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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年10月号

1000字提言

「福島は今」

熊田芳江

3月11日、私たちの住む福島は地震、津波に原発の被害と二重三重の災害に見舞われました。そして現在も、これからも放射能という目に見えない恐怖と戦っていかなくてはいけません。

6月の末ようやく連絡が取れた相馬市の知人を訪ねました。津波に襲われた相馬の海岸は、ほとんど片付いていて、そこが町並みであった以前の姿を知らない私には、被害の大きさを想像することができません。

漁業を営んでいたその方は、会社、自宅、家族とすべてを失い、生きる希望を失いかけていました。その被害の残酷さになんと言葉をかけていいのか分からず、自分の無力さを思い知らされたのです。それでもその方は丁寧にお礼を述べられ、「必ず元気になりますから」と約束をしてくださいました。

原発から20キロ、30キロメートル圏内の強制避難区域にある障がい者の施設や作業所は、利用者、職員がバラバラになり、それぞれが5~6か所の避難所を転々としたあげく、いまだに再開できないでいます。私たちは、そういう方々に対して、何ができるのか真剣に考えなければならないと思いました。

成長、発展と前に進むことだけを考えてきたわが国の豊かさには大きな落とし穴が隠されていました。取り返しのつかない失敗をしてしまったのです。さまざまなものを区別、差別化し、物やお金が豊かさの物差しとして定着し、もう後戻りはできない状況になっていました。このようなことが起こらないと私たちは気づくことができないような気もします。

さて、9月になりようやく被災地福島の精神障がい者支援施設の復興の取り組みについて、具体的な支援の話が広がってきました。それはまず福島第一原発に近い福島県相双地区の精神障がい者支援施設の実態について県内の施設全体で共有し、今後の福島県の精神障がい者支援体制をより発展的な事業へと結び付けていこうというものです。これまでのように精神科病院が中心になるのではなく、医療も地域に出向いて、地域で生活しながら急性期を乗り越えられるような斬新なシステムを考えています。そのためには医療との連携、他の機関との連携が不可欠であり、地域力を高めるためにはそれぞれがこれまで以上の力をつけていくことが必要です。全国の支援者の力も借りながらまずは勉強会から始め、できることから少しずつ考えていこう、というものです。

わが国には本来「結い」という地域の絆が存在し、お互いに助け合い、支え合って生活していたのでした。今の時代を生きている私たちは、次の世代に何を残せるのか問われている気がします。自分たちが作ってきたこの社会を、私たちの手で立て直して次の世代にバトンタッチしたいものです。

(くまだよしえ 社会福祉法人こころん施設長)