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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年2月号

1000字提言

路上決行―ある決断

浅海奈津美

「警察調書とるみたいなもん聞くな!」それまでニコニコしていたササキさん(男性・70代前半)の顔つきが一瞬にして変わった。生活保護受給者を対象にした、とある居住施設での出来事である。ササキさんに冷水を浴びせられたのは、「仕事はおいくつ位まで?」と問うた、新米ケアマネジャー、アサミ。

その数か月前、簡易旅館(3畳程度の和室、風呂台所トイレは共同、一泊2000円前後)で生活保護を受けながら暮らしていたササキさんは、体調を崩し地域の病院に緊急入院。その後、健康維持には見守りが必要という主治医の進言もあって、生活援助職員が常駐し食事も提供される居住施設に入所していた。

山谷で暮らす人たちに過去は問わないのが不問律、と読んだ覚えもある自分の失敗にアサミは気落ちし、ササキさんに会いにいくのも恐々の日々が続いた。

ササキさん自身も悩んでいた。この施設は個室もあるし外出も自由だ。温かい食事が出るし健康状態も落ち着いた。ただその分、毎月一定の費用がかかる。生活費を切り詰め月1回健康ランドに通うという楽しみ方はここでは無理だ。共同生活の窮屈さもある。元の生活に戻りたい。でも自分ひとりで部屋を見つける自信はない。ひとまず先送りにしようか…。

施設職員、生保担当ケースワーカー、主治医、ケアマネ等々の間でも、公式、非公式に、幾度も話し合いがもたれた。もちろんご本人を交えても。何が援助で何が大きなお世話なのか。部屋を探すこともできないのに、独(ひと)り暮らしに戻って食事や服薬の自己管理はできるのだろうか。介護保険サービスを拒絶し、体調を崩して“元の木阿弥”にならないだろうか。そうなった場合に独り暮らしを認めた責任をだれが負うのだろか。本人の望みということですべてを片付けてよいのだろうか…。結論はでなかった。出さなかったというべきか。

そんな中、ある日ササキさんは施設を飛び出し路上生活を始めた。そして紆余曲折の後、“美事(みごと)”に、とある簡易旅館に住まいを得た。相変わらず自分のことは今の暮らしについても語りたがらないが、引き続きアサミを担当ケアマネとして遇してくれている。最もそれは、下ネタが楽しいヘルパーや本当は毎日行きたいデイサービス、片目をつぶり見守ってくれている医療看護の担当者、辛抱強いケースワーカー、大らかな宿の管理人等々の関わりがあってこそではあるが。

自分なりの、少々無茶なやり方で、意思を貫き獲得した独居生活を、破綻させぬよう精一杯頑張っているササキさんに会うことが、いつの間にか楽しみになった。

(あさみなつみ ヘルパーステーションふるさと)