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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年4月号

1000字提言

知的好奇心の塊

福永秀敏

1998年に35歳で亡くなった轟木敏秀君の遺言の一つが、「遺灰を霧島の山頂に撒(ま)いてほしい」というものだった。筋ジストロフィーという病気のために、山の麓(ふもと)に生まれながら一度も登れなかった山への思いを、死んでからでも遂げたかったのだろう。

そこで彼を物心両面(特にパソコンの入力装置)で支えてきた仲間たちが、新燃岳(しんもえだけ)頂上のミヤマキリシマ*で縁取られた窪地に遺灰を納め、毎年追悼登山を行ってきた。ところが昨年から、新燃岳周辺では火山性地震が頻発するようになり、途中の中岳までしか登れなくなっていた。そして今年の1月下旬からの、あの爆発的大噴火へと続くのである。

このところ一緒に登る機会も減ったこともあって、私が東京に出張した折に、「敏秀君を偲ぶ会」をやろうということになった。発起人の岡本さん(前筑波技術大学教授)が、知り合いの店を予約してくれた。雨の中を辿りつくと、関根さんはすでに着いていた。テーブルの脇には一本杖が置かれており、股関節の手術を終えたばかりだという。「来週には障害者手帳4級が手に入ります」と、関根さんらしく快活に宣言した。それもそのはず、関根さんが12年前に起業したベンチャー(ユーディット)では、障害度の高い社員ほど発言力が高い変わった会社である。

しばらくして戸島さん、小澤さん、最後に岡本さんが到着した。戸島さんは月刊アスキーを発行していた会社に10年以上勤めた後(この時に敏秀君とのつながりができた)、女優として活躍している。また小澤さんは、あの有名な意思伝達装置の「伝の心」や「心語り」の開発者で、現在はその普及に全国を飛び回っている。皆が集まったところで、岡本さんがパソコンで、当時NHKで放映された畠山さん(早稲田大学教授)の「わが分身」というドキュメンタリーを見せてくれた。昔懐かしい「Todorokiミラー(ベッド脇に据え付けられた鏡を制御装置で動かして、かねて見ることのできない食事などを見るしかけ)」も出てきたが、商品化には失敗したものの、大学の授業でこの番組を使うと非常に好評だという。

敏秀君は私の目から見ると結構わがままに思えたが、その魅力を聞くと「彼は好奇心の塊でね。普通の患者さんは装置を工夫してあげると、ただありがとうの感謝の言葉が返ってくるだけ。ところが彼はこうしてほしいとか、次々に注文をつけるんだよ。彼の知的好奇心が、自分たちに学ぶ機会や改善の糸口を与えてくれたんだ」

敏秀君の死後12年も経っているというのにこのような会が開けるのも、敏秀君の魅力と「障害」というものの結ぶ縁ということだろう。

(ふくながひでとし 国立病院機構南九州病院院長)


*九州の高山に自生する常緑低木。5、6月にかけてピンク色の可憐な花を咲かせる。当院のシンボルマークでもある。