落している、退廃的だといった言葉も浴びせられた。

当時の若松作品はピンク専門館で上映されていた。若者たちの一部から熱狂的な支持を得ながら社会批判や反体制的空気に満ちた作品を連打していた。ピンク映画の条件は、低予算と早撮り、セックス描写である。若松は、このような縛り(形式)を、自身の自由な創造空間、若松ワールドへと昇華させた。アウトサイダー性といかがわしさ、なんでもありの自由さが若松に力を与えた。

本作もまた、わずか12日間の撮影日数であり、1時間24分というピンク映画をやや拡張させたスケールだ。まさにあの頃の若松テイストの復活であり、懐かしささえ感じる。

さて、昭和4年に発表された『芋虫』には、表面上反戦小説としての性格はない。戦地で両手足を失った夫を、この際だから性の玩具として受容しようという妻の話だ。畏(おそ)れ多くも陸軍兵士としてその忠烈ぶりが新聞でも広く讃えられ、功五級の金鵄勲章を授けられた夫を性的欲望のはけ口にしようとするのだから、反戦というレベルでは収まらない。むしろ、支配的な道徳観からの逸脱、支配体制に対する反逆的な態度が透けて見える。当然ながら、戦時中は発売禁止になった。

さて、本稿では『芋虫』の一部をカギ括弧に括って原文のまま紹介しているが、今日的な基準からすれば、その使用について配慮すべき表現が多々含まれている。この作品が書かれた時代の表現としてご理解願いたい。

2 性嗜好の変化に気づく

妻の時子は、世間知らずの内気者で、貞節ぶりを発揮していたが、「今では、外見はともあれ、心のうちには、身の毛もよだつ情念の鬼が巣を食って、哀れな片輪者(片輪者という言葉では不充分なほど無残な片輪者であった)の亭主を─かっては忠勇なる国家の干城であった人物を、何か彼女の情欲を満たすだけのために、飼ってあるけだものででもあるように、或いは一種の道具ででもあるように、思いなすほどに変わり果てて」いる。

口が利けず、耳も聞こえない夫の意思伝達手段は、鉛筆を口にくわえて書くことと、仰向け姿勢のまま頭でトントン畳を叩くことである。時子がちょっと留守をすると嫉妬心を高じさせ、「オレガイヤニナッタカ」と書いたり、頭を畳に打ちつけて苛立った気持ちを表現する。時子は、そんなときの手っ取り早い和解の方法も心得ている。接吻の雨を注ぐのである。そうすると、「廃人の目にやっと安堵の色が現れ」るのだ。

夫の身体は、手足のもげた人形のようであった。「それはまるで、大きな黄色の芋虫であった。或いは、時子がいつも心の中で形容していたように、いとも奇怪な、畸形な肉ゴマ」であった。これは、時子にとって飽くことのない刺激物であった。時子は弱い者いじめの嗜好をもっていることにも気づく。時に夫の気持ちをいたわるどころでなく、むしろ、のしかかるように「異常に敏感になっている不具者の情欲に迫まって行く」のである。

やがて時子は、自身の性嗜好の変化、あるいは自身の性嗜好の正体といったものを自覚することになる。

「そこには、キリキリと廻る、生きたコマのような肉塊があった。そして、肥え太って、脂ぎった三十女のぶざまなからだがあった。それがまるで地獄絵みたいに、もつれ合っているのだ。なんといういまわしさ、醜さであろう。だが、そのいまわしさ、醜さが、どんなほかの対象よりも、麻薬のように彼女の情欲をそそり、彼女の神経をしびれさせる力をもっていようとは、30年の半生を通じて、彼女のかつて想像だもしなかったところである。」

性嗜好とは、性的興奮を得るための自分なりの好みの方法や状況を指すが、時子は、夫が今のような身体形状になることで、麻薬のような、しびれるような性的快感を得るようになったと言うのだ。世間からは不幸だと思われているかもしれないし、夫にも悪いとは思うが、秘かな愉(たの)しみの世界として、これはこれで結構いける、と感じるようになったのだ。

夫の姿を病院で見せられたときは、目まいのようなものを感じてうずくまり、別室で泣き伏した。医員が「驚いてはいけませんよ」と言って、白いシーツをまくってくれたとき、手のあるべきところに手が、足があるところに足がなかったのだから当然のことだ。

しかし、その後の長い月日は時子を変化させた。未来への展望も、さしたる思想もない男女が一軒家に閉じこめられて生活するのだから、欲望に基づく行為がすべてとなる。また、時子は、夫の欲望に任せた行為に感化されたともいえる。夫を思うがままに自由にもてあそび、「一個の大きな玩具」とみなすに至ったのは、繰り返されてきた感化と適応の一つの到達なのである。

クライマックスは時子の残虐性である。なぜ残虐行為に至ったかと言えば、「見る影もない片輪者のくせに、ひとりで仔細らしく物思いに耽っている様子が、ひどく憎々しく思われた」からだ。

時子はいつものように遊戯を求めて挑みかかって行くものの夫に拒絶される。そのくせ、夫の眼は、なぜかいつまでも大きく開いている。時子は激高する。「なんだい、こんな眼」と叫びながら両手を夫の両眼に当てる。両手にどれほどの力が入ったものなのか、本人にもわからなかった。気づいたときは夫の眼はつぶれていた。

3 共通項と差異

若松は、この小説から反戦と軍国主義批判の映画へと道を拓(ひら)いていったが、この小説自体にそのような政治的な意図があったようには思えない。

ただ、金鵄勲章と自身を讃える新聞を見ることに喜びを感じていた夫が、やがてそのことに飽きがきてしまうというエピソードに批判精神の存在を感じることができる。勲章も武勲を讃える新聞記事も今となっては空しいものでしかないということであり、そもそも、こんなものに騙されるなということでもあるのだ。このエピソードは若松の意図と合致し、「キャタピラー」でもそのまま使われている。

最後に、「キャタピラー」にあって、「芋虫」にないものを挙げておこう。

それは、開館一番の中国戦線での日本軍兵士による強姦と殺戮のシーンである。まずは自己批判という手続きを踏むあたりが若松らしい潔さである。両手足や聴覚や発声器官の機能を失って帰還した夫にしても、中国では女性を犯し、殺していたのであり、被害者である前に加害者だったのである。妻との性的交わりを回避するようになったのも、ある時から、戦地での強姦殺人の場面がよみがえるようになったからだ。戦争は身体に傷を負わせるだけではない。心にも傷を負わせる。まさに、これが戦争なのだ。

若松が漂着した反戦という道徳的世界と、江戸川乱歩の体制に媚(こ)びない不道徳的世界は、一本筋を通すという点で、時空を超えた呼応関係にある。反逆児若松も乱歩の前では、りっぱな孝行息子に見えてしまうが、それは筆者だけの印象であろうか。これを機に、石井輝男監督の「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」(1969年)に代表される乱歩映画の世界に触れてほしい。障害観の問題など、障害者史考察の一助になるはずだ。

(につうさとし 札幌学院大学人文学部人間科学科)