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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年11月号

わがまちの障害福祉計画 兵庫県明石市

明石市長 北口寛人氏に聞く
地域課題の解決は行政と市民の対話と協働で

聞き手:山本耕平
(立命館大学産業社会学部教授)


兵庫県明石市 基礎データ

◆面積:49.25平方キロメートル
◆人口:292,791人(平成22年9月1日現在)
◆障害者手帳所持者:(平成22年3月31日現在)
身体障害者手帳 11,100人
療育手帳(知的障害) 1,734人
精神障害者保健福祉手帳 1,397人
◆明石市の概況:
明石のあけぼのは原始時代、有名な「明石象」や「明石原人」などの化石発見による。現在は、阪神間都市圏・播磨臨海地域として企業進出や住宅開発が進み、海を隔てて淡路・四国を結ぶ海陸交通の拠点として発展している。明治19年、勅令による日本標準時が定められ「子午線のまち」として全国的に有名になり、東経135度線上に建てられた「天文科学館」は明石のシンボルとして愛されている。毎年6月10日の「時の記念日」には明石公園を中心にイベントを開催。海水浴場も多く「明石海峡大橋」を眼前に臨む風光明媚な街として、いつまでも住み続けたい「海峡交流都市・明石」を目指している。平成14年特例市となる。
◆問い合わせ先:
明石市福祉部障害福祉課
〒673―8686 明石市中崎1―5―1
TEL 078―918―1344(直) FAX 078―918―5133
http://www.city.akashi.lg.jp/

▼明石焼き(玉子焼き)と明石鯛の街

関西の大型スーパーのレストラン部門には、必ずと言ってよいほど粉物(お好み焼きやたこ焼き)の店があります。その中でも、明石焼きという地名の入った商品があるのをご存じでしょうか。

今日、訪問した街は、この明石焼きの出身地です。明石は、この明石焼きの中で存在を主張する明石ダコが獲れることでも有名です。もちろん、流れの速い明石の海で引き締まるのはタコだけではなく、明石鯛も有名です。

本日は37歳で市長に就任し、現在2期目の北口寛人市長にインタビューしました。

▼不幸な事故からの回復と街づくり―明石市では、2001年に2つの不幸な事故が発生しました。7月に生じた明石花火大会歩道橋事故と12月の大蔵海岸陥没事故です。当時、県議会議員だった北口市長が市長に立候補したのは、この事故から地域が回復しようとしていた2003年でした。

私は、市長となる以前から障害のある人や社会的にマイノリティと言われる人と意欲的に関わってきました。議員だった父の影響もありましたが、両親の生き方を見てきて、市長に立候補し市民の皆さんの信任を得てその後の市長としての生き方に強い影響を与えたのは、2つの事故のご遺族との関わりでした。2つの事故で12人のご遺族がおられますが、個別にご遺族と関わるなかで命の重さについて考えるようになりました。私は、ご遺族や社会的に弱い者の立場に立って仕事をするために選ばれている、その思いを強めながら地域(まち)づくりを進めていく決意をしました。

▼この思いを届けよう―北口市長は市長に就任したばかりの頃、当時の障害福祉課長から「視力障害と聴力障害があり、言葉ももたないある女性が明石にいます。この女性と会ってほしい。会って、明石で暮らすために何が必要かを考えてほしい」と言われたそうですね。

はい、私は「その女性と会ってどうコミュニケーションをとるのか」と課長に不安を伝えたところ、「僕が、彼女の手に市長の言葉を書き伝えます」と答え、会うことになりました。私は、この女性とコミュニケーションできる職員が育っている明石市に「こんなスペシャリストが育っている。このような職員が育っている事実を大切にしたい」と市政に確信を持つようになりました。さらに「自分たち(行政)をオープンにしよう。できていないところはできていないと正直に市民に伝えよう」と考えるようになりました。

▼明石が暮らしやすい街になるために―市役所庁舎の2階には、大手コンビニチェーン「セブンイレブン明石市役所店」があります。先ほど私も立ち寄ってきました。昼時だったせいかとても賑わっていました。

セブンイレブン明石市役所店は、障害者雇用の場としてオープン(2007年)したものです。広さは、約78平方メートルで、扱っている商品では、職員の昼食メニューも考えた弁当、おにぎり、パン、カップ麺等が多くそろえられています。このコンビニの導入は、2006年の障害者自立支援法施行がきっかけでした。

当時の市議会で、応益負担に関する質問が生じた時、私は「障害者の就労支援を民間だけに任せてばかりでは進んでいかない。今こそ明石市(行政)が先頭に立って取り組んでいく姿勢を見せていかないと就労支援は進まない。そうした観点で新しい支援策を検討する」と答弁し、庁内の若手プロジェクトが発足しアイデアを出し合ったのです。全国に2万店あるセブンイレブンが各地で障害者を1人雇用すると2万人の障害者が雇用されます。私はそれを明石から全国に向けて発信したかったのです。現在4人が、時給770円で働いています。

また、市役所内作業を行う作業所「時のわらし」は、明石障がい者地域生活支援ネットワーク(通称・135Eネット―54の事業所、施設、学校、団体の連携)が運営し、現在11人が時給300円で働いています。「障害者キャリアアップ事業」はハローワークを通じて、市が非常勤職員として採用し、1日3~6時間、最長3年間という期限付きで現在11人が働いています。「時給は高いですね」と視察に来られた方からは言われるようです。

▼ライフサイクルを見通した支援の拡充を―21年4月に明石市立発達支援センターがオープンしました。そのきっかけをお話しいただけますか。

2004年2月に「明石市民と発達障がい児の親との対話フォーラム」が開催されて以降、毎年、「発達障がい児の問題を考える明石市民フォーラム」が、保護者、行政担当者、療育・教育・福祉関係者参加の市民フォーラムとして開催されてきました。第1回フォーラムの案内チラシには「市長さん、聞いて!―北口寛人明石市長と発達障害児の親との対話フォーラム」というタイトルがおどっています。

私は、約200人以上の保護者の方を前に、しかも何時間でも付き合いますと公言していましたので、さまざまなご意見をいただきました。大学の先生が間に入ってくれるフォーラムでしたので、市民にとって必要なことは何か。今、行わなければならないのは何かを考える貴重な機会になりました。そこではさまざまな事業が明石市独自に展開されずに、近隣の神戸市等に依存する状況があったことも、明らかになってきました。また、発達障がい児の保護者の切実な願いに対し、市が何をしなければならないのかも明確になってきました。「対話フォーラム」で明らかとなった多くの市民の要求が制度化されたものの一つが発達支援センターです。

発達支援センターは、「ふれあいプラザあかし西」の中にあります。健康づくりと市民福祉の拠点として、1Fには子育て支援センター、プレイルーム、交流サロン、子ども図書コーナー、喫茶店、2Fには知的障害児通園施設と児童デイサービス施設、そして発達支援センター、3Fには運動室、調理室、ボランティア活動室があり、広く市民の皆さんのふれあい交流施設として利用されています。

▼地域の暮らしを作り出す参画と協働―地域と市民の暮らしについて市長のお考えをお聞かせください。

明石市は高度経済成長の頃に人口が3倍ほどになり、その頃(約35年前)に、古くからの村社会と新たなコミュニティが融合されるなかで、コミュニティ宣言ができました。宣言は、文化・スポーツを中心として生涯学習の場としよう、もう一つは、地域を地域課題を解決する舞台としよう、つまり、今で言う地域を参画と協働の舞台としようとしたのですが、うまくいっていませんでした。そこで私なりに必死に考え、地域の再構築を行うために取り組んだのが、地域福祉計画でした。

この地域福祉計画には、地域住民が既存の組織にとらわれることなく自主的に参加し、子どもから高齢者、さらに障害者とさまざまな要求を出し合い、市民がコミュニティ(地域)にある地域課題を発見する取り組みを行ったのです。中学校区ごとの取り組みには、市役所のあらゆる職員が部局を問わずに地域の話し合いに参加しました。このなかで、コミセン(コミュニティ・センター)祭りが市内の各地で取り組まれ、「コミセンと言えば明石」と言われるほど、地域で支え合う生活を再構築する姿が追及されていきました。

▼障害者計画と重点プロジェクトをご紹介ください。

明石市の人口は、2010年9月1日現在で292,791人です。2010年度障害者福祉予算は、31億5,059万円です(一般会計に占める民生費約340億(約36%)のうちの約10分の1)。

明石市は、21年3月策定の「第3次障害者計画~障害者自立・共生プラン~」で、計画の基本理念に基づき「自己の能力を最大限に発揮し、自立した生活をめざすために~雇用・就労の充実~」「住み慣れた地域でいきいきと暮らすために~生活・支援の充実~」「健やかで活力ある生活を支えるために~保健・医療の充実~」「子どもの健やかな発達のために~療育・保育・教育の充実~」「ともに理解し合い、支え合うために~理解・情報・生きがいづくりの充実~」「すべての人にやさしいまちづくり~生活環境の充実~」の6つの基本目標を定め、その目標を追及する4つの重点プロジェクトを定めています。4つの重点プロジェクトの中でも特に「発達障害児(者)への支援体制の充実」と「就労支援の充実」に取り組んできました。

しかし、今後も4つのプロジェクトを推し進める明石市は、十分に豊かな財政状態にあるとは言えません。今後、増加する可能性が高い障害者福祉への要求を政策化するためには、国の予算措置はもちろんのことながら、明石市独自の努力も必要となります。このため、厳しい行政改革に取り組み、職員を2,900人から2,300人に減じました。また、事業を指定管理者に委託する際にも、質を落とさずに事業遂行を行うことを目指し、業者選定に時間をかけ厳しい審査を行っています。その上で、重点プロジェクトを進めているのです。

なかでも、社会福祉法人に運営委託し開設した障害者就労・生活支援センター「あくと」は、今後、明石市の障害者が地域での生活を保障される上で重要な役割を果たすでしょう。「あくと」とは行動することを意味し、(1)働くことについての思いや悩みを一緒に考える、(2)仕事と生活の両立ができるよう、自立に向けてサポートする、(3)働く事を通して、喜びを見出せるように、生きがい・やりがいを共に追求していく場と捉えています。


(インタビューを終えて)

住民の生活現実を住民の視点で捉える行政マンの存在が、そのコミュニティを発展させる大きな因子です。さらに、その行政マンと常に語り、行動を共にする当事者(地域住民)の存在も欠かすことができない因子です。明石では、この2つが育ちつつあることを実感しました。