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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年12月号

新法づくりに向けた提言
新たな希望へ
―自立支援法、それ以前とそれ以降

相原正義

私たちを取り巻く社会と歴史

1960年以降、欧米では精神障害者を精神病院へ長期収容することは精神疾患からの回復を妨げ、市民としての権利を侵害することになるという反省から、精神病院を縮小あるいは廃止し、地域の中でのリハビリテーションや福祉の社会資源を開発する脱入院化の施策に向けて舵(かじ)が取られた。しかし、保護収容施設から地域ケアへ、という世界の大きなノーマライゼーションへの転回に乗らなかったわが国は、逆にその頃から、保護と収容を強化する大規模な私立病院がお金目当てに乱立され、今に至るまで精神障害者問題の大きな根源になっている。

1987年に精神衛生法が精神保健法へ改正され、任意入院制度ができ、やっと精神障害者の人権擁護と社会復帰が謳われることになったが、精神病床は一向に減ることはなく、保護と収容体制は変わらず、人権侵害事件は続いた。95年に精神保健法が精神保健福祉法へ改正された際、初めて「福祉」の観点が導入され、「自立と社会参加」が謳われるが、病床は減らず、地域福祉も進展しなかった。このような歴史に追い打ちをかけ、2003年には医療観察法が制定され、「触法精神障害者」と称される人を収容する新しい施設ができただけだった。

大きく歴史を振り返ると、日本では国際的な圧力から一般的なスローガンを掲げる法が作られても、精神障害者が本当に地域で安穏に暮らしていける福祉を本格的に実施する制度や、それを裏打ちする財源が整えられたことはまだ一度もなかったのである。

国の精神保健費の95%は、入院施設のある大規模な精神病院の整備に充てられている実情は、わが国の精神障害者福祉施策の貧困を単純に表してあまりある。建前の法的な理念のわずかな前進の裏で、保護と収容体制はいまだに変わっていない(強制入院、それも無期限の拘置に近い社会的入院と保安的入院、保護室への監置、死に至る副作用の伴う精神薬の投与や電気ショックなど同意のない強制的医療は、何ら改善されていない)。

そこに、2005年に障害者自立支援法が制定された。この法には「福祉」の側面が全く欠けている。明らかな後退だ。目的は端的に、障害者も働いて税を納められる勤労者を目指すべく就労に向けて訓練を課すことである。内容は、訓練経費の1割を「利用料」として障害者が納めて訓練を受けるピラミッド状の施設体系の制度化である。

自立支援法登場の背景には、世界的不況や各国の財政悪化を打開するために、国民を手厚く保護する経費のかかる福祉国家から、国の負担を減らし、資本の自由な拡張を目指す新自由主義へ移行する世界的な資本主義の趨勢(すうせい)がある。それ故、自立支援法の成立も、社会的・時代的には、構造改革の掛け声のもと、国の負担を減らすための「郵政改革」などのさまざまな「民営化」や外為法の「自由化」などと同じ背景から、とらえる必要がある。

つまり、税金納入や利用料に関わる国の財政、お金勘定の問題だけで作られた制度で、肝心な障害者の福祉、人権、地域生活、精神障害者固有の一般就労の困難さなど、本来の問題が欠けた欠陥法なのである。

未来の希望=新しい福祉

以上が自立支援法後とそれ以前である。さて、今後、障害者権利条約が完全に批准され、自立支援法が廃止になるなら、私たちは、何を未来に希望できるか、である。

前提となるのは、資本の新自由主義的傾向に対抗して、新しい「福祉」理念を再構築することである。障害者や高齢者、外国人、学生、寡婦あるいはホームレスなど社会の周辺的な人々へ福祉や支援を施すことは、無駄なサービスやお金を浪費するだけで、社会の役に立たずに面倒な恩恵をかけるだけだという「無駄な投資」という狭量な考え方を卒業し、私たちへの給付・援助は、今まで市場や社会の影で活躍し切れていなかった人々の活動を支援することであり、その結果、社会の中に新たな多様な潜在性が開花し、地域が活性化し、市場も賑わい、給付額以上の経済の見返りも私たちは社会に返せるかもしれない。今まで見向かれなかった周辺を、無駄で邪魔とみなされず、社会全体の可能性のために社会に組み込むことが、真の共生、ノーマライゼーション、つまり「新しい福祉」の第一歩である。

たとえば、施設を一般就労への訓練の一段階を担う機能からだけでなく、まずは、孤立した困った人たちが安息のために寄り集まれる居場所としても機能しうる地域コミュニティーの拠点・核と考え、精神障害者だけではなく、だれでも一時的に逃げ込めるアジール(避難場所)を、各地域のどこにでも作り上げ、そこでの安心を社会活動に必要なこととみなし、そのネットワークを人のつながりを介してどんどん広げていくこと。どんな人も潜在性とみなすので、排除することはない。

そこは、今の精神病院の強制的な入院施設に代わって、精神的に困った人が自由に滞在して、自由に出て行って羽ばたけるショートステイの場となりうる。経費は、たとえば地域貨幣やバウチャー制度の導入で、困った人が人並みの最低限の生活に必要な生活手段となる財やサービスや支援(ナショナル・ミニマム。これはヘルパーや医療サービス、薬、交通費、医療費、住居費など生計手段すべてを含む)を何でも購入できる汎用チケットを無償で配ることなどは、どうだろうか? ベーシック・インカム(生活必要費無償給付、最低年金制度)は、身近な場から試みることで、実現かもしれないのである。

(あいはらまさよし NPO法人精神障害者回復者クラブすみれ会事務局)