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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年7月号

座談会
東日本大震災
~被災障害者の実態と新生への提言~

白石清春
被災地障がい者支援センターふくしま代表
NPO法人あいえるの会理事長
伊藤あづさ
みやぎ発達障害サポートネット
増田一世
やどかりの里常務理事
久松三二
全日本ろうあ連盟常任理事・事務局長
藤井克徳 司会
日本障害者協議会、本誌編集委員

3月11日午後2時46分、その時……

藤井 5月23日に開かれた第32回障がい者制度改革推進会議の席上で担当室より示されたのですが、東日本大震災の津波に接している沿岸自治体は37市町村。総人口は250万人で、障害者白書等で言う「障害者は国民の6%」に当てはめますと、およそ15万人の障害者が被災したことになります。しかし、今日(5月30日)現在、障害者の被災の実態はほとんど分かっていません。

また、警視庁の発表によれば、現在も11万人が避難所暮らしをしています。その6%としますと、障害者の数は6600人に及びますが、その実態もはっきりしていません。

さて、本日の座談会では、震災の現地の方を交えながら、被災障害者の実態と被害の本質を話していただき、今なお震災中の福島を意識しながら、避難所生活の改善に向けてすぐにでも打つべき手は何か、併せて復旧・復興で最低おさえておくべきことを論じていきたいと思います。

最初に、その時、つまり2011年3月11日午後2時46分、伊藤さん、白石さんはどうされていたのか、白石さんからお話しいただけますか。

●宮城、福島では

白石 私は郡山市の総合福祉センター3階の気功体操教室に来ていました。私の携帯のアラームが鳴ったので、何だ?と思いました。30秒ぐらいで揺れが収まるかと思っていたら、だんだん激しくなってグラグラ揺れて、部屋がミシミシと嫌な音をたてていました。これで最後かと思いました。激しい揺れが2~3分続いて止まったかと思ったら、今度は激しい余震が何回もきて、外に出ようとしても出られなくて、その部屋に20分ぐらいいました。

余震が収まってから、エレベーターは止まっていますので、ヘルパーさんに階段をかついでもらって、下まで降りました。後で電動車いすを運んでもらったのですが、まだ余震があり、外で30分ぐらい待って送迎の車で帰りました。

途中、倒壊した建物はありませんでしたが、屋根瓦が落ち、道路にブロック塀が崩れていました。あいえるの会で運営している生活介護のわーくILとあいえるの会の事務所に寄ったら、いずれも中のものが散乱して、足の踏み場もないものでした。家に帰ったのは、午後4時ぐらいでした。私の家はそれほど荷物の散らかりはありませんでした。

伊藤 私はまもなく16歳になる自閉症の子の母です。自閉症、発達障害の人たちが、あったらいいなと思うことを一つ一つかなえていくことを願って、7年ぐらい前にNPO法人を作り、昨年6月に、宮城県で第1号の認定NPO法人になりました。

3月1日から新しく就労移行支援事業所を始めていて、その日は3時に学生のインターンシップ受け入れのお返事をいただく約束があったので、2時35分ぐらいに事業所を出ました。仙台市青葉区の広瀬通りで、携帯の地震速報が鳴りました。最近、狼少年のようなことが多かったので、またかと思っていたら、ほどなく揺れ始めました。

息子は車に乗っているときはテレビをずっとつけているため、エンジンがかかるとテレビがつくように車を改造していますので、すぐに大きな地震だと知ることができました。街路樹がすごく大きく揺れ、道路もものすごくバウンドしました。周囲の大きなオフィスビルから人が出てきて、若い方たちはうずくまって泣いてしまう状況もたくさん見ました。

インターンシップの訪問先企業が、私たちの法人本部とたまたま近かったので、すぐ本部に向かいました。児童デイサービスをしていますが、幸いなことに、まだ学校が終わっていない時間でしたから、子どもたちはほとんど来ていませんでした。親御さんと来ていた子はすぐに帰し、すでに来ていた子は6~7人の職員が守りました。部屋は多少の荷物が落ちていた状況でした。

安全確認後に、余震の中を歩いて5~6分の会社に向かいました。ビルの階段に大きな亀裂が入り、4階にある会社の方は道路の向かい側に避難されていました。その後も余震が続き、私の予想以上に大きな被害があったと知りました。

一番悲しかったのは、もう雪が降らない季節なのに3時ぐらいから雪が降り出したことです。事の大きさを象徴している感じでつらかったです。私は企業さんにご挨拶後、車で10分ほどの事業所に戻ると、利用者さん3人とスタッフ5人は、全員避難した後でした。私どもの事業所は2つとも街中にあったので、大きな物損はありませんでした。

困ったのは、携帯電話が2時47分にはつながらなくなったことです。就労移行のスタッフは自分たちの判断で、利用者さん全員の身の安全を確認し、揺れがいったん収まった後に身支度をして、歩いて15~20分かかる法人本部へ移動していました。塩釜から来ていた1人は親御さんと電話がつながり、帰れない状況なので本部に置いてくださいと言われ、成人1人、児童デイにいた小学校2年生1人とスタッフ、理事長が一夜を明かしました。

私は、自宅に帰りました。息子は翌日が卒業式で、11日は午前授業でしたので、私の実の母であるおばあちゃんと2人で家にいました。家は電気が消えましたが、本が2冊落ちただけで大きな被害はありませんでした。

●東京、埼玉では

久松 私は、JDFの拡大代表者会議が開かれる虎ノ門の全国社会福祉協議会に行くために、ろうあ連盟の理事長と職員の3人で、地下鉄に乗っていました。また、次の日からはろうあ連盟の理事会を開催する予定で、全国から理事が集まり始めていました。

突然、地下鉄が止まりました。しばらくして、ゆっくりと左右に揺れ始めました。耳が聞こえる職員が一緒でしたが、彼女は体を硬直させて緊張していました。停電しなかったので、私も理事長もあまり緊張しませんでしたが、もし停電していたらパニックになったかもしれません。耳の聞こえる職員に車内アナウンスを手話通訳してもらい、現状を把握できましたが、長い揺れでした。

電車が近くの駅に動いて、銀座駅から地上に出ました。大きな建物から人がたくさん出てきており、そんなに大きな地震だったのかと話しました。虎ノ門まで歩いて、ロビーのテレビで津波の映像を見て、尋常ではないと思いました。字幕も手話もないので、職員が映像を手話通訳してくれました。

その後、藤井さんや日身連の森さんと会い、会議を中止にしました。それぞれの団体で対応し、JDFも何らかの取り組みをしようと確認して、神楽坂にある私どもの事務所まで3時間ぐらいかけて歩きました。道路には帰宅難民があふれていました。8階の事務所まで、エレベーターは止まっていたので階段で上がり、まず様子を確認しました。

岩手、宮城、福島に連絡を入れましたが、全く連絡が取れませんでした。連盟として中央本部を立ち上げることを決め、翌日に理事会を開催し、地震対策について協議を始めました。福島の原発事故を知り、報道を信用していいのかという問題も出て、東京も危ないのではないかと理事会を中止しましたが、それぞれの地元に帰るのが大変でした。

増田 私は、さいたま市で精神障害のある人たちを中心とした地域支援活動をしているやどかりの里の職員で、やどかり情報館という精神障害者福祉工場でやどかり出版という出版社を経営しています。

3月30日にJDFのみやぎ支援センターが開所しましたが、その開所準備に関わらせていただきました。また、5月の連休明けにも1週間ほど、みやぎ支援センターで活動しました。

3月11日は事業所におりましたが、生まれて初めて経験する大きな揺れだと感じました。やどかりの里には障害のある人が300人ぐらい登録されているので、単身生活者とグループホーム入居者の方を中心に職員が手分けして安否確認を始め、通所していた人たちの帰りの足を確保したりして、だいたい落ち着いたときは夜の8時を過ぎていました。

その間に、宮城から宿泊研修に来ている方たちのために情報を集めていると、テレビから尋常でない様子が分かってきて、宮城の方たちが泣き出しそうな顔をされていて、どう声をかけたらよいのか、言葉がありませんでした。私は、みんなが大体落ち着いた様子を見て、いつもは車で小1時間で帰れるのですが、渋滞がひどく、ラジオの震災関連ニュースを聴きつつ、3時間ぐらいかけて自宅まで戻りました。

藤井 私も久松さんと同じように、JDFの会議があるために新霞が関ビルにいました。いつもでしたら1時間ちょっとで家に帰れるのですが、東京は道路や電車のレールが無傷だったにもかかわらず、8時間かかりました。もし本当に道路やレールに亀裂が入っていたとしたらどうなるのか、恐ろしく感じました。大揺れの直後にテレビのスイッチを入れたのですが、釜石港や名取川の様子が中継されていましたが、ただ事ではないと思いました。私自身は全盲の状態にあり、今日はいろいろな障害の視点から話を進められればと思います。

障害のある人の被災の実態と被害の本質

●辛苦の避難所生活

藤井 障害をもった人たちの被災の実態と、特に自閉症や発達障害のある人たちにとっての被害の本質はどういうものだとお考えですか。

伊藤 自閉症、発達障害の場合は、予測のつかないことに弱いんです。知的な遅れのある自閉症の場合は比較的分かりやすいですし、特別支援学校や支援学級におりますので、最初からご家族は避難所に入らないという選択をかなりされていたと思います。一時避難で1泊2日、2泊3日を近隣の指定避難所に行った方はたくさんいます。ですが、今まで関わったこともない大勢の人の中で、いつ何が始まって、次はどんな展開かがまったく分からない状況での生活はとても困難でした。子どもたちはありのままの姿をしていたわけですが、家族はたくさんの人の目の中でわが子のややこしい行動に精神的な辛さを抱えて、避難所にはいられないと出た方が多かったと思います。

実は、16年前の阪神大震災、中越地震のときも同じことがメッセージされていたはずなんです。スペシャルニーズの人たちのための避難所設営、運営の観点のなかったことが、3.11で繰り返されてしまったというのが本心です。避難所にいないと物資が供給されないとか配給に預からない。ガソリンがないので郊外のお店に調達に行くこともできない。自閉症という障害は並ぶことに困難さを持っていますので、5~6時間もスーパーや商店の前で並んで、しかも1家族4つ5つと制限を受けた買い物をすることすらも、とても大変だったと思います。

知的の遅れを伴わない発達障害の場合は、目に見えて分かりにくいので、最初は避難所の中で埋もれて暮らしているのですが、1週間10日と過ぎてくると、それぞれのややこしさが表面に出てきて、「一体どういうしつけをしているの」、「あの子はなんだ」という言葉が出てきたという話もよく聞きました。また障害を告知していない場合が多いので、避難所という小さなコミュニティーに入ったとき、家族や子どもの立ち位置には非常な困難さが出てくると実感しました。

阪神大震災、中越地震の轍を踏めていなかったのが、自閉症、発達障害の親として一番感じたことです。二度とあってほしくはないけれど、これから先あるかもしれない大きな災害に向けてしっかりした仕組みを作っていくのが、私たちの役割かと思っています。今は避難所に自閉症、発達障害の方はほとんどおりませんが、ごく一部残っているご家族が非常に辛い気持ちであることは変わりません。これからは保護者の皆さんの支えをきちんとしていかないとと思います。

さらに、親御さんの行き場のない気持ちの被害に遭っている子どもが増えてきているという話が出始めています。家をなくした方たちは二重ローンとか、経済的な問題もあります。親のやりきれない思いを子どもたちにまともにぶつけてしまっていることがゼロではないと受け止めて、逆にこんなときだからこそ、わが子の特性、ややこしさをきちんと親御さんに伝えて、丁寧に理解していただく応援をしながら、わが子に負荷をかけたり、虐待をしない家族をつくっていかなければと思っています。

●生死を分けた情報アクセス

藤井 聴力障害者の場合は、情報保障という点でいくつも問題が発覚したと思いますが、聴力障害者の被災の実態、被害の本質をどう見ていますか。

久松 聞こえない立場で一番大きなテーマであり課題であるのは情報です。一つは私たちの情報アクセス、もう一つは聞こえない人たちだけではなく、みんなが共有できる正しい情報の発信です。

まず情報アクセスについてです。宮城では会員と会員でない人で、亡くなった方が14人いることが分かっています。一方で、ろうあ団体の活動をサポートしている手話通訳の方々で、被害を受けた方はたくさんいましたが、亡くなられた方はゼロです。単純に比較するのは正確性に欠けるかもしれませんが、情報にアクセスできないで津波等の避難に遅れたために、14人が亡くなられたという事実は大きな問題だと思います。

地震があって災害が発生したときに、聞こえない人はどうやって避難したらいいのかという情報にアクセスできるように整備することが今後の課題です。私はたまたま手話ができる職員と一緒でしたので、災害が大きいことが理解できました。私たちが何をすべきか、どうしたら支援ができるかを議論できましたが、もし情報アクセスができなければ、何をしたらいいかの判断ができませんでした。

避難所には11万人、障害者はその6%と言われますが、私はもっと少ないのではと感じています。聞こえない人は避難所の生活に疲れて、住みにくいけれども自分の家に帰る人が多かった。避難所で生活する聞こえない人はかなり減ってきているのが現状です。ほかの障害者の方たちも、大勢の人たちとの避難生活は精神的なストレスがたまり、自宅に帰りたいという人が多いと予測できます。障害者にとって、避難所が避難生活できる環境であるかどうかは考えなければならないテーマだと思っています。

●被害の実相が見えない

藤井 増田さんは支援活動を通して、精神障害者の被災の実態とか被害の本質をどう捉えていますか。

増田 正直に言うと、被災や被害の実態の全体像がよく見えてこないというのが実感です。

精神障害の人たちは、障害を明かさないで生きている人も多く、避難所にいたとしても、私たちが「何かお困りのことはありませんか」と尋ねても、困っていると言えないのではないかと思っています。また、避難所にいられなくて在宅の方もかなりいらっしゃるだろうし、実態は、行政もつかみきれていないのではないかという焦燥感のようなものが強くあります。

福島では、双葉町や南相馬市や緊急避難区域に4つの精神科病院がありました。一斉避難で、患者さんが福島県内や東京都や埼玉県などの精神科病院に大勢転院したのですが、その人たちのその後も見えてきません。長期入院の方が多かったと聞いていますが、馴染みのないところで入院生活を続ける困難さを感じます。なかなか声の上げづらい精神障害の人たちがもともと暮らしていた地域にどう戻っていくのか、とても気がかりです。

●利用者に亡くなった人はいなかった

藤井 福島は原発問題という複合的な被害が重なっていますが、障害者の被災の実態と被害の本質をどう見ていますか。

白石 郡山は、沿岸の浜通りと違って、中通りにあったので、当日はとりあえず、私たちの利用者の安否確認をしようと回って歩きました。家の中の荷物がバラバラになっていて、家での生活ができない状態の人が何件かありました。雪が降っていたので、家に入れなくて玄関前でブルブル震えている脳性マヒの女性がいました。これは大変だと、郡山市にある障がい者の文化教室などを開催している障がい者福祉センターに入れてもらおうと頼みました。

あいえるの会では、障がい者の全般的な生活支援を行っていますので、13日に、職員が県内の利用者100人ぐらいの安否確認をしようと手分けして回りました。幸い、けが人はありませんでしたが、部屋に荷物が散乱した人がいて、障がい者福祉センターに30人ほど避難してもらいました。2週間ぐらい避難生活をしましたが、だんだん家も片付いて、今は家に帰っています。

避難先の障がい者福祉センターには介助者はいなかったので、私たちあいえるの会の職員が3交代のローテーションを組んで、利用者の支援に当たりました。電気はつきましたが、水道が止まって大変な思いをしました。そうするうちにガソリンがなくなって、ヘルパーさんが利用者宅に行けなくなり、本人、家族に負担をかけてしまいました。電話は1週間、インターネットは10日間ぐらいつながらなくて、大変な目に遭いました。

大震災が起こると、障がい者は弱者として扱われていて、自らの意思ではなく、強制的に避難させられるという実態があります。特に、大きな入所施設の入所者は他県に移っています。劣悪な環境の避難所で生活して、他県の施設に行った人が途中で亡くなっています。そういうことが現実に起こっているので、我々が先手、先手を取っていかなければならないと思っています。

●「障害故に」の検証を

藤井 私たちは、被害の本質において、「障害があるが故に」というのがキーワードになろうかと思います。地震も津波も、それ自体は障害のない人にもある人にも平等に襲いかかりました。

久松さんも言われていたように、障害のない人の中での犠牲者、行方不明者、障害のある人の中での犠牲者、行方不明者を比較すればはっきりとしています。また、筆舌に尽くし難いとされている避難所暮らしの厳しさ、停電に続く燃料不足の中で、人工呼吸器使用者や人工透析の必要な人たちは大変な不安と不利益を被りました。

障害があるが故に、同じ停電や燃料不足でも負担が違います。障害があるが故に、それは人災と言ってもいいと思います。天災と人災とをしっかりと区分けして捉えることが重要ではないでしょうか。

避難所生活の問題点

●スペシャルニーズに合わせて

藤井 すでに避難所問題が出ていますが、ここではまさに障害問題が凝縮しているように思います。今回クローズアップされている福祉避難所を含めて、あらためて避難所問題に焦点を当ててみましょう。

伊藤 仙台市では、震災前から福祉避難所の指定が14~15か所ありました。ですが、ほとんどが高齢者介護の事業所さんのためで、子どものスペシャルニーズに合った支援が受けられないだろうと皆さんが予測されて、ほとんど利用はしませんでした。福祉避難所には、圧倒的にお年寄りの方が多かったとのことですが、職員の疲弊度が強くて、非常にご苦労されたという話も聞きました。

避難所については、親御さんたちに聞いた中では、一時避難はまず身の安全を図る。その後の二次避難所として、できれば聴覚障害、アレルギーの人たち、肢体不自由、自閉症・発達障害とか、スペシャルニーズごとの避難所が事前に設定される仕組みになって、そこに合わせた物資が届く。

たとえば自閉症の場合は、宮城県では当初、多くの避難所でパーテーションがありませんでした。避難物資がだいぶ行き渡ってから空いたダンボールで区切りを作ることがありましたが、自閉症や発達障害の人たちが入る避難所であれば、備蓄としてパーテーションやイヤーマフやスケジュール提示の備品があったり、あるいは中央のどこか決まったところに備蓄されていて、必要に応じて運ぶとか、今後はスペシャルニーズごとの避難所が必要になるだろうと考えています。

●アクセシブルなトイレや風呂を

藤井 避難所にいられなくて壊れかけた自宅に戻っている障害者とその家族が相当数に上っていると聞いています。避難所については、緊急に打たなければならない手があると思いますが。

白石 私たちは、福島県内の避難所を200か所ぐらい回りました。障がい者がいる避難所は100か所ぐらいで、少なかったです。

障がい者の避難生活は大変なものでした。体育館の床が堅いために、車いすの上に10日以上もいた方、お風呂に1か月以上も入れなかった方、自閉症の子が集団の避難所では暴れてしまうので、避難所の駐車場に車を置いて、車での生活を余儀なくさせられていた家族の方もありました。

そこで、避難所のトイレ、お風呂はユニバーサルなものをユニット形式で作っておいて、災害が起きたときは避難所に設置するという方法をとっていければと思います。

また、避難所は体育館のような床の堅いところです。そこにマットレスや毛布を敷いて寝るのは、障害者には大変ですので、ベッドを運んで生活しやすい環境を作るべきだと思っています。阪神大震災や中越地震などを経験してきたのですから、障がい者や高齢者の災害時における対応策を真剣に考えなければならないはずなのに、それが全くできていなかったのが現実でした。

●本当はみんなにとっても必要

久松 被災に遭われた方々は、障害者を除いた一般の方を見ると、比較的高齢者が多くなっています。高齢者はある意味、障害者でもあると思います。足が不自由だとか、持病をもっているとか、行動がままならない方もたくさんいらっしゃると思います。

行政の最初の考え方は、そういう人たちを軸に避難生活ができる場所を作っていくのではなく、寝泊りできればいいということだったと思います。住環境の整備が必要だというのは、後から出てきたそうですので、伊藤さんがおっしゃったように、阪神や中越の地震の経験を生かしていなかったと思います。

日本は地震が多い国なのに、昨日のことを今日になると忘れてしまう体質をあらためて悲しく思います。避難生活で、「字幕機能がついているテレビがほしい」と聞こえない立場で要望したら、一般の耳の遠い高齢者にも喜ばれたという声を多く聞きました。聞こえない人だから必要というのではなく、みんなにとって必要だという考え方に転換しないとダメなのではないかと思います。

避難生活では、周りの人が手話ができるわけではありません。コミュニケーションがない中で暮らしていくのは精神的に非常に辛いことです。

障害者の権利条約の理念でもある権利性の問題を国民にもっと理解してもらうように啓発普及しなければと思いますが、東北の被災地の支援活動を通して、障害者は庇護、保護される立場であると強く感じました。特に、家族は障害者を外に出さない。どんな支援が必要かと問いかけても、家族で守るからという声が多く出たことを知り、あらためて日本の障害者はこういう状況の中で生かされていると強く感じました。

●普段の暮らしがしっかりしていれば

増田 街の中に、社会の中に障害をもっている人たちが普通にいることが、日本では当たり前になっていません。発災後、緊急に命を守るという段階から避難が長期化すると、障害故の困難さが顕在化していきます。

最初にみやぎ支援センターに入ったとき、障害者の事業所の人たちが利用者の安否確認に避難所を回ったときに、避難所にいられない人が大勢いて、自分たちの事業所をやむなく福祉避難所にされたところも見てきました。でも、場所は提供できても、自分たちの事業所もままならない状況の中、避難所の障害のある人まで人的支援がまわらないという状況があるのだと思いました。

被災したときに福祉避難所を開設し、多様な障害のある人たちの命と暮らしを守っていく構えを作っていくには、災害が起こってからでは遅いのだと思いました。阪神から学べていないというご指摘もありましたが、この未曾有の被害を生んだ3.11の経験を生かさなければ、と思います。3.11に出遭った者は、次の世代にこの経験からの学びを引き継ぐことを考えなければいけないと、現地の皆さんとお会いして強く感じるところです。

●避難所問題は社会の縮図

藤井 避難所問題はとても深刻です。まさに現代社会の縮図であり、社会と障害者との関係を如実に表しているように思います。

30年前に、国連は「障害者を締め出す社会は、弱くて脆い」と言い切りましたが、避難所の問題はそのことを嫌というほど感じさせています。このことをもう少し深く考えると、やはり平時のコミュニティーがどうだったのか、震災は問題を顕在化させただけで、本質はもっと深いところにあるのかもしれません。

避難所をめぐってはいろいろと出されていますが、共通しているのは、現在の避難所は障害者にとって安心できないということです。原発問題がはっきりしない福島を中心に、まだまだ避難所暮らしは続きそうです。緊急に改善を求めたいと思います。

支援活動から見えてきたもの

●行政との二人三脚

藤井 支援活動については障害関係団体も懸命に取り組んでいます。支援活動から見えてきたことがたくさんありますが、どういうことが見えてきて、何をおさえるべきか、増田さんからいかがですか。

増田 私は東北のいくつかの町を回りましたが、現地で相談支援をしていらっしゃる方たちから、「障害があってもなくても、日常の中に支えあう関係性が自然にできていたんですよ」というお話を聞きました。また、市や町の保健師たちが住民のことを本当によく分かっていて、そこに思いをはせているというか、「十分できないこともあって悔しい」と言われていました。東北の地域には、都会ではなくなってしまったような人と人のつながりが息づいていると感じることがありました。

でもこの震災で、そこがずたずたにされてしまった。地域の中でさりげなく支えられながら生きてきた障害のある人たちが投げ出されてしまったような実感があります。障害故にサービスを十分駆使できないために、JDFのみやぎ支援センターの案内を握りしめて、「食べるものがないんです」という電話がかかってきて、よくお話を聞いていくと、高齢のお母さんと知的障害の50代の息子さんの世帯でした。これから、取り残されていく実態が見えてくると思います。

また、3人ぐらいしか亡くなっていない比較的被害の少ない自治体で、障害のある方が3人で暮らしているアパートがあり、「崩壊寸前でこのままでは危ない」と民生委員がJDFに連絡してくださったこともありました。

現地へ2度行った中で、復興が進んでいくにつれて谷間に置かれる人たちが出てくるのではないか。その人たちにきちんと支援が届く手だてを早急に考えていく必要があると感じています。どこが谷間なのか、実態をもう一歩深く掘り下げていく努力をしていかなければと思っています。

そのためには、行政と私たちのような民間団体の二人三脚が大事だと思います。行政の人たちも何とかしたいという思いはすごく強いのですが、たとえば南三陸町では、町の職員の25%が亡くなっており、庁舎も流され、大きな被害を受けています。私は外から支援に入っている民間の人たちも含めて、行政と二人三脚を組んでいくことがベストだと思っています。民間団体がきちんと力量を付けていくことと、復興に向けて努力したいと強く思っている被災地の人たちの気持ちを最大限大事にすること。行政や地元の福祉事業所との緊密な連携が最も求められていると感じています。

●大切な日常の組織的活動

藤井 久松さんはJDFの総合対策本部の中心メンバーのお1人で、ろうあ連盟の救援本部の中心メンバーですが、支援活動から見えてきたものは何でしょうか。

久松 私は東日本大震災救援中央本部の事務総括の立場で、宮城県、岩手県、福島県の聴覚障害者、ろう者、難聴者、中途失聴者、盲ろう者も含めて救援活動をしています。

障害者基本法では、障害の定義が大きなテーマになっていますが、聞こえないという立場でも、手話を必要とするろう者、手話ができない難聴者、中途で聞こえなくなった人たち、知的障害をもつろう者、精神障害をもつろう者、車いすのろう者、盲ろう者など、さまざまな方がいます。

今回の地震災害では、JDFの組織があったので、立場やニーズの異なる難聴団体、盲ろう者協会も力を合わせて一緒にやっていこうという考え方が生まれたのだと思います。また、さまざまな団体が集まって総合本部を作る、一つの大きな動きを作ることができました。

次に、地域生活を支える拠点を作れるかどうか。私たちは「施設から地域へ」と主張していますが、地域生活を支える拠点があると、災害が起きたときに非常時の支援態勢に切り替えることができると思います。

もう一つ、地域の枠、地域を越えて支援体制が作れるか。阪神大震災のときは、ボランティアが3~4日続けて支援しても、継続した支援体制を作れないという問題があったので、手話通訳者と要約筆記通訳者、ろうあ者相談員、すなわち設置通訳者を行政等の公共団体に設置することを求めて、長い間運動をしてきました。今回、十分ではなくても、国の責任で設置通訳者等を被災地に派遣する、長期的な支援体制を継続的に作っていく仕組みができたのは大きかったと思います。

●障壁となっている個人情報保護

藤井 プライバシーの尊重は言うまでもありませんが、一方で、まるで怪物のように立ちはだかったのがプライバシーや個人情報保護の問題でした。事は人命に関わる問題であり、一定のルールの下で名簿の開示があってもいいのではというのが、支援活動の前線立っている人たちの共通の声です。

そんな中で、白石さんたちの努力もあり、また市長の勇断もあって、福島県南相馬市では障害者の名簿の開示に関して新たな動きがみられています。全面開示ではなかったにせよ、画期的な動きだったと思います。その辺を含めて白石さん、いかがでしょう。

白石 被災地障がい者支援センターふくしまを立ち上げたときから、障がい者の所在確認をするための名簿開示を蓮舫消費者大臣が支援センターに来たときにも強くお願いしました。福島県でも会議を何度も開いて名簿開示を訴えたのですが、個人情報保護の観点から壁が厚かったです。阪神大震災のときは、行政が積極的に名簿を出してくれて、名簿を見ながら障がい者の所在確認をしていったと聞いたのですが、今回の東北3県ではそういう情報はなかったです。

きょうされんの方に大勢ボランティアに来ていただいて、一番被害を被っている南相馬の支援に力を入れて、行政に何度も足を運んだ結果、桜井市長の英断で避難計画づくりに私たちの団体へ協力要請があり名簿を出していただき、戸別訪問ができました。できたのは唯一、南相馬だけです。

もう1点、避難所を回ったのですが、重度の身体障がい者の存在が見えませんでした。なぜかと思ったのですが、郡山市にある大きな避難所のビッグパレットふくしまには、多いときは3000人の避難者が集まっていました。避難されて来た障がい者や高齢者の中で、避難所生活が難しい方は、老人ホームや入所施設に振り分けて移動したと聞いたので、これは大変だと福島県内の入所施設を回りました。

福島県社会福祉事業団の「太陽の国」という巨大な入所施設があって、身体障がい者、知的障がい者、高齢者が合計で800人ぐらい入所しています。そこで話を聞いたら、原発の被害を被った浪江町に、その事業団のひまわり荘という救護施設があって、入所しているのは知的障がい者が90パーセント以上ですが、そこから108人の入所者が太陽の国に避難していると聞きました。

その他の入所施設も回りましたが、避難障がい者は10人ぐらいで、後は県外の入所施設に分散して避難しているのではないかと思います。私たちが障がい者の地域生活移行という体制を作ってきたにもかかわらず、入所施設にどんどん入れられてしまって、入所施設がどんどんできてしまうのではないかという危惧を持っています。

●障害をオープンにしていない人とどうつながるか

藤井 伊藤さんが支援活動から見えてきたのは、一言で言うとどんなことですか。

伊藤 避難所にいないで、自宅に残っていた人たちに支援を届けることが、こんなに難しいかと感じました。親の会や何らかの機関に所属している人は名簿があるので、そこから安否確認をしたり、何かほしいものはありませんかと声をかけることができるのですが、存在が浮かび上がっていない人たちにどのように支援を届けるのか、すごく難しさを感じました。

もう一つは、療育手帳や精神の手帳を持っていたとしても、ガソリンの優先的な給付やお店で別の列に並ぶことができるなどの仕組みもありませんでした。

日ごろから関わっていない人たちとのつながりをどう作っていくか。また精神障害の方も含めて、発達障害も改正された自立支援法で障害として認知されたばかりですので、地域で自分たちの暮らしぶりをどれだけオープンにできるか。支援を受けるといいことがたくさんあるということが伝わっていかないと、災害のときにも口をつぐんでしまって、結局は自分たちの生活が立ち行かなくなるのではと感じました。

藤井 言い換えると、障害当事者、家族も含めて、日常から支援を受けるのは権利だという意識を持っていないといけないことも含まれますね。

伊藤 支援を受けたらこんなにいいことがあるよね、という経験をしてもらうことではないかと思います。

緊急の政策課題

●当事者参画、ユニバーサル仮設住宅、制度の柔軟運用

藤井 現時点で、すぐにでも着手すべき政策面での課題は何か、1~2点あげていただけますか。

久松 宮城県で社会福祉士や精神保健福祉士の資格を持っている聞こえない人、または聞こえない人の相談員が、医療ネットワークの方々と一緒に現地に赴いてメンタルケアをするための調査をしています。その結果をもとに、中長期的な計画を作るために議論をしていく予定です。

政府が設置した東日本大震災復興構想会議のメンバーに障害をもつ当事者や家族が入っていません。災害弱者と言われる当事者が入らないと、私たちの求めている新しい街、新しい社会を築いていくことは難しいのではと強く感じています。まずは、当事者が政策作りに関わっていくことの保障が必要だと思います。市レベル、県レベル、東北レベルの復興計画に当事者、家族が入っていける形を作ることが早急に求められていると思います。

白石 仮設住宅がどんどん作られていますが、車いす使用者が利用できるような仮設住宅を作ってほしいです。ユニバーサル化した仮設住宅を作れると思います。それが一番の要望です。すべての仮設住宅をユニバーサル化したものにしていく。仮設住宅だけでなく、一般住宅もまたユニバーサル化できればいいですね。

伊藤 現実的なお話をさせていただきます。私はこの夏以降、福祉事業所がつぶれていくことをとても恐れています。5月に3月分の介護事業給付がありましたが、多くが半減、あるいは3分の1減、それまでの10%というような数字が出ています。障害者の行く場所がなくなるだけではなくて、ここまで育った職員は財産だと思っていますが、職場を離れなければなりません。

新しい事業を起こしたり、制度を作り直さなければならないこともたくさん出ていると思いますので、岩手、宮城、福島の3県で、特に介護給付事業で出来高払いをしていた事業に対して、概算払いではなく、ゆるやかな制度の運営をしていただきたいと願っています。

宮城ではもともと児童デイや就労支援などの事業所が仙台に集中し、今回被害の大きかった沿岸部には支援機関そのものが少なかった。そこに今回の震災で、支援機関が全県的に激減している状況です。残っている事業所だけでも職員の雇用が確保され、いつでも利用者の方が戻って来れる体制を維持していってほしいと願っています。

また、緊急的に全国から職員派遣などのご支援をいただいていますが、地域で長くお一人お一人を守っていくのは、最終的には地元の支援者であることも心に留(と)めていただきたいと願っています。

増田 私も障害者の事業所の職員なので、この問題は切実だと思います。事業所に来ていないときも、職員の人たちは実際の支援を濃密にしているのですが、その場にいないということで支援として認められないのは、自立支援法の矛盾を露呈した事態だと思っています。そこは頑張って、みんなで声を合わせたいと思います。

もう一つ、仮設住宅の話が出ましたが、障害のある人たちには、仮設住宅に入居することで自立というわけにはいかないと思います。被災によって地域そのものが変わってしまったわけですから、孤立を防ぐためにも、地域のつながりを再構築するためにも、安心してみんなが集える場所があったり、安心して相談できる場所があったり、少しは楽しめる場所が用意されるべきです。

また、障害のある人が仮設住宅に入ることを前提として、住まいの提供だけでなく必要な人的支援が届く仕組みが大切だと思います。ほかに、通院や通所など移動支援も緊急に求められています。

復興・新生に向けて、大切にすべきは

●不安募る原発問題

藤井 復旧・復興は決して将来のことではなく、今困っている避難所や在宅の障害者にどう対処するか、そこに本質が潜んでいるような気がします。たとえば、仮設住宅一つをとってみても、バリアフリー仕様を多くすることは言うまでもなく、入居時にコミュニティーをどう配慮するか、これらが復旧・復興政策の礎石を形づくっていくように思います。

今困っている問題の解決を切り離して、本当の復旧・復興はあり得ないのではないでしょうか。復旧・復興にあたっての基本的な考え方、提言をうかがいましょう。

白石 仮設住宅は、みんなバリアフリーでユニバーサル対応にしてほしいと思います。学校の体育館も段差があって障がい者が入れないところがありますが、トイレなども含めて大震災を契機にユニバーサル化する方針を、政府は国民に提起していただきたいと思います。

原発事故の影響で、私が住んでいる郡山市や福島市の放射線レベルが高いんです。放射線量の蓄積で、5~6年後に福島県民に影響が出てくるのではないかと言われています。細胞が破壊され、ガン細胞が活性化して早く亡くなるとか、赤ちゃんが死んで生まれるとか、障がいのある赤ちゃんが生まれてくるとか出てくると思います。たとえ障がいがあって生まれたとしても、生命体だから生きる権利がある。私たちは青い芝の運動で優生保護法に反対してきた経緯もあるので、障がいがあって生まれた赤ちゃんも、みんな安心して生きていけることができるような障害者福祉法や差別禁止法を作るべきだと思います。

福島県は、なにぶん原発の事故による影響から、どのような方向性を出したらよいか定まらない状況にあって、復興というスタートラインにも立てません。東京電力でも最大限の努力をして、原発の収束に当たっていますが、万一、最悪のシナリオになった場合のことを想定した多重の方向性を考えて、あいえるの会では今後の計画を立てています。なるべく早く、放射性物質の拡散を防ぐために原発を塞(ふさ)いでくださいと祈るだけです。

●復興計画に当事者視点

増田 自立支援法は申請主義というか、自分から支援が必要だと名乗らないと支援が届かない仕組みですが、この機会に改めるべきだと思っています。

従来、保健師活動は、住民の健康を守るためにどの家にも訪問していたと思います。そういうことをヒントにしながら、支援を届けていく。どこか集まる場所があって、そこに支援を求めにくることもOKですが、支援を届けていく視点を作っていかないと、社会になかなか出てこられない人は取り残されたままです。支援のありようを障害分野で見直していく必要があるのではないかと思います。

各自治体でも復興計画が議論されるようになってきました。県や国の計画も大事ですが、地元の計画に障害のある人たちが参画して、障害のある人も住民の一人ですよという視点で、障害者の暮らしやすい地域社会にしていくという視点を入れていくべきだと思います。特に役所ごと流されてしまったところでは、障害者の名簿を再構築している状態です。現地の人たちは日々の活動に追われています。地域の復興計画の中に障害者の問題をどう位置づけていくか、現地の人たちとともにJDFが一緒に考えていくことも求められていると思います。

障害のある人たちや家族は我慢していたことがたくさんあると思いますが、もっと堂々と自分たちの意見が言えることを目指しながら、計画を考えていければと思っています。

●離職者からジョブコーチを

伊藤 二つ申し上げたいと思います。一つは仮設住宅の問題です。高齢者、身体や知的の方たちは最優先されていると思います。

岩手で実際にあったことですが、自閉症の親御さんが仮設住宅の5階に当たったのですが、多少障害の重い自閉症のお子さんには5階の入居は難しいので、やむなく断りました。次に当たるチャンスはしばらくないかもしれないという実例があります。発達障害は見えにくい障害であったとしても、自立支援法で障害と認められたのですから、障害をもっている人たちはみんな同じようになってほしいと強く感じています。

もう一つは、雇用の問題です。ハローワークにうかがうと、この震災で離職を余儀なくされた発達障害の人はほとんどいないと聞きました。けれども、新たに雇用につける保障が全くと言っていいほど、見えなくなっています。他の障害の方も同じような状況にあると思っています。

何万人と出ている離職者の中から素養のある方たちをジョブコーチに短期間で養成して、障害をもっている方たちと一緒に働けるような仕組みを経済の方と一緒に進めていただけないかと思います。そうすると、障害者雇用率を達成できる企業がたくさん出てくると思いますし、こんな時期だからこそ、障害をもっている人たちのピークスキルを「世の中で社会貢献できる人たちだよ」と伝えていきたいです。

私たちは、3.11より豊かで幸せで安心した生活が築かれることが復興だと思っています。元に戻るのではなく、元よりももっと幸せな生き方をみんなで作っていけるようになりたいと強く思っています。

●情報保障の飛躍的な拡充を

久松 今回、ろうあ連盟、難聴者団体の様子を見ますと、自宅待機の方も仕事を失った方もたくさんいます。自営で再開できない方も何人もいます。仕事がないと生活ができないので、生活の基盤づくりをどう支援していくかが大きな課題だと思います。

増田さんもお話されたように、市レベルでの復興計画を作る際、当事者が参画して、当事者が求めている復興とは、街とは何なのかを発言していくべきだと思っています。また、復興にはいろいろな仕事が発生しますので、まずは地元の障害をもつ人たちを優先的に雇用してほしいです。

東北では仕事がないから、関東、近畿、東海に仕事を求めて移動している若い障害者はたくさんいますが、東北に残っている高齢障害者も暮らせないので故郷を離れ、子どもの住んでいるところに移るという状況が起きています。地元で障害をもった人たちが働ける状況を作ってほしいと思います。

また最初に申し上げたように、情報アクセスの権利を求めています。情報アクセスができているかの問題もありますが、福島の原発でも、私たちが正しい情報を求められる状況になっていません。今回の震災で、障害者も情報アクセスが大切なこと、本当に必要だと一般の方々に分かっていただけたと思いますので、この機会に情報アクセス、コミュニケーション保障のための法制度を作っていくことにつなげていきたいです。そのために、聴覚障害者を支援していくための拠点である聴覚障害者情報提供施設を整備し、その機能を強化していくことが必要です。情報提供施設は、聴覚障害者の生活支援、就労支援、メンタルケア活動に欠かせません。

私は、チェルノブイリのときに原発の問題に関わったことがありましたが、スリーマイル問題を含めてどの国も正しい情報を国民に知らせていなかった。

日本は地震の多い国です。そこに原発をつくっています。新聞等には想定外という言葉が踊っていますが、私から見ると、想定内の問題です。情報をきちんと出していくことが、私たちが求める情報アクセスにつながると思います。国民の皆さんにそういう権利があることを分かってほしいですし、正しい情報に基づいて、私たちが求める街づくり、社会を作っていくことにつなげていけたらと思います。

●問われる社会の標準値

藤井 ただただ恐怖の中で意識が薄れていった知的障害や発達障害の人たち、車いすで座したまま崩れゆく建物の下敷きになった人たち、東日本大震災は夥(おびただ)しい数の障害者や高齢者を巻き込んでしまいました。

先ほども言いましたように、天災と人災とを区分けして捉えることが重要であり、「障害が故」は人災に由来する点が少なくないのです。そしてこの人災の部分は、経済成長や効率一辺倒で推移してきたこの国の社会政策とも無縁でないように思います。

なぜ、危険視されていた三陸沿岸の埋め立て地にグループホームを建てなければならなかったのか、どうして原子力発電を絶対安全などと断言してきたのか、何とも悔やまれます。

いろいろと考えさせられる今般の大震災ですが、どうしてもおさえておきたいことの一つは、この国の社会の標準値を、平均値を、人間中心に取り戻さなければならないということです。人間中心の意味には、もちろん障害者も含まれます。

繰り返し強調しておきますが、復旧・復興の本質は、今を必死に生きようとしている人たちへの的を射た支援策の中に育まれるのだということです。避難所で辛苦の思いにかられている障害者を放置しておいたり、在宅障害者に支援の手が及ばないようでは、魂の入った復旧・復興策には成り得ません。仮設住宅などは、魂の入った復旧・復興策かどうかのバロメータになるのではないでしょうか。

最後に、国会での関連法案の審議や復興構想会議にお願いしたいのですが、ぜひとも障害者権利条約を復興政策の指標の一つにしてほしいと思います。条約には、差別禁止や合理的配慮、ユニバーサルデザインなど、まちづくりに際しての大切な原理が網羅されています。単に震災前に戻すというのではなく、新生とか創生という視点を持つ必要がありますが、条約は格好の基本設計図になると思います。

本日は、長時間にわたってありがとうございました。


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