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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年2月号

命の倫理

長尾義明

私はALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者です。現在63歳になり在宅療養中です。ALSは発見から140年になりますが、原因も治療方法も分かりません。分かっているのは、運動神経が侵され手足はもちろん、言葉も失します。この文章もわずかに動く足の指にセンサーを付けて書きました。

私は絵も描いています。告知から20年、人工呼吸器装着から17年になります。長かったような気もしますが、過酷な病気であったことにはウンザリします。1日も早い治療法の開発に期待します。

気のせいか最近、尊厳死や安楽死をよく耳にします。カナダでは、20年前から尊厳死が実行されているようです。人間の命とはそんな簡単に粗末にしてもいいものでしょうか。私には納得いきませんが、外国では常識のように行われていると言います。日本ではなぜ認められないのだろうと、疑問を投げかけられたこともあります。

今、脳死移植の問題が大きく報道されています。脳死が人の死かどうか、今も議論が続いています。移植を増やすことだけを考えているような医療のあり方はおかしいのではないでしょうか。私の考え方が古いかもしれませんが、移植患者が尊厳死や安楽死を待っているかのようにさえみえます。

先日、テレビで妊婦のインタビューを見ました。検査で胎児に障害があると分かると人工中絶をする人が多いそうです。ある人は中絶をして5年になるが、名前を付けて小さな仏壇に毎朝念仏を唱えていました。中絶をした人は障害があっても、子どもの手足となって生んでいたらよかったと後悔しているのです。

親として一人の人間の命を判断してもいいのだろうか。疑問に思えてなりません。人間に近いサルでさえ、死んだ子どもを何日も抱いて走り回っています。

私も建築関係の仕事がら、危険な目に幾度もあって来ました。知人が体育館の最上階から落ちてコンクリートに叩きつけられた時、みんなに作業服を脱げとどなりとばし、血まみれの友の上に掛けて隠してやりましたが、救急車は命絶えていたので乗せてくれませんでした。

また、遊園地の観覧車の一番高い所で溶接をしていた職人が、私が名前を呼んだばかりに落下して即死したことも、目の前で見てきました。死ぬとはこんなものかと痛感しました。死とは背中合わせの毎日で、いつも必死で仕事をしていたから、それだけに「命の重さ」を肌で感じていました。

私も3回、痰を詰まらせ呼吸停止したことがあります。停止するまではっきり覚えています。痰を鳴らしながら、工事現場で何人も亡くなったのに比べれば、ベッドの上で死ねるのは、まだ幸せ者だとも思いながら意識を失くしました。

また、こんな命の弔い方もあります。淡路に叔母さんが居(い)た頃、叔母のだんなが亡くなって夜とぎの夜「明日の出棺は何時ですか」と聞いたら、近所の人が2~3人寄って来て「人間が人間を焼くなんて、恐ろしいことはしない」と言いながら、それから1時間余り人の命の話をコンコンと聞かされたのです。人は天命であり、亡くなったら土の中に返すのが常識である、と。

翌日、裏山の急な斜面を、棺を担ぎながら登ると、そこには深さ2メートル位の穴が掘ってありました。先日、村の人が掘ったらしく、白い布を棺に巻いたまま穴の中に納めて、身内から順に掘ってある土をスコップで埋めていくのです。私は何だか不気味な気持ちになり、スコップで2~3回土をかけてやめましたが、2~3年は考え深いものがありました。今は、こんな弔い方もあるのだと納得しています。

人にはさまざまな命のとらえ方がありますが、私の場合は、孫の存在が大きかった。幼い孫に「僕の運動会見に来てよ」と言われ、胸を打たれ、私のできることはないかと思い始めました。それから近畿ブロックの総会に行き、徳島県にも支部がいると思い、支部設立を達成したのです。

人間、どんなことに直面しても夢は捨ててはだめです。無限の絆を大切に互いに頑張りましょう。

(ながおよしあき 日本ALS協会会長)