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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年2月号

時代を読む16

近江学園と糸賀一雄の思想、そして引き継がれた実践

1946(昭和21)年、糸賀一雄は同志の池田太郎、田村一二と共に、知的障がい児と戦災浮浪児を保護・教育するための「近江学園」を設立した。終戦直後の混乱期で制度・施策もない中、子どもたちの生命と生活の保障、情緒の安定と教育の提供を行うものとして立ち上げられた。

そして、その近江学園の福祉と教育の実践の中から「この子らを世の光に」の考えが打ち出された。どんなに障がいが重かろうと、人は主体的かつ社会的存在である。そしてその一人ひとりのかけがえのない個性に教育的・人間的愛を持って向き合えば、だれしも発達し成長する。

つまり、この自己実現と共感の関係こそが「世の光」であると説いたのである。これは、それまでの憐れみや同情をベースにした福祉観を打ち破る画期的な考え方であった。

1981(昭和56)年、この糸賀の思想と、池田の「街や村で 仕事・役割を持って暮らす」、田村の「水平に、補い合って、共に暮らす」という教えを元に、私たちはその近江学園の膝元で「なんてん共働サービス」を始めた。糸賀思想実現に向けた手法であったはずの「専門的な治療や教育」が目的と化し、限られた空間、時間、関係の中での「特別な」生活に陥りかけていた施設に、自らの限界を感じたからである。

30年に及ぶこの「地域の中で、普通に、共に」という実践は、現在10の場に拡(ひろ)がり、障がいのある人たちがごく自然に、地域の中で働き暮らしている。また糸賀が晩年に教えた「障がいのある人とそうでない人が、支え合って生きていく社会づくり」に向かっても、地域の人たちや行政、また、近江学園を源流として生まれた各施設とも連携し、協働の取り組みを続けている。

(溝口弘 (株)なんてん共働サービス取締役会長)