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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年4月号

ワールドナウ

ハンセン病回復者・家族の自立支援
―インド、ゴパール氏の取り組みへの支援

十八公宏衣

自立の定義とは何でしょうか?ハンセン病分野では近頃、尊厳ある自立という言葉をよく使います。後述するインドのゴパール氏の活動理念は、「回復者自身が人としての尊厳と権利を自覚し、自分の力で人生を切り開けるように支援する」ですが、そのような状態が尊厳ある自立であると、私は理解します。偏見と差別により、慈善の対象としか見られなかったハンセン病患者・回復者・家族の自立を表す時、これほどぴったりくる表現はないと思います。

笹川記念保健協力財団(SMHF)は、「世界からハンセン病を根絶する」ことを目標に、1974年に設立されました。以来、世界のハンセン病対策には目を見張る進展があり、それとともにSMHFが実施する支援内容も大きく方向を変えてきました。

長い間、治療法がなかったハンセン病は重篤な障がいに進行したことから、偏見・差別の原型とも言われてきました。1981年に現在の治療法である多剤併用療法(MDT)が開発されると、ハンセン病は障がいを遺(のこ)すことなく治癒するようになりました。これは、1991年の第44回世界保健総会決議「公衆衛生上の問題としてのハンセン病制圧(2000年末までに患者数を人口1万人当たり1人以下とする)」につながり、その後のWHOによるMDT無償配布と相まり、世界の患者数は劇的に減少していきました。

その一方で、治癒しても社会の偏見と差別は変わらず、以前の生活に戻れない回復者の現実に対し、回復者リーダーの間から強い抗議の声が上がりました。これは、1994年のアイディア・インターナショナル(IDEA:共生・尊厳・経済自立のための国際ネットワーク)の立ち上げにつながり、回復者の尊厳ある自立に向けた大きな潮流を起こしていきました。

ハンセン病対策は、しばしばバイクの両輪に例えられます。前後の車輪のバランスが悪いとバイクがうまく進まないように、ハンセン病問題も医療面と社会面の対策がバランスよく実施されないと解決されないと考えています。IDEAの立ち上げ以降、SMHFはそれまでのWHOや各国保健省を通じた医療中心の支援から、社会面での対策を強化するため、当事者組織などNGOsを通じた回復者・家族の自立支援へと事業内容を転換していきました。

自立支援の一環としてSMHFが最初に手掛け現在まで継続しているのが、インド南部タミール・ナドゥ州に事務所を置く当事者組織、IDEAインドの会長であるゴパール氏の一連の活動に対する支援です。彼の活動理念である「回復者自身が人としての尊厳と権利を自覚し、自分の力で人生を切り開けるように支援する」は、その後のSMHFのすべての回復者自立支援の根幹をなしています。

ゴパール氏は社会学博士号を持つソーシャルワーカーで、ハンセン病回復者です。1994年のIDEA立ち上げの中心メンバーの一人でもあります。1997年、彼はそれまで25年間働いてきたミッション系ハンセン病院を辞し、回復者の尊厳ある自立を実現するための仕事に専念するため、IDEAインドを立ち上げたと聞いています。SMHFは彼の活動理念に賛同し、1998年から今日まで13年間、継続して彼の活動を支援しています。

インドには世界のハンセン病患者の半数以上が住んでおり、1985年から現在までに約1,200万人がハンセン病から治癒したと言われています。回復者の家族も偏見・差別の対象になるので、インドには何千万ものハンセン病に伴う困難を抱える人がいることになります。

現在、急速な経済発展を続けるインドですが、貧富の差は大きく、首都でも多くの物乞いを見かけます。ハンセン病回復者は物乞いの中でも最下位、不可触民以下と言われています。このようなインドですから、ハンセン病を活動の中心とするNGOは300以上あるそうです。しかし、そのほとんどが病気の治療、障がいのケア、貧困者への保護が中心です。ですから、ゴパール氏の活動は最初、異端児的と見られていたと思います。

SMHFが支援してきたゴパール氏の主要な活動は、1.エンパワーメントワークショップ開催、2.収入創出と教育支援、3.回復者ネットワークの3分野です。中でも、彼が最も重要と位置付けたのがエンパワーメントワークショップです。

ゴパール氏の実施するエンパワーメントワークショップには回復者以外に、NGO、医療従事者、行政官らが出席し、参加総数40~50人、2日間ほどのプログラムです。回復者は自分の言葉で自分の人生を語ります。一方、他の参加者は、ハンセン病に関する正しい情報や回復者の権利、受けられるサービスなどについて説明します。そして、回復者とその他の参加者間の質疑応答があります。このような表現は差別的かもしれませんが、正装の政府お役人とボロをまとった回復者が対等に質疑応答し、一緒にお茶を飲み食事をする様子を想像してみてください。慈善事業では似たような光景があるかもしれませんが、対等な立場で質疑応答することはまずないと思います。

ワークショップが進行するにつれ回復者の表情がすっかり変わり、生き生きとしてきたことに驚いた記憶があります。エンパワーメントワークショップは、彼が同時に進めている収入創出と教育支援には不可欠のものです。

インドの回復者の多くが物乞いをしています。インドでは物乞いはごく当たり前のことで、楽に高収入を得る方法だそうですから、そう簡単にやめることはありません。1998年以降多くの回復者が物乞いをやめ、ゴパール氏の収入創出プログラムに参加し、テーラーやリキシャなどを始めています。エンパワーメントワークショップを通じて、人としての尊厳と権利を自覚しなければできなかったと思っています。

教育支援の拡大も同様です。障がいをもつ回復者をその子どもが支えられるように、教育支援は回復者の子弟も対象としていますが、インドでは親も一部負担する決まりです。これは、自分の人生を自分が決めるという自覚を持ってもらいたいという、ゴパール氏の考えによるものです。以前ならば、子どもにも物乞いをさせていた親が、貧しい中、自分で稼いだお金を出して子どもの教育に熱心になれたのも、エンパワーメントワークショップなくしてはあり得なかったことだと思います。

SMHFが支援したゴパール氏のもう一つの重要な仕事は、ハンセン病コロニー調査とその全国ネットワークの立ち上げです。さまざまな理由から、病気になる前に住んでいた場所に戻れない回復者が集団で住む場所がハンセン病コロニーと呼ばれ、世界中の国々に見られますが、いずれの国でも偏見・差別の象徴となっています。インドのコロニーには約5~6万人の回復者が住み、回復者総数から見ると極めて少ない数です。しかし、コロニーが社会に及ぼす影響を考える時、コロニー生活者の尊厳ある自立には大きな意味があります。

ゴパール氏は2005年に全国コロニー調査を実施し、700か所を超える存在を明らかにしました。この調査結果に基づき、2005年12月に全国コロニー代表者会議を開催し、その席上でコロニーの全国ネットワーク、ナショナル・フォーラムを立ち上げました。ナショナル・フォーラムは毎年1回会議を開催し、コロニーの状況をフォローしています。その大きな成果の一つは、回復者とNGOの連盟でコロニーの現状を上院請願委員会に提出し、2010年11月に同委員会により報告書が提出されたことです。報告書には、回復者への年金支給、定期的な無償医療サービスの提供、障がいをもつ回復者に対する交通費の免除など、尊厳ある自立実現への大きな足掛かりを作りました。

ゴパール氏の過去13年にわたる努力の結果、インドの回復者と政府やNGOとの関係は支援者と受益者という関係から、同等のパートナーの関係に変化しつつあります。この関係はまだハンセン病関連のパートナーが主ですが、今後は、障がい者団体など他分野のグループとの連携に拡大していくことが求められています。また、一般コミュニティーに住むニーズのある回復者にどのようにアプローチしていくかも、今後の大きな課題です。そして、それをするのは、回復者自身であると考えています。

(そやぎみひろえ 財団法人笹川記念保健協力財団)