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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年6月号

わがまちの障害福祉計画 京都府長岡京市

長岡京市長 小田豊氏に聞く
一点の素心:人として豊かに暮らしたい、自然・歴史・文化…そして福祉

聞き手:加納恵子
(関西大学社会学部教授)


京都府長岡京市基礎データ

◆面積:19.18平方キロメートル
◆人口:79,967人(平成23年5月1日現在)
◆障害者の状況:(平成23年3月31日現在)
身体障害者手帳所持者 4,224人
療育手帳所持者 539人
精神保健福祉手帳所持者 555人
◆長岡京市の概況:
京都盆地の西南部に位置し、東西約6.5キロメートル、南北約4.3キロメートルで、東西に長い長方形をなしています。交通は東部と中央部に鉄道が通っており、京都市や大阪方面への移動の利便性が高く、市民の生活圏や行動圏が広がっています。また、市民活動が活発で、現在、市民活動サポートセンターに登録している団体は108団体にのぼります。また、隣接する向日市、大山崎町の乙訓2市1町は歴史的にもつながりが強く、行政サービスの面で連携が図られているほか、周辺の地域も含めた広域的な取り組みで、旧街道の歴史的な町並みなどの地域資源を活用し、魅力の向上を図る取り組みを続けています。
◆問い合わせ先:
長岡京市健康福祉部障がい福祉課
〒617―8501 京都府長岡京市開田1―1―1
TEL 075―955―9549
FAX 075―952―0001

▼長岡京市は、京都と大阪の二大都市を結ぶ軸の中間地点。交通機関は阪急、JRそして新幹線が縦走し、道路も名神高速と国道171号線が通る交通の要衝です。私も、朝の通勤時に車窓から長岡京市の四季折々の景色を楽しませていただいておりますが、まず長岡京市の地域特性や魅力からお聞かせください。

長岡京市は、昭和30年代後半から急激な人口流入が進み、わずか10年間で約2.5倍になるという増加をみせました。近年では、横ばいから微増となっています。働く市民のうち、市外への通勤者は半数以上となっていますが、市内でさまざまな産業に従事する市民も少なくありません。

また、生活の場として自主的なまちづくりグループの活動や、行政計画立案段階から市民の参画など市民活動が活発になってきており、市民と行政の役割分担のもとでパートナーシップができてきたと実感しています。特に、小学校区単位での地域コミュニティ協議会の活動も始まっています。人材も豊富であることに感謝しています。

市内には、南北に流れる小畑川沿いの平坦地に市街地、工業地、農地が広がり、その西側には美しい竹林が広がるなだらかな丘陵とその背後には京都西山が連なっています。また、特産のタケノコづくりは長い歴史があり府内外から高く評価され、竹関連の地場産業も盛んです。一方、東部と市街地内には早くから多数の工場が立地し、地域との協調に配慮しつつ生産活動を行っています。これらの工場は、付加価値の高い先端的電子機器や、電気・機械系企業が中心をなし、雇用や地域経済などの面で、本市を支えています。

JR長岡京駅は、駅舎の改築に合わせてバリアフリー化を推進し、駅前の再開発により総合生活支援センター、駅前保育施設、中央生涯学習センターをはじめとする各種公共施設や食料品を中心とする各種商業施設、さらに市営駐車場などの生活利便施設が整備され、「バンビオ」の愛称で親しまれています。自慢の「カフェ エポカ」は、駅前の一等地にあるバンビオ1番館に7年前に誕生しました。

▼実は、今日のランチに20食限定という「オムライス定食」をいただいたのですが、素材の良さに手作りならではの優しいお味で大満足でした。全面ガラス張りで明るく、駅前広場で遊ぶ子どもたちの姿も眺められて開放的な空間ですね。ホールのスタッフもとても丁寧な接客態度で、ほっこりさせてもらいました。

ここは、喫茶サービスをとおした障害者雇用・就労および実習の場で、業務の習得と生活自立を支援しています。常時、障がいのあるスタッフと、主婦や大学生のジョブサポーターが5、6人ずつおられて、メニューなどもみんなで何度も試作を重ねて決定するそうです。何より良心的な価格設定と誠実な接客で、地域のお客さんたちでにぎわう人気のお店にまで成長しました。

私は、委託先のNPO法人乙訓障害者事業協会(以下、協会)に「もっと儲けてください」と、ハッパをかけています。「エポカが1号店、神足ふれあい町家(旧石田家住宅)が2号店、これらを成功させて早く3号店を創りましょう!」と。

▼神足ふれあい町家は、西国街道沿いにあるものですね。エポカランチ後に立ち寄らせていただきました。ここは、協会が市の指定を受けて、貸室・喫茶・物産販売を障がいのある人とともに行っているところと伺いましたが、いやはや、「これぞ、地域福祉文化!」と、感銘を受けました。長岡京という地域が培ってきた歴史文化の街並みに、さりげなく福祉の息吹を吹き込んで、福祉臭くない福祉のまちづくりをしようという想いが伝わってきます。竹紙の栞がとても素敵だったので、つい購入してしまいました。

お買い上げありがとうございます(笑)。協会の理念でも謳っていますが、私たちが理想と考える地域社会は、就労の問題に限らず、また、障がいの有無にかかわらず、さまざまな生活問題を抱える人々が、その人の自助努力のほかに、住民同士の支え合いやボランティア・NPO、関係機関・団体などの支援、また行政や事業所による公的支援を得て、生きがいのある暮らしができる社会、即ち、セーフティーネットが機能する社会です。そのためには、暮らす場としての地域コミュニティーの文化特性に沿った支援のスタイルをみんなで創り出していきたいのです。

先日も「市長と語るまちかどトーク」と称して、出前ミーティングを行いました。「人権・文化・ノーマライゼーション」と唱えるのは簡単ですが、それらを言葉だけに終わらせず、「行政も市民も知恵を出し、汗を流して双方の力を合わせた成果」を積み上げていかないと進みません。もはや、「行政にお任せ」の時代は過ぎて、実のあるパートナーシップを築いていきましょうと話しました。

▼では、障害福祉施策の中で、実のある協働実践についてお聞かせ願います。

長岡京市には向日が丘支援学校という京都府内で初の支援学校があり、近年の「地域移行」政策を待つまでもなく、早くから地域とのつながりを重視した支援が展開されてきました。

本市と向日市、大山崎町の乙訓2市1町は、歴史的にもつながりが深く、旧街道の歴史的な街並み保存事業など広域連携を組んできましたが、障害福祉分野においても「乙訓福祉施設事務組合」として広域的なサービス展開をしてきました。こうした背景から、障害者自立支援法による「乙訓圏域障害者自立支援協議会(以下、協議会)」も共同で設立し、積極的に地域支援を展開しています。

この協議会は、障害福祉サービスの基盤整備と利用に関する総合調整機能を重視して運営されていますが、就労や住まい、ケアホームなど具体的な課題ごとに小部会を設け、地域の実態に合った課題解決を目指しています。

▼若竹苑にある協議会の事務局を訪問した時に、「医療的ケア部会」のエピソードや障害者相談支援ネットワーク事業として、圏域内の困難事例の検討や地域課題の解決への取り組みの話を伺いました。

たとえば、重度の心身障がい児・者の在宅復帰に際して、介護ヘルパーの医療的ケアの制限が、結局のところ家族の負担を大きくしているという現実がありますね。「医療的ケア部会」は、その難題に1年間かけて取り組み、保健・医療・福祉のネットワーク・システムを改善させることで一歩前進させました。

また、障害者自立支援法の施行当初から京都府と協調して、国の定める利用者負担額の独自軽減を実施してきました。サービス利用で自己負担が大きくなり過ぎないように配慮しています。

▼今後取り組んでいきたい障害者施策をお願いします。

JR長岡京駅前に続いて阪急長岡天神駅周辺のバリアフリー化が課題です。さらに、阪急新駅を拠点としたまちづくり事業にも着手し、にぎわいの創出や、安心安全・バリアフリー化を内蔵した未来へつなぐまちづくりを官民協働で推進していきます。

もう一つは、居場所づくりの第三弾として、元京都府立婦人会館をリニューアルして、もっと多機能多目的の複合施設に拡充したところです。ご覧いただいたエポカ、神足ふれあい町家に続いて「長岡京こらさ」と呼ばれている、多世代交流ふれあいセンターです。ここは敷地の広さを有効活用して、多世代、男女共同、高齢者クラブ、そして聴覚・言語障害者地域活動支援センターや医師会も呼びこんで、交流・活力・にぎわいの創出の第3の拠点を育てていこうというものです。

ありがたいのは市民活動サポートセンターに見られるように、市民のみなさんの人材が豊富で、多くの活動を生み出していただいているということです。また昨秋には、京都府立大学との連携協力包括協定を締結し、「長岡京市総合計画シンポジウム」を開催したところです。こうした官学連携事業は、本市のまちづくりにたくさんのヒントをいただき、新しい可能性を育てる事業であると考えています。


(インタビューを終えて)

誠実そのものの小田市長のプロフィールを拝見すると、ふれあい町家に出てきた神足小のご出身で生粋の長岡京人。深い郷土愛に根ざしたまちづくりへの熱意は十分に伝わってきたが、長岡京の自然・歴史・文化の延長線上に、福祉のまちづくりをさらりと置かれる福祉センスは、いったいどこで磨かれたのか興味がわいて、率直に尋ねてみた。「私は、元市職員で、市の役割は何かと考えた時に、単純にだれでも人として豊かに暮らしたい、平和で穏やかな暮らしがしたいと思うだろう、そうした暮らしの実現を手助けするのが市の役目と心得ただけです」と、いたってシンプル。市長の好きな言葉に「一点の素心」とあった、なるほど。