音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年6月号

知り隊おしえ隊

江の島探訪

後藤耕一

私は5年前に原付自転車で転倒し3番と4番の間の頚髄を損傷してしまった。外傷が少ないことから軽い転倒であったと思われるが、それにもかかわらず重症(事故当時意識不明、無呼吸状態)だったのは、以前から頸椎に後縦靭帯骨化症があったためで、軽い衝撃でも骨化した靭帯が頚髄に触れてしまったためらしい。

受傷後1年目に頸椎の手術をしたため、骨化症対策には有効であったものの、手足の不自由さはあまり改善されずに今日に至っている。歩行は杖だけで歩くのは難しく、歩行器でも休憩なしでは200メートル位しか歩けない。車いすの運転はある程度できるが所有していないので、旅先では車いすを借りることが多い。

さて、4月13日(水)の快晴の日に、8年ぶりに家内と共に車で江の島を訪れた。

午前9時半頃、自宅から車で新江の島水族館に向かった。水族館の小田原寄りの信号の所に有料の地下駐車場がある。駐車料金は障害者半額割引で2時間420円。ちなみに、ここ江の島では無料の駐車場はなくすべて有料だ。一番奥の障害者用スペースに車を止め、すぐ近くにあるエレベーターで1階に上ると、水族館まで50メートルの歩道脇に出た。入場券は同伴者共に半額の1人千円だ。そこで車いす(自走式ではない)を借りて入場した。50メートル以上、上ったり下ったりすると魚の展示場に出る。この傾斜だと自走式の車いすを漕ぐのはかなり大変で、危険防止のために自走式は置いていないのだと、合点した。

この水族館からの眺めは素晴らしい。左手に江の島が見え、右手には白雪を抱く富士山や箱根の双子山、さらに伊豆半島が霞(かす)んで見え、手前には茅ケ崎の烏帽子岩(えぼしいわ)が見えた。大島が春霞でよく見えなかったのは残念だった。

まず、イルカのショーをスタジアムで20分間見た後、10分後にペンギン水槽前で15分間のペンギンショーを見て、さらに、相模湾大水槽の中でのダイバーと魚たちのふれあいパフォーマンスショーを15分間見た。時間的に無駄がなくていい具合だ。

このショーの中で一番興味を惹かれたのは、相模湾大水槽の大型のエイの笑顔とイワシの大群だ。エイは腹を水槽にくっつけて細い眼を開けてニコッとする。愛嬌があってとても可愛いらしい。その他の魚たちもダイバーと口づけして戯れていた。水族館の中は多目的トイレが5か所もあり、障害者にとって問題はない。

昼過ぎに江の島へ渡った。ここでの観光コースは3つある。1つ目は江ノ島展望コースで、エスカーを使い江の島神社、サムエル・コッキング苑から江の島展望灯台を巡る。2つ目は江の島浪漫コースといい、江の島の裏側の岩屋を散策するコースだ。しかし、この2つのコースは急坂や石段が多く、私には無理なところなので、3つ目のハーバープロムナードコースを車で散策した。ここには4か所の駐車場があり、車いす用のトイレもある。正面の参道前を道なりに左折して100メートルの所に1番目の駐車場があり、ここには昭和39年の東京オリンピックを記念して造られた噴水がある。この周辺は北緑地という緑地帯となっていて車いすでの散歩には好適の所だ。

また、近くには大森貝塚の発見者として有名なエドワード・S・モースの記念碑もある。博士はこの江の島に東洋初の臨界実験所を開設し、1か月の滞在で多くの海洋生物の研究を残したと言われている。

2番目の駐車場は、さらに200メートル行った所のヨットハーバーにある。ここは東京オリンピックのヨット競技が行われた所で、今では1千隻のヨットが収容され、セーリングを楽しむ人々で賑わっている。

聖火台から少し行くとセンタープロムナードが現れる。左手がヨットハーバーで、先に進むと突きあたりにサザエ島がある。ここは平成10年の神奈川・ゆめ国体の時に整備されたが、江の島の名物サザエはここが魚場だったのだ。今は韓国あたりから輸入しているようだ。

3番目は150メートル先の灯台と防波堤のある駐車場だ。左に南緑地があり灯台まで防波堤は続く。若い頃はよくここへ来て、こませ釣りや投げ釣りを楽しんだものだ。道を戻った反対側に、神奈川女性センターがある。その2階のレストランでしらすどんぶりを食べた。しらす料理は江ノ島、腰越では定番でどこの店でも出すが、この辺りで一番有名な店は腰越のしらす屋だ。これから行く満福寺のすぐ近くにある。

このセンター2階に車いすトイレはあったが、計画停電中でクローズとなっていた。ここの駐車場は食事をとると無料になる。

江ノ島弁天橋を渡り右折し、100メートル先の信号、片瀬東浜をさらに右折し、400メートル直進すると小動の交差点に出る。そこを左折し、50メートル先の細い道を右折すると江ノ電の線路がある。そこを渡り、急坂を上るとそこが満福寺の境内だ。この寺は義経の腰越状で知られている。

1184年、源義経は後白河法皇から平氏追討の功績により左衛門少尉に任じられ検非違使となったが、これが兄頼朝の許可なく行われたことから、武家社会の確立を目指していた頼朝の逆鱗に触れた。義経は誤解を解こうとして腰越まで来たが会ってもらえず、ここ腰越の満福寺に逗留(とうりゅう)し、頼朝の信望が厚かった臣下の大江広元へ嘆願状を送った。これが腰越状で、「兄の心はどう変わろうとも、兄への屈従する気持ちは不変である」と切々と述べている。しかし兄の怒りを解くことができず、空しく京へと戻ったのである。寺には腰越状の下書きである木版画がある。

寺への入口は2段の階段、本堂へは4段の階段があり、トイレは洋式が1つある。入場料は200円で駐車スペースは5台余り可能で、本堂右手奥に洋式トイレが2つある。

満福寺を出て右折した左前方に、前述のしらす屋がある。4月から12月は、しらす漁で有名な腰越漁港で採れたしらすを料理して食べさせてくれるのがこの店だ。駐車場は10台、洋式トイレが2つあり、木曜日が定休日だ。

ここから江ノ電も走る道路を500メートル行き、龍口寺山門前の細い道を右折し100メートル道なりに上ると、左側に5~6台止められる駐車場が現れる。人があまり来ていないので、そこを通り越して境内に車を止めて参拝する。

ここ龍口寺は、1271年に日蓮上人が首切りの座に据えられた時、にわかに雷鳴が轟き、刑使の刀が感電して折れ処刑が中止となった。その後、上人は佐渡へ流刑され、命拾いをした寺として有名である。ここには残念ながら和式のみで洋式のトイレはない。

龍口寺を出て、藤沢方向へ50メートル程行ったところを右折した少し先に常立寺がある。この寺は、龍口寺の刑場で処刑された蒙古の使者5人を弔うためにできた寺である。1274年10月、蒙古王クビライは3万3千隻の船で対馬・壱岐を襲い、続いて博多湾に上陸した。日本軍はたちまち敗走したが、台風により蒙古船が難破し1万人余りの兵が水死したため、引き上げていった。そして翌1275年4月に蒙古は5人の使者を派遣し、日本に降伏を求めたが、時の執権北条時宗は、この5人の国使を9月7日龍の口の刑場で斬ってしまった。遺体はこの常立寺に埋葬されたが、これが元使5人塚と言われ、境内に五輪の塔と碑がある。

その6年後の5月に蒙古軍10万が軍船4400隻で来襲したが、再び台風に襲われ10万人が水死したため、北条時宗は国難を切り抜けることができた。この寺には10台の駐車場と洋式トイレが1つある。

最後に七里ガ浜まで足を延ばして、新田義貞が剣を投じた稲村ケ崎の古戦場に行ってみたが、トイレもなく車も渋滞するので、ここは障害者にはお勧めできない。

(ごとうこういち 藤沢市在住)


○片瀬江の島観光案内所
TEL 0466―24―4141
http://www.fujisawa-kanko.jp