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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年2月号

1000字提言

孤独すぎる母親を作らないために

尾濱由里子

テレビを付けると毎日のように流れてくる児童虐待のニュース。「あ~、観(み)なけりゃよかった」と泣きながら後悔。大好きなパパやママに愛されたくて褒められたくて、頑張っていい子にしていようとする子どもたちのいじらしさ、どんな親でも許してしまう子どもたちの優しさがニュースの行間から染み出てきて、どうしようもなく辛くなってしまいます。

反面、社会から孤立して子育てに疲れ苛立ち、自分を見失った親たちの姿も浮かび上がってきます。私も5年前、初めての出産で不安が募り、自身の視覚障害というジレンマと格闘しながらの子育てで、産後1~2か月は、今思えば抑うつ状態だったと思います。仕事に追われながらも社会と繋がっていることで生き生きと過ごしていた日々から一転、小さな娘と2人きりで過ごす時間が圧倒的に多くなり、ちょっとしたことで苛苛(いらいら)したり泣いてしまったり、そんな弱い自分を認めたくなくてだめな母親だと思われたくなくて、だれにも相談できず鬱々(うつうつ)と過ごしていました。夜中に何度も授乳することで睡眠不足になり、産後1か月は外出できないために気分転換もままならず、夫の帰宅が少しでも遅いと頭にきて八つ当たりしたこともありました。幸いにも私は夫やヘルパーさんの協力、助産師さんの定期的な訪問などによって、孤独すぎる母親にはなりませんでしたが、私だって虐待してしまう可能性が全くなかったとは言い切れません。特に障害のある親は、他の親たちと同じように器用に子育てができないという葛藤に苛まれ落ち込むことが多くなりがちです。

私は障害のある親同士で話を聞きあうコミュニティを持っていますが、そこで思うのは、だめな母親なんて一人もいないということです。障害のあるなしにかかわらず、子育ては人それぞれ。だれかと比べる必要なんてないんだと、いつも気づかされます。

孤独すぎる母親を作らないために、まずは親である自分自身を認めて、子どもという素晴らしい命を育てられることを誇りに思ってほしい。そして困った時、不安な時、どんなことでもだれかに相談さえできれば、子育てがもっと楽に楽しくなるでしょう。

だれかに「助けて」と言うのはすごく勇気がいることです。でも周囲が母親の大変さを理解して、自分の経験や常識と呼ばれることを押し付けず、親子の存在を温かく受け入れてあげれば、母親からのどんな小さなSOSでも見逃さずキャッチできるはず。こう書くとなんだか難しそうですが、挨拶を交わすこと、笑顔を交わすこと、そんなことから安心や信頼は生まれてくるのだと思います。

笑顔の子どもたちを笑顔の大人たちが見守る、そんな温かい社会を作っていきたいと思っています。

(おはまゆりこ 障碍者自立生活センター・スクラム、障碍者生活支援センター・いきいき)