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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年7月号

被災状況・被災者支援
東日本大震災、ALS療養者に何をなすべきだったのか

橋本みさお

「ALSの力を信じてる。強く未来を信じてる!」

日本ALS協会として初めて「被災地支援の街頭募金」を始める前夜、夜勤の学生2人と作った横断幕のメッセージである。

ACのSMAPのCMの模倣であることは否定できないが、何か伝えなければ、伝えて呼び戻さなければ、東北のALS文化が社会から消えてしまいそうな不安に付きまとわれて、眠剤の量だけが増える日々を過ごしていた。

2011年3月11日14時46分、東京は震度5強の長い揺れの中にいて、4階の部屋ですら頭が左右に大きく揺れていた。4階の高さでは、震度2でもベッドがもれなく揺れてしまう。震度5強の揺れは「不動の身体」ALSをも、ベッドから揺さぶり落としそうな怖い大きな揺れで、揺れながら「1階に引っ越ししよう」と考えていた。

玄関のドアを開け、ベッドをほぼフラットにギャッジダウン(ちなみに今時の介護用べッドは、停電時にギャッジダウンだけはできますのでご確認ください。これは重要なことです)。フラットにしなければベッドから転げ落ちそうな余震が続く。学生のロッカーが倒れて、グラスが1客割れて、私の被災者としての立場は終了となった。もちろん、心はずっと癒えませんが…。

テレビにはCGかと目を疑う映像が、何度も何度も流れている。海が陸地を追い回しているような不思議な映像で、実写と納得できるまで少し時間がかかった。何か見えない力に打ちのめされて、自分が支援者の立ち場であることを思い出したものである。

ALSは重度重複障がい者ではあるが、国の定める特定疾患で最も重篤な分類の病人でもある。介助者がいてくれれば生活できる人々では無い。介助者プラス災害時は1~2人の避難要員と電力、さまざまな滅菌医療用品が無ければ生存は危うい。こんな大災害では、動ける人のネットワークが必要である。同時に、ALS特有の物流の確保も必要である。

この災害を受けて日本ALS協会では、東日本大震災支援委員会を立ち上げている(委員長は金沢公明事務局長)。募金委員長は自称追いはぎの橋本某で、玄関とテーブルに募金箱を置いて24時間手抜き募金(日本ALS協会03―3234―9155)。

さて、3月19日はいわき自立生活センターが、戸山サンライズに避難してきた記念すべき日である。偶然、ALS協会の理事会で会ったので、紙おむつや果物、おにぎりなどを持って行くと、おにぎりばかり食べていたので飽きたと言われ、紙おむつも使わないのに集まっちゃったんだよね、と元気な長谷川さんに言われてほっと安心。

彼らのガソリン事情は最悪で、静岡や広島から集めたものを高速を乗り継いで調達してヘルパーを派遣していた。

実は、ALS患者は物が無くて介護者もいなくて切ない現実で「じゃあ仙台に頂戴(ちょうだい)」と避難民の長谷川さんに言えるほどALSは逼迫していた。

つい最近、推進会議総合福祉部会の医療合同作業チームで岡山の末光先生に「うちでは離れた地域から支援し合うシステムができています」と言われ、目からうろこの思いであった。今回の被災地も、北東北と南東北に分かれて活動していたが、北も南も被災していたので、物資を最初に盛岡に届けることができたのは近畿ブロックだった。末光先生の言われるように、東北が被災したら東海が支援するというやり方は、とても合理的で羨ましい。

ALS協会では、品物を私が集めて川口がCILにお願いする、という不合理なやり方を続けていた。東京一極集中の物資集めは、すぐに破綻し、駅前のスーパーマーケットからカップ麺が消え、水が消えトイレットペーパーが消えて、空になった棚が1月も続きこの国の未来を憂いたものである。

3月19日はいろいろな意味で分岐点で、理事会中にさまざまな出来事が交錯していた。「花巻の病院で電力不足による吸引器の使用困難でご高齢の方が10人近く亡くなられた」と報道関係者からメールが入り、看護協会から「来週盛岡に行くけど、何かありますか?」とメールが入っていた。

一方、いわきから40人近い利用者とヘルパーが来ていた。呼吸器を付けた患者は動かずにいわきに留(とど)まったのでヘルパーも動けずにいたり、2月にJALSA講習会でご講演いただいた関先生のいわき病院も津波で浸水して、入院中のALS患者はヘリコプターで関東や日本海側に移送されていた。たった1か月の間にこんなことが起きようとは、心よりお見舞い申し上げます。

この大震災で多くのことを学んだ。CILの情熱的な支援、看護協会など専門職の構造的なボランティア、さまざまなネットワークの存在。現地の保健師に比べて、こちらの保健師のゆったりとしてイラッとする対応。保健師のネットワークが、10年前ほどに機能していれば、地域住民も頼る場所があったのに残念である。しかし、ほとんどの保健師が殉職された地域もあるので、残された保健師は日本中世界中に、この信じられない被災から報告を広めてほしいものである。

3月末に、極寒の新宿でJILの皆さんと始めた街頭募金も5月末で休止し、長期的な支援を模索している。

この大災害を経験した国として、国民も国家も学ばなければならない。非常時に食パンを8斤も買っては社会的ではないという小さな教育。それぞれに任を持って社会に暮らす人々は国民の期待を裏切ってはならない。

具体的には、地域保健の衰退である。保健師は保健所は、地域保健法の理念を守り地域住民の健康を守ることから始めようではないか。

最後に、被災されたすべての方々が普通に地域で暮らせるために、国を挙げて努力すべきで早急に結果を示すべきである。

(はしもとみさお ALS/MNDサポートセンターさくら会理事長)